-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第一話:第一区域
「デーモンクォーターが運命のダイスを手に入れることについて語ろう」:其之九


 

 バイクは順調に通りを駆け抜ける。シキが道案内をせずとも、目的地に近づいていく。
 この狭い道を通り抜ければ、大通りに出る。他よりもかなり真新しい道、真新しい建物。二年前、破壊されて、新しく建造された一画だ。
 バイクのエンジン音だけが耳を打つ。マヨのやかましい声は聞こえてこない。ここに来てからというもの、なぜか妙に口数が少ない。
 大通りに出る前に、バイクは一旦停止する。左右を確認。安全運転を心がけているようだ。
 シキにとって、ここはあまり来たくない場所だった。二年前、ここで多くのものを失った。
 しかし家から一番近いホテルはここしかない。安全面でも、ここが一番だろう。人通りが多く、真新しいためセキュリティもしっかりしている。背に腹は変えられない。
 停止したバイクはなかなか動き出さなかった。マヨはただぼんやりと風景を眺めている。
「マヨ?」
「ん、ああ。悪い悪い」
 取り繕ったような笑みを見せる。
「すっかり見違えたな」
 独り言なのだろう。エンジン音にかき消されそうだったが、シキの耳にはしっかりと届いていた。
 ゆっくりとバイクが動き出す。ホテルの看板を掲げる建物に、一直線に。
「とりあえずここにしとくか」
 シキは建物を見上げる。真新しい建物だ。中もきっと綺麗なのだろう。
 本来なら、ホテル暮らしに少しばかり心を躍らせるところなのだが、今は微塵も楽しさを感じない。それどころか、しばらくここで暮らすことを考えると、目の前が暗くなってくる。
 ここは、よくないのかもしれない。もしまた心を落とすようなことがあれば、多くの人に迷惑をかける。
「シキはバイク見張っててくれ。二人して離れると盗まれちまうからな。あたしは中で交渉してくる」
 シキは少し考え、バイクから降りようとしたマヨの腕を掴む。
「やっぱここはなし。このまままっすぐ行って」
「え?けど」
「いいから、早く。ゴー」
「お、おう」
 言われたとおり、再びマヨはエンジンをかけ、バイクを発進させる。
「なあ、シュガ様ん家にしばらく厄介になるってのはダメなのか?」
 マヨが振り向き、問う。前を向いていなくとも、その目にはちゃんと前方が視えているのだろう。しっかりと人や障害物を避けている。
「ダメってことはないと思うけど……」
「けど、何だよ」
「ただでさえ忙しいんだ。これ以上迷惑かけたくない」
 力になれるならまだしも、シュガの負担にしかならない。それは絶対に避けたい。
「川があるから、そこでちょっと休憩」
 シキの指示通り、マヨはバイクを向かわせる。
 道案内はしない。そんなものはなくても、マヨの目にはもう目的地が映っているのだ。
 並木道に川。小鳥のさえずりがよく似合う。
「綺麗な川だな」
 太陽の光が水面に反射して、きらきらと眩しい。
 マヨはバイクから飛び降りると、さっそく水辺に駆け寄って、手を水に浸す。
 シキはバイクと共に、マヨの元へと向かう。
「エルフ達ががんばってるから、この辺は綺麗なんだ」
 と、自分で言っておきながら、シキは首を傾げる。シュガがエルフ達との交渉に苦労しているのを思い出したのだ。
「がんばってる?いや、暴走かな」
 住民に癒しの場を、という緑化計画ならいいのだが、エルフ達は本気で第一区域全てを森にするつもりなのだから、それはもはや暴走としか言いようがない。本人達にはまったく悪気がないのだから余計に始末が悪い。
