-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第一話:第一区域
「デーモンクォーターが運命のダイスを手に入れることについて語ろう」:其之五


 

 見知らぬ天井。額には濡れタオル。
 シキは飛び起きた。
 どうやらソファに寝かされていたようだ。
 視線に気づき、そちらに顔を向ける。
 目が合った。
 赤髪の女。マヨだ。両の目の色が違う、オッドアイ。右は赤、左は銀色。
 ここではそういった特徴を持つ者は少なくないが、ここまで両目の色が違うオッドアイはかなり珍しい。本人には申し訳ないが、少しばかり気味悪さを感じてしまう。
 彼女はなぜか行儀よく床に正座をしていた。
 シキがかける言葉に戸惑っていると、マヨはにっと人懐っこい笑みを見せ、そして振り返り、叫んだ。
「おーい、目を覚ましたぞー!」
 ぎょっとする。マヨが大声を出したことではない。この部屋に驚いたのだ。
 大きな声でなければ気づかない。それほどこの部屋は広かった。
 シキは部屋の中を見渡す。
 人一人余裕で寝ることが出来るソファの目の前には、巨大なテレビ。テレビ台とその両脇に備えられた大きな棚には、大量のゲーム機とソフト。攻略本まで勢ぞろいだ。それにはかなり心が惹きつけられたが、今はそれに飛びついている場合ではない。
 部屋のほぼ中央だと思われる場所には八人掛けの大きなテーブルがある。その奥にはカウンターキッチン。
 向かって右側には畳が見える。8畳は優にあるだろう。床間には掛け軸が飾られており、「万家」と筆で書かれている。「よろづけ」と読むのだろうか。達筆だ。和の一画は障子で区切れるようになっている。
 左側には、ずらりと本棚が並んでおり、大画面のパソコンと大きすぎるパソコン机がある。
 大きさもそうだが、何より部屋の形がおかしい。ちょうど「凹」のような形をしている。左側には書斎のような一角、へこんでいる部分がカウンターキッチン、右側が和の一画。カウンターキッチンの向かいに大きな食卓テーブル、少し離れてその右側に今シキが寝ているソファとテレビがある。
 あまりにも広すぎる。もしかしたらいくつかの部屋の壁をぶち抜いて、ひとつに繋げたのかもしれない。
「気分はどうだ?どっか痛いところは?あ、喉かわいた?お腹すいてる?そうだそうだ。名前は?名前。何て呼べばいい?」
 マヨが矢継ぎ早に次々と質問を浴びせかける。どれから答えればいいのかと少し迷っていると、
「こら、マヨ。ちょっと落ち着きなさい。お客様なんだから、失礼の無いようにしなさい」
 銀髪の女性がマヨを窘める。瞳の色も銀色だ。
 マヨは「うぇい」というわかったのかわかってないのか、意味不明な返事をした。
「気分はどう?」
 続いてシキに声をかけたのは、少年だった。シキよりも十歳は年下に見える少年。ほんの子供に見える。
 黒髪、黒い瞳、しかし左目には医療用の眼帯。少年は爽やかな笑みを浮かべている。
「……大丈夫です」
 シキは腕を伸ばしたり、身体を捻ったりして、調子を確かめてみたが、どこにも痛みは無い。あれだけの攻撃を食らったにもかかわらず、どこにも不調は見られない。むしろ好調だった。
「何にせよ、元に戻ってくれたなら良かった」
 その声に、シキはびくりと身体を震わせる。
 カガだ。
 その瞬間、己が犯した数々の暴挙が脳裏に蘇る。
 シキはソファから飛び降りると、正座のまま着地、勢いよく頭を下げ、額を床にぶつける。所謂、土下座というやつだ。ジャンピング土下座。
「ほんとすいませんでした」
 額をこすりつけた床は、床暖房のためか生暖かかった。
「なになに?カガ、お前何したの?」
 少年の問いに、カガは高笑いしながら答える。
「この俺の神力に跪いたまでよ」
「むしろ謝るのはカガの方だよ。この子に一発強烈なのを」
「おい、馬鹿!言うな!」
「うわっ、さいてー」