 水辺では楽しそうにマヨが石投げに興じている。水面を、一回、二回、三回跳ね、川底に沈んだ。
 川辺を見渡し、適当な大きさの石にシキは腰を下ろす。
 自然とため息が零れる。
 あの場から逃げ出してしまった。まだ目を背けたままだ。
「シキはさ」
 石投げに飽きたのか、マヨはシキの隣に腰を下ろす。
「あの時は、無事だったのか?その、二年前の……」
 二年前。成れの果てと呼ばれる凶悪な妖魔が、第一区域の多くの住民達を殺し、街を破壊した事件だ。
「生きてるんだから、無事ってことになるのかな。あの時の、唯一の生き残りだよ」
 正確には、生き残りはあと数名いる。しかし、五体満足で今もこうして普通に暮らせているという意味を含めれば、シキは唯一の生き残りだ。
 成れの果てを倒したスイは、今も眠ったまま。チカが命を懸けて守った子供は、足に麻痺が残り車椅子生活だ。他にも腕を失った者、足を失った者、半身不随の者、瘴気に当てられて寝たきりとなった者、正気を失った者、みなが後遺症で苦しんでいる。
 シキだけが、以前と変わりなく暮らせている。
「シュガ様がちょうどいなかったから、大変だった。チカは……母親代わりだった人は死ぬし、親友はあれ以来目を覚まさないし」
「……悪かった」
 一瞬、彼女が何を言ったのか理解できなかった。聞き間違いかと思ったが、間違いなくマヨはそう言ったのだ。
「あたしがちゃんと予知できてれば、あんなことにはならなかった」
 マヨは俯いている。
 ここからではマヨの表情が窺えない。だが、自責の念に駆られているのはよくわかる。
「ちゃんと力を自在に操れていれば、誰も死ぬことはなかったんだ。シキも、大事な人を失うことはなかったんだ」
 マヨらしくない。そう思ったが、シキはすぐに考えを改める。
 マヨは、こいういう性格なのだろう。人懐っこく、面倒見が良い。明るく振る舞っているが、その実、人の心の動きには敏感だ。そしてその能力があるからこそ、誰よりも「守れなかった」ことに責任を感じるのだろう。
「それは違うよ」
 はっきりと、力強く、シキはマヨの言葉を否定した。
「未来を自由に覗き視れる能力なんて無い。それは人間が操るべきじゃない。だからマヨは未来や過去を、自分の意思で自由に視ることはできない。人の身に余る。精神が持たない。だから、操れなくていい」
 マヨが顔を上げる。シキを見る。
 シキは、言った。
「マヨが責任を感じることなんてないんだよ」
 マヨは大きく目を見開き、それから眉が八の字になり、唇をかみ締め、泣きそうになるのを必死で堪えている。
 シキは、笑いそうになった。
 よく笑って、よく怒って、泣いて。表情がころころ変わって、まったく忙しない。なんだかスイに似ている。スイが目覚めたら、二人は良い友人になれるのではないだろうか。
 シキはバイクに手を伸ばし、ハンドルにかけてあったヘルメットを取る。安全第一ヘルメット。それを、おもしろい顔で涙を堪えているマヨに被せる。
 余計におもしろいことになった。
 思わず吹き出す。
「んなっ!な、何笑ってんだよ!」
 今にも泣き出しそうだったのが、今度は怒り出した。本当によく表情が変わる。
「マヨは元気な方がお似合いだよ」
 ぺちぺちと黄色いヘルメットを叩く。
 しばらく、ぐぬぬぬぬ、と赤い顔をして怒っていたが、急に、にかっと笑顔を見せる。
 あまりにも表情が豊かすぎて、見ているこっちは少し疲れる。だが、嫌な気はしない。一緒にいて、飽きない。