 少年と銀髪の女が共に言い放つ。マヨも便乗して、さいてーさいてー、と煽る。
 そんなマヨに、カガは強烈な拳を一発打ち下ろす。床を見つめていたシキの耳にも、ゴン、という鈍い音がはっきりと聞こえた。
 カガは頭を抱えて悶絶するマヨを完全に無視し、シキに向き直る。ちなみに、少年と銀髪の女も完全に無視だ。マヨに同情する気配すらない。
「覚えてないと思ってたんだが、どうやら記憶はあるようだな」
 恐る恐る顔を上げるシキ。カガに怒っているような色はまったく見当たらなく、少しほっとする。
「全部覚えてるのか?」
「ええ、まあ、一応。二重人格ではないので……」
「ならやはり『混り物』か」
 それにはシキは頷くだけで返した。
「ふーん。ま、ここはそういうやつばかりが集まってくる場所だからな」
 根掘り葉掘り聞かれるかと覚悟していたのだが、カガはこれ以上込み入った事情に突っ込むことはなかった。それは他の者も同じで、混り物だろうが人間だろうがそれ以外だろうが、どうでもよさそうだった。
「俺達も似たようなものだからな。同郷の者同士、仲良くしようか」
 言われて気がつく。そういえば――。
 シキは彼らの顔を見る。
 髪の色や目の色は違っているが、顔立ちは皆同じだ。シキとも同じ顔立ち。つまり、生まれは同じ国ということだ。
「ちっちゃな島国だろ?」
 母国語で話しかけられる。
 拳骨のダメージはどこへやら、マヨはもう完全に回復していた。にっとシキに笑いかける。
 シキは大きく頷く。懐かしい母国語の響きに、自然と笑みが浮かぶ。
「おおう、すげーな、全員同郷か。偶々なのに、偶々とは思えないね。運命の赤い糸ってやつかね」
 自分の赤毛を一本抜き、小指に巻きつける。
 人懐っこい笑顔だ。シキはその笑顔を、少しだけ親友と重ねる。
「そういや名前聞いてなかったね。何て呼べばいいんだ?」
 特に偽る必要も無い。助けてくれた恩もある。正直に「シキ」と自分の名前を答えた。
「シキか。いい名前だ。よろしくな。よし、名乗ってくれたし、今度はこっちの自己紹介だ」
 こほん、とひとつ咳払い。そして盛大に言い放つ。
「あちらに御居しますお方こそが、我らが愛しの主、レイ様だ」
 マヨの言葉が終わると同時に、従者達は各々指笛を鳴らし、盛大な拍手を送る。
 正直な感想。なんだこいつらは。
 しかし、郷に入れば郷に従え。助けてくれた恩があるのだ。シキも拍手を送る。
 当の本人、レイは無視だ。部屋中央に陣取るテーブルで、ノートパソコンを開き、なにやら資料のようなものを読んでいる。我関せず。
「レイ様はすごいんだぞー。すごくて強くて、かっこよくて、信じられないくらい優しくて」
 マヨの言葉を右から左へと聞き流す。というのも、レイという名前がシキの中で引っかかっていたのだ。
 どこかで聞いたことがある。どこだっただろうか、すぐには出てこない。
 顎に手を当て、考え込む。
 頻繁に聞く名前ではない。稀に、何か、そう、重大な事が起こった時に、確か、仕事がらみだったような。
 ふと、それが目に入った。リビング奥にある和室。その床間にある掛け軸。「万家」と書かれている。
 万。同郷の、万。八百万の――。
「あーー!!」
「うわっ!びっくりした!」
「万……八百万の……!」
 名を馳せてはいるが、会ったことのある者はほぼ皆無。幻なのではないかと言われてしまうほどの人物。それが、今、目の前にいる。
「もしかして、第二区域の領主様……?」
 道理でその名を聞いたことがあるはずだ。
 この地には第一区域から第七区域まで分けられており、七人の領主が協力し合って統治している。円卓会議のメンバーと呼ばれるその領主達は、この地の全ての人と妖魔が束になってかかっても敵わないと言われるほど絶大な力を持っている。
 そのメンバーの一人の名が、レイ。
 それぞれの区域に治安部隊はあるのだが、それらを超えて治安を維持する役目を負っているのが彼女だ。