「シキは優しいな。善い奴だ」
 何を言うかと思えば。
 シキはため息混じりに返す。
「どこが。悪い奴だよ」
「何でだよ」
「視たんでしょ、過去」
 目の前のものを破壊し、殺してきた過去。
「うっ……まあ、でも今は違うだろ」
「そうでもないよ」
「ああいうことって多いのか?その、見境がなくなって、暴れたり」
「ちょっと前まではほとんどなかったよ。でも、最近は多くなってる」
 言いながらつま先の小石を拾い、川に投げる。水面を跳ねることなく、トポン、と静かに沈んだ。
 原因はわかっている。チカがいなくなり、スイは目覚めぬまま。今まで心を与えてくれた者達が、相次いでいなくなった。
「それって、やっぱり……」
「私が弱いからだよ」
 シキは強い口調で、マヨの言葉を遮った。マヨが自分自身に向けた苦悩の矛先を、無理やり外させるためにも。
 もしマヨが成れの果ての来襲を予知できていたとしても、チカはあの時死ぬ運命だったかもしれない。スイは自分を犠牲にして能力を使ったかもしれない。今より良い未来であるとは限らないのだ。
 だから、マヨが自分を責める必要などない。むしろ責められるべきなのは――。
「あの場にいたのに、私は何もできなかったんだ。何ひとつ力になれなかった。今も、力になれないままだ」
 自分よりも生き残るべき者は、もっと他にいた。あの日、シュガを支えていた何人もの人物が死んだのだ。そのせいで、ただでさえ多かった仕事量が、負担が、シュガ一人に重く圧し掛かる。なのに辛さも疲れも感じさせない素振りで、以前と変わりなくシュガはシキに接する。それが、シキにとっては負い目となる。感情のこみ上げるままに、怒りをぶつけてくれた方がまだ良かったと。
「チカは、シュガ様の親友だった。シュガ様と一緒に第一区域を治めてた。私は、シュガ様からチカを奪ったんだ」
「それは違う」
 今度はマヨが、力強くシキの言葉を否定する。
「仕方ないじゃないか。だってあの妖魔、強かったんだし、スイの能力がなきゃ止められなかった。チカは、子供の命を守ることを優先したんだろ?なら仕方ないじゃないか!」
 最後はほとんど叫んでいた。赤と銀の目に、再び涙が滲み出る。
「そこも視えたんだ?」
 スイの名前はマヨには教えていない。スイが能力を使って成れの果てを倒したことも。そしてチカが命を懸けて子供を守ったことも。
 そうなると、答えはひとつ。マヨはシキの過去を、あの出来事を、一部始終視たということだ。
「視た。シキがうちで眠ってる時、いろいろ視えた。二年前のあの日のこと、シキが小さい時のこと、じいさんのこと」
 祖父のこと。
 水面を見つめる目が、自然と険しくなる。
 一番初めの、はっきりとした記憶。血に染まり、動かない男。男の額には角がある。彼の頬を伝う雫に触れる。これが、涙。感情が高まると零れ落ちるもの。生まれて初めてそれを理解した瞬間。そして己の行為を理解した瞬間。
 それが、心を宿したシキの一番初めの記憶だ。
「祖父のことは……」
 そこから先、言葉が出てこなかった。言葉が、感情さえもうまく見つからない。
 それを探し出さないことには、光明が見えないことはわかっている。しかし、まだだ。まだ、向き合う勇気が持てないでいる。
 忌々しくなって、つま先の小石を蹴り飛ばす。
「よく、わからない。酷いのは、わかってる。でも、まだ、今は……」
「あのさ、シキ。あたしは、レイ様に拾ってもらう前は、かなりめちゃくちゃやってたんだ。窃盗団っていうかギャングっていうか、ほんと何でもやるような集団にいたから」
「へぇ、マヨが?」
 意外だった。その目があれば、窃盗殺人、どんなあくどい事も難なくやってのけれそうだが、今のマヨの性格からはそんな事をしていたとは想像ができない。騒々しい馬鹿だが、お人よしでどこか憎めない。そんな彼女が裏の世界奥深くに身を置いていたとは、言われるまで誰も思わないだろう。
「で、昔は悪党のマヨが何?」
 冷たく言い放つ。もし説教ならば、徹底的に歯向かってやろうと思っていた。自分の問題だ。説教など受けたくない。
「アンダーグラウンドの世界にどっぷり浸かってたあたしが日の目を見れるようになったのは、もちろんレイ様のおかげ。抜け出すきっかけをくれたのもレイ様。レイ様ラブ」
 ごく自然に付け足された最後の一言は聞き流す。
「組織を抜け出す時のことは今でも鮮明に覚えてる。ほんとこれ以上ないってくらいぼっこぼこにされて、マジで殺されそうになって。でもその時、ああ、これが自分がやってきたことの報いなんだなって思った。こうなったのも自業自得。集団に属してその立場を利用はしても、誰も信用せずにずっと一人で生きてきたんだ。そんなあたしを、誰かが助けてくれるはずもない。せっかくレイ様に出会えたのに、もう一緒にいられない。死ぬ瞬間に、すごく後悔したんだ。だから」
 マヨはシキに向き直る。赤と銀の不思議な目でシキを映し、力強く、言葉を紡ぐ。
「あたしは、シキにはそんなふうになってほしくない。後悔して、ずっと立ち止まったまま生きてほしくない。一人で立ち向かうのが恐かったら、誰かに頼ったっていいじゃないか」
「誰かって、そんなやついるわけない」
 ずっと線を引いて生きてきた。近づかないように、近づかせないように。不意に、殺してしまわないように。
 恐かったから。今まで、ずっと。
 祖父のように、自分が何をしているのか、どうしてそうなったのかよくわからないまま、目の前の大切な命を奪ってしまうかもしれないから。
 だから、線を引くしかなかった。
「そんなふうに、生きてない」
「シュガ様がいるだろ。レイ様もイク様もいるし、あたしだって力になる。きっと、カガもチキもイツカも協力してくれる。誰だっていい。友達とか同僚とか、誰かいるだろ。シキは、自分を周りにいる人達から避けてる。それって、自分を否定することにならないか?」
 避けてても事態は変わらないわよ。
 不意に思い出したのは、チキに投げかけられた言葉だ。
 わかっている。
 必要なのは、受け止める覚悟だ。けれども――。
「せっかく出会えたんだ。迷惑かけてもいいじゃないか。甘えたっていいじゃないか。あたしは、シキが困ってることがあるなら、何だって協力するさ」
「あまり首突っ込まない方がいいよ」
「そうじゃない!そういうことじゃない!だって友達じゃないか!」
 数秒、思考が停止した。
 友達。友達。
 心の中で何度もつぶやく。
 そしてようやく理解する。
「とも……だち……?」
「そうだよ。何だよ。わりーかよ?」
「いや、その、悪くない……です」
 友達。
 思い返せば、本当の友達と呼べるような付き合いのある者は、スイだけだった。スイには、何でも話せた。悩み事も相談できた。どんなくだらないことでも話して、一緒に笑っていられた。
 そういうことができるのが、「友達」なのだろう。
 その「友達」が、まさかここにきて、できるとは思いもしなかった。
 シキは鼻を擦る。口元には、微かに笑みがあった。
「そっか、友達か……」
 なんだかこそばゆい。少し恥ずかしさもある。けれど、悪くない。
 もしかしたら、そういうのを求めていたのだろうか――?