 聞いたことがあるはずだ。シキが所属する治安部隊が手におえない場合、彼女に頼ることになるのだから。
 同郷の領主。八百万の神々。死を司る神様。少なからず、憧憬を抱いた存在。生きているうちに一度は会ってみたいと思った。
「あ、そっかそっか。言ってなかったっけ。そうだよ、お前さんの言うとおり、レイ様は第二区域の領主様だ」
 えっへん、となぜかマヨが胸を張る。
 ということは、ここは第二区域になるのか。
 シキは第一区域の人間だ。区域を越えて、わざわざここまで運ばれてきたことになる。なぜあのまま第一区域の者に引き渡さなかったのか疑問が残るが、今は深く考えないことにする。
「第二区域が平和なのも、全てはレイ様によるものなのだ」
 拍手が沸き起こる。
 まさにマヨの演説通りだった。第二区域は、最も治安の良い区域だ。区域間に関所を設け、出入りする者を規制している。そのため、力の弱い人間や争いを嫌う妖魔が多く住みついており、彼らの間ではレイの評判は非常に高い。
「じゃあ次はあたし……いだあっ!」
 マヨが盛大に蹴り飛ばされ、無駄にぴかぴかでつるっつるのフローリングを滑っていく。
「俺はカガだ。よろしく。ちなみに俺も神だ」
 差し出される手。
 握ろうとしたが、俺も神だの台詞に動きが止まる。
 自分のことを神だと名乗る。外の世界ならば非常に痛い人物だと思われるだろう。しかし、ここはそういう場所なのだ。人の世から弾かれた存在が集う場所。たとえ神であっても例外ではない。
 固まっているシキの手を、カガは無理やり取って、ぶんぶんと激しく振る。
 正直、ぶん殴られるのではないかと思ったが、そんなことはなく、普通に握手しただけに終わった。
 マヨとの扱いとは違い、一応客人扱いしてくれているようで、それにはほっと胸をなでおろす。さすがに八百万の神々と戦うほどの勇気はない。もしそうなったら無条件白旗だ。幸いなことに、この神々の気性は非常に穏やかで、今までの無礼な振る舞いを咎めるようなこともなさそうだ。二重の意味で、安堵する。
「私はチキ。よろしく。ちなみに私も神だから」
 ぺこりとお辞儀をする。シキはげに美しき土下座をして返した。ああ、床が生暖かい。
「僕はイツカ。僕も神」
 再び土下座。額を床にぶつける。中身の詰まっていない音がした。
「こいつら馬鹿だから、そんなに畏まらなくてもいいぞ。俺には必要だが」
 と、ふんぞり返るカガ。
「馬鹿が何か言ってるけど、気にしなくていいわよ。見た目は普通の人間と変わらないし、普通でいいわよ」
 即座にチキが返した。
「そうそう。あまり畏まられても困るからさ。さあ、いつまでもそんなことしてないで、どうぞこちらへ」
 イツカに促されて向かった先は、あの大きなテーブルだ。
 いつの間に用意していたのか、温かい緑茶。
「どうぞ」
 椅子を引かれる。レイの隣の席だ。
 し、失礼します、と少しばかり裏返った声で言葉をかけてから、レイを窺うようにして腰掛ける。
 見た目は明らかにシキよりも年下だ。しかし酷く落ち着いた雰囲気は老齢のようにも感じられる。そして、妙な威厳、威圧感が漂っている。さすが神。これぞ神。
「レイ様もどうぞ」
「ありがとう」
「おい、俺の分は?」
「私もちょうだい」
「はいはい、ちょっと待ってて」
「うおーい!あたしまだ自己紹介してないよー?」
「あそこの赤毛、マヨ」
 カガが面倒くさそうに言った。
「投げやりな紹介をどうもありがとう。ひどいやひどいやっ」
 蹴り飛ばされていい加減な紹介をされ、さらにつるっつるのフローリングを滑ったせいか、摩擦で肘を火傷し、涙目のマヨ。
 そんな彼女に、レイがおいでおいでと手招きする。
 さっきまでの落ち込みは何だったのか、ぱっと笑顔を見せて、レイの元に駆け寄るマヨ。もし尻尾があれば、すごい勢いで振られていることだろう。
 駆け寄ってきたマヨの頭を、いい子いい子とレイは撫でる。
「あー!!」