 奥底で固く凍りついていたものが、温かく、溶け出すような気分だった。
「友達が困ってたら助けるのは当たり前なんだ。あたしにできることなら、何だってやるさ」
 避けていても、事態は変わらない。
 その言葉の意味を、改めて噛みしめる。
 受け止めてくれるだろうか。受け入れられるだろうか。
 チカが生きていたら、笑って背中を押してくれる気がした。痛いくらいに背中をばしばしと叩いて、新しく友達ができたことを喜んでくれるだろう。そしてスイは、シキの友達は自分の友達だと言って、大はしゃぎするに違いない。
 暗く沈んでいた気持ちが、一筋の光に照らされたようだった。
 一歩、近づいてみよう。スイにどこか似ているマヨなら、線を越えられるかもしれない。
「……それじゃあ、友達に頼もうかな」
「おっ?何だ何だ?何でも言ってくれ」
「家が壊れたんだ。それはもう見事なくらい木っ端微塵に。だから、しばらく泊めてほしいんだけど……」
 シキの申し出に、マヨは目を丸くする。それから、満面の笑みで大きく頷いた。
「ああ、もちろんだ。任せてくれ」
 あの神々に弄られるのは不愉快だが、少しの我慢だ。いざとなればマヨを生贄に差し出せばいいだろう。それに、今のこの状態でホテルに泊まるのは危険だ。自分を保てなくなり、誰かを襲うかもしれない。ここは素直に誰かに頼った方がいい。誰か。いや、「友達」に。
 久々に、心が躍る。
「よっしゃ、それじゃあひとまずレイ様達と合流しよう」
 ぽん、と膝を叩き、マヨは勢いよく立ち上がる。
「うちに泊まってる間に、ゆっくりと新しい家を探せばいい」
 その好意に甘えることにした。
 シキも立ち上がる。
「とりあえずチキのところに戻ればいいか」
 マヨは手でひさしを作り、チキのいる方向を見据える。
「あいつほんとマイペースだな」
 まだあの特性手作りコンクリートベッドで、自分の家の如く堂々と優雅にごろごろしているのだろう。
 その光景がいとも容易く目に浮かんだ。
 これから奇行が目立つ神々としばらく暮らすことになるのかと思うと、少しばかり心構えがいる。
「んっ!?ちょっと待て!」
 マヨが一歩、後ずさる。
「あいつ……!こっちに来る!?見つかった!?」
「何?」
「あの妖魔だ。成れの果てだ!」
 緊張が走る。
「やべぇな。一応チキに援軍に来てもらうか」
 マヨは携帯電話を取り出す。
 逃げるという選択肢は、シキにもマヨにも、毛ほどもない。
 シキは、第一区域内の治安を守る役目を担っている。マヨが仕えるレイは、第一区域から第七区域まで、区域を越えての、凶悪な人間、または妖魔を殴り飛ばす役目を背負っている。
 責任感が強いからということにしておこう。やられっぱなしは癪に障るという意地は置いておいて。
「やっぱりあいつ、シキのこと狙ってんじゃないのか?わざわざ追っかけてくるなんて、ストーカーだぞ」
「何それ、気持ち悪い」
「心当たりは?」
「ないに決まってる」
 吐き捨てるかのように返す。あってたまるか。
「どっちから?」
「あっち」
 妖魔が来るであろう方向を睨みつける。
 今は丸腰。愛用の刀は折れて使えなくなってしまったが、戦力が劣ることはない。能力がある。
 ようやく電話に出たチキに、マヨは話しかける。
 それと同時に、現れた。
「来たよ」
 川の向こう岸に姿を現した成れの果て。間違いない、あの妖魔だ。
 まっすぐこちらに向かって来る。
 川が、割れた。水が妖魔を避けて流れる。
 やはり水を操るのか。
 相性は悪いが、勝機がないわけではない。こちらは二人。それにしばらく持ちこたえれば、強力な援軍がやって来る。チキだけではない。レイもシュガもいる。できれば自分の手で葬りたいが、ここで確実に倒せるのならば仕方あるまい。やはり成れの果てを放っておくことはできない。被害を拡大させることだけは何としても避けたい。
 こちら岸に妖魔がたどり着く。
 シキは身構える。マヨも、チキに電話で居場所を伝えつつ、妖魔の動きを警戒する。