 指を差し、叫び声を上げる従者三人。悔しそうに拳を握り締め、机を叩く。
 何なのだろう、この従者達は。神々のくせに、日常がコント化している。つっこめばいいのか、悪いのか。どうでもいいことに悩んでしまう。
 それにしても。
 シキはレイの横顔を、ちらりと盗み見る。
 非常に綺麗に整った顔立ちをしている。それだけで敬愛を抱いてしまいそうだが、彼女の落ち着いた雰囲気がさらに虜にさせる。従者達のはしゃぎようもなんとなくわかる。はしゃぎすぎの気もするが。
「シキはどこの子?」
 ふいにレイが話しかけてきた。
「うっ?あ、はい、えっと……」
 声が裏返る。
 心の準備が出来ていなかった。美貌に見とれていました、なんて言えるはずもない。
 するとレイは勘違いをしたのか、言った。
「大丈夫。私達は人間を食べるわけじゃないから」
 だから恐がる必要はないということなのだろう。
 だがその前に、あれほどの妖魔を簡単に退却させたのだ。その力を前にして、恐れを抱くなという方が無理だろう。
「シキのお家はどこ?送ってあげるから」
 レイの質問に答えようとして。
 思い出した。あの光景を。木っ端微塵に砕かれた我が聖域を。
 シキは頭を抱えた。
 オゥ、マイゴッド。
 忘れかけていたホームレスという事実が、重く圧し掛かる。
 この状況は非常にまずい。おかしな人間とわけのわからない妖魔、あとはコント化している神しかいないこの場所で、宿無しは危険極まりない。友人知人に泊めてもらえばいいのだろうが、簡単にそうできない訳がシキにはある。
 いや、それよりも。
 自分の身の安全は自分の身で守る。それだけの力はあるつもりだ。
 だが、それよりも一刻も早くあの瓦礫の山から大事なものを掘り起こさなければ。あれは、大切な形見なのだ。他の荷物は諦めがつく。しかし形見だけは失うわけにはいかない。今は何よりも優先させるべき事柄だ。
 こうしてはいられない。
 シキは立ち上がる。ひとまず連絡をしなければ。
 ポケットの携帯電話を取り出し――投げ捨てた。携帯電話はぴっかぴかでつるっつるのフローリングをどこまでも滑っていく。もうそのまま宇宙の果てまで滑ってしまえ。そんな気にさせる。
 画面のみならず、本体全て到る所に入った無数のヒビ。当然、電源など入るはずもない。
 無理もない。ポケットに入れたまま戦闘を行ったのだ。地面に叩きつけられた際に大破したのだろう。
 全財産のみならず、知人友人全てのデータさえ消え去ってしまった。バックアップなど取っているはずもなく。
 最悪だ。今日は厄日だ。
 ごんごん、と何度も頭をテーブルにぶつける。やはり中身がすっからかんの音がした。
「一人で騒がしい子ね」
 チキがつぶやく。
 あんたらに言われたくないと返そうとしたが、今は漫才をやっている場合ではない。
 こうなったら、帰って事情を話すしかない。ここは第二区域のどこで、第一区域から一体どれほど離れているのか、あれからどれくらい時間が経ったのか、何もかもさっぱりわからないが、とにかく帰るしかない。それに、あの妖魔はまだ倒していないのだ。これ以上犠牲が増える前に、何とかしなくてはならない。もしかしたら今現在も第一区域で暴れているのかもしれないのだ。
「すいません、お世話になりました。帰ります。また後で必ずお礼に伺いますので」
 早口でそう告げ、駆け出す。一刻も早く帰らなくては。
「あ、ちょっと待った」
 チキがそう言った直後、
「んがっ!」
 見えない壁に思い切りぶつかり、思い切り弾かれ、思い切り倒れ、思い切りフローリングで後頭部を打ちつける。やはりフローリングは、床暖房のためか、生暖かかった。
 顔と頭。前と後ろを押さえ、悶絶するシキ。
「帰るったって、もう夜よ。今日はもう危ないから泊まっていきなさい」
 痛みのあまりフローリングをごろごろと転がるシキをまったく無視して、チキがそう告げた。
「さんせーい!」