 妖魔は、地を大きく踏みしめた。
 この動作には見覚えがある。覚えがありすぎて、考えるよりも先に身体が動いていた。その場から跳ぶ。跳びながら、マヨに向かって叫ぶ。
「逃げろ!」
 狙いを定めたのはシキかマヨか。それはわからない。それなら、二人ともその場から移動すれば、二人とも攻撃を受けることはない。
 一秒、二秒、タイムラグがあり、三秒にて、それは発動する。
 足元の土が盛り上がる。
 狙ったのはマヨの方だった。土の柱が空に向かって伸び上がる。
 これは以前、シキがこの妖魔に使った技だった。
 マヨは反応が遅れた。咄嗟に上体を後ろに反らして避けようとするが、かわしきることはできなかった。
 突き上がる柱に巻き込まれ、マヨの身体が宙に浮く。
 シキは駆け出した。走りながら土を操り、槍を形成する。妖魔がマヨに追撃を食らわせる前に、割り込んだ。素早く突きを繰り出す。
 妖魔はそれを、羽虫でも追い払うかのように、軽々しく手で払う。触れた瞬間、槍の形を保てなくなり、崩れた。崩れたそれを今度は妖魔が操り、棍棒のような形に変える。
「こいつ!」
 シキは右に跳び、妖魔が振り下ろした土の塊を避けた。
 勘違いしていた。この成れの果ては水を操るのではない。それは本来の能力の派生でしかない。この成れの果ては、見た技、もしくは能力を自分のものにできる力を持っている。
 あまりにも厄介。戦えば戦うほど、この成れの果てに力を与えることになってしまう。
 今、ここで仕留めなければ。
 再び土を操り、適当な長さの棒状を形成する。
 何でも良かった。今妖魔が操っている土の塊と、自分が操っている土の塊を触れさせることができればそれでいい。それで妖魔の操る土を吸収してしまえばいいのだ。
 相手の能力をコピーできると言っても、所詮は付け焼刃。同じ能力であれば、オリジナルであるこちらが優位のはず。
 その推察どおり、シキは首尾よく妖魔が操る土を奪い取ることに成功した。吸収し、即座に槌へと形を変える。そして、全力で振り下ろした。
 直撃。手ごたえはあった。ありすぎたぐらいだ。
 だが、妖魔は倒れない。少しぐらついた程度だ。然したるダメージではないようだ。
 追撃。それはマヨの手で行われた。自慢の長刀でなぎ払う。
 ギン、という甲高い金属音を響かせる。
 体勢を崩したのはマヨの方だった。あまりにも硬すぎる妖魔の皮膚に、マヨの長刀が弾かれた。
「くっそぉ!」
 マヨは重心が後ろに傾いた身体を戻す反動で、再び刀を振り下ろす。
 マヨの攻撃に合わせ、シキも攻撃を仕掛ける。槌を剣の形に変え、妖魔を袈裟斬りにする。
 正面からシキが、背後からはマヨ。
 妖魔は避ける気配を見せない。それどころか、攻撃を待っているかのような。
 本能的な危機察知。シキは攻撃を止める。
 妖魔の身体から、炎が立ち上る。
 これも見たことがある。これは、カガのあの漆黒の炎だ。
 予知能力が無くとも、次の瞬間は予想できた。
 爆発。
 成す術なく吹き飛ばされる。
 前後左右、上下不覚のまま、思い切り地面に叩きつけられた。
 全身に激痛が走る。息が詰まる。
 それでも気力を振り絞り、重力に反発して身体を起こす。
 手が赤く染まっている。生暖かい液体が顔を濡らす。全身が痛む。どこを怪我したのか正確にはわからない。
 顔を上げ、霞む視界でマヨを探す。
 しかしマヨを確認する前に、先に捉えたのは妖魔の姿。目前にあった。
 痛みに呻きながらも、立ち上がろうと足を踏ん張る。
 腕をつかまれた。
 やられる。
 次の衝撃に備え、身を硬くする。
 だが、それは来ない。
 妖魔を見る。
「仲間」
 はっきりとしない発音だったが、確かにそう言ったのがわかった。
 仲間。何を言っているのか理解できない。
 いや、そもそも成れの果てが言葉を発することに驚く。彼らはただ暴れるだけの妖魔のはずだ。そういう存在だったはずだ。
 一体、どういうことだ。
 シキは妖魔の目を見る。金に光るその目を、思わず見てしまった。