 痛みで悶絶するシキを無視し、マヨも声をあげる。
「じゃあそういうことで」
 レイも痛がるシキを無視して頷いた。
 レイの一声に、カガもイツカも盛大な拍手を送り、賛同の意を示す。
 今日は厄日だ。厄日に違いない。家を粉砕され、助けられたかと思えばそれは、個性を貫きすぎてぶっ飛んでいるとしか言えない神々だった。神への敬意は脆くも崩れ落ちる。
 神なんていない。神なんて信じない。ただの奇人変人の類でしかない。
「いや、でも成れの果てが……」
 痛みを我慢し、ようやく絞り出した言葉にマヨが答える。
「ああ、あいつなら今は姿を消してる。こっちも捜索してるところだ。今のうちに体勢立て直しといた方がいいだろ?」
 それから、にっと人懐っこい笑みで言った。
「休養も大事。休むのも仕事のうちだ」
 とりあえず被害が広がっていないのであれば、休養するのも手だろう。
「…今、何時ですか?」
 頭をさすり、涙目で尋ねる。生理的な涙と、厄介な人達の出会ってしまったという、ちょっぴり精神的なものが混じった涙。
 聞かれて、従者4人が腕時計を見やる。
「11時10分」
「11時15分」
「11時16分」
「11時23分」
「ばらばらすぎるわ!」
 神に対する敬意が崩れ去ったため、遠慮なくつっこんだ。
「11時15分。もちろん夜の」
 レイの答えとぴったりだったカガは、天に向かって拳を突き上げる。所謂、ガッツポーズというやつだ。ニアピンだったチキは、ちっ、と悔しそうに舌打ちする。まったく違っていたイツカとマヨは、無言でさっさと時計を合わせ始めた。
 それを生暖かい目で見つめながらも、シキは考え込む。
 確か買い物に出かけたのが四時過ぎだったはず。妖魔に襲われたのが五時前ぐらいだろうか。ということは、六時間も気を失っていたことになる。
 ごくり、とつばを飲み込む。
 本当に気絶していたのか、それとも昔のように――。
 いや、やめよう。考えるのはよそう。考えれば考えるほど、滑り落ちていってしまうのだから。
「そうだ、シキ」
 イツカが妙にそわそわしている。
「お腹空いてないか?何か食べる?遠慮しなくていいから」
「あ、いえ、大丈夫です」
 気絶していたのだ。腹など空くわけが無い。それに、命を助けてもらったうえに、食べ物を要求するほど図々しくは無いつもりだ。
「え?いやいや、別に遠慮しなくていいから」
「え?いや、遠慮とかじゃなくて……」
「えっ?」
「えっ!?」
 「え」を何度繰り返せばよいのか。しかしわけがわからないので「え」を返すしかない。
「お腹……空いてないの……?」
 まるでこの世の終わりを迎えるかのような表情。何か失礼を働いてしまったのだろうか。
「え、ええ……むしろお腹一杯です」
 遅すぎる昼食、早すぎる夕食でハンバーガーを食べたのだ。あの妖魔のせいで全てを平らげることはできなかったが、まだ消化できずに腹の中に残っている。
「まさか、そんな……」
 絶望。まさに絶望の表情で、崩れ落ちるイツカ。何が一体そんなに絶望なのか、シキには理解できない。
 戸惑うシキに、マヨが説明する。
「イツカは来客に食事を振舞うのが趣味なんだ。たらふく食べさせたいらしい。別に気にしなくていいぞ」
 まったくもって奇妙な趣味だ。
 ありがたいのか迷惑なのか、よくわからない。
「それじゃあ、寝よう」
 レイが立ち上がる。
 なぜか拍手が沸き起こる。イツカまで、さっきまでの落ち込みは何だったのかと言いたくなるほど、盛大な拍手を送っている。
 鶴の一声とは、まさにこういうことなのだろう。よくわからないが。
 まあいい。寝て起きれば明日だ。早いうちに失礼して、第一区域に帰ろう。対応に困りすぎる神々の相手をするのも、あと少しのことだ。
 シキも賛成の意を示し、拍手を送った。







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