 寂しい。
 全身に電流が走ったかのような衝撃と、痛み。
 怒り、憎み、恨み、次から次へと感情が流れ込んでくる。
 迫害され、逃げて逃げて、この地にたどり着き、しかし馴染めず、孤独と戦い――。
 映像が、容赦なく次から次へと頭の中へ流れ込んでくる。
 この世の全てを憎悪し、嫌悪する。この世の全てのものに、殺意を抱く。
 だが、それよりも圧倒的に大きな感情。
 寂しさ。
 誰も傍にいない。誰も受け入れてくれない。
 寂しい、寂しい、寂しい。
 人になれず、妖魔にもなりきれず、やがて心が砕け散り、そして、その「混り物」は「成れの果て」へと姿を変えた。
 シキは叫び声を上げる。叫び、つかまれた腕を振り払う。
 自然と涙が流れていた。
 そうか。
 理解した。なぜ成れの果てが自分の元へとやって来るのか。
 目の前が暗くなる。浮遊感が全身を襲う。
 成れの果ては、私なんだ――。
 沸騰した水のように、ぼこぼこと土が盛り上がる。砂が、シキの周りを舞い踊る。
「シキ!」
 マヨの声が耳に届く。声は届いたが、滑り落ちる心まで止めることはできなかった。
 心が、落ちる。
「やめろシキ!」
 マヨの制止が空しく響く。
 シキは、妖魔に向かっていった。もう完全に理性が働いていない。
 妖魔の右の拳を腰を落としてかわす。前に踏み出し、フック気味の右のパンチ。
 刀でさえ斬れない硬さを持つ妖魔相手に、無謀にも殴りかかった。
 当然、ダメージを受けるのはシキの方だ。拳が壊れ、血が噴き出す。
 しかし、痛覚がどこかへ吹き飛んでしまっているため、シキの動きは止まらない。
 土を操り、足を狙う。
 左足は避けられたが、右足は捕まえることに成功した。膝まで土で覆わせる。そのまま押しつぶすことができればいいのだが、この妖魔の硬さではそこまでの威力は出ない。
 さらに土を操り、槍を生成。全体重をかけて突くが、貫けない。それどころか傷さえつかない。今度はその槍で殴りつけるが、それでも妖魔が体勢を崩すことはない。
 もう一度殴りつけるが、受け止められる。
 妖魔は槍を掴み、シキを引き寄せようとする。
 と、マヨが横からシキにタックルを喰らわせる。二人はもみ合い、地面を転がる。
 なんとかマヨはシキに馬乗りになることに成功する。このまま押さえ込めればいいのだが、全体重をかけて全力で押さえ込んでも、リミッターの外れているシキ相手では完全に拘束できない。しかもシキは土を操る能力を持っている。ここで能力を使われれば、マヨはひとたまりもない。背後には妖魔も控えている。
「うおぉぉぉ!あたしやべぇ!すっごいやばい!」
 かと言ってシキを放せば、死ぬまで妖魔に突っ込んでいくだろう。
 千里眼で、妖魔がこちらに向かってくるのが見える。
 本格的に危ない。絶体絶命のピンチ。
「ちょっ、誰か……レイ様!チキ!」
 咄嗟に叫んだ名前。
 それに反応が返ってくる。
「はいはい、お待たせ」
 マイペースな返事。チキだ。
 どこからどう現れたのか、マヨと妖魔の間に割って入った。
 妖魔はその場から飛び退く。チキから大きく距離を取った。
「あら、いい判断ね」
 腐っても神だ。
 妖魔も何かを感じ取ったのだろう。チキが動く前に、妖魔が動いた。
 土と水、両方操り、彼女達に向ける。
 土砂崩れと洪水が、同時に襲い掛かった。
 マヨはその攻撃は無視を決め込む。チキがいるのなら、絶対に防げる。シキを押さえ込むことだけに専念する。
 土も水も見えない壁に阻まれ、彼女達を避けて流れる。全てが降り注いだ後には、妖魔はもうそこにはいなかった。
「逃げられたようね。さっさと結界張って能力を封じておけば良かったわ」
 敵わないと思った相手にはさっさと逃走する。高度な思考を持たないと言われている成れの果ての癖に、判断力に優れている。
「チキ!こっちも頼む!」
 マヨを押しのけ、シキは起き上がろうとする。
 いくらチキの力で能力を封じているとはいえ、限界がきている。
「じゃあ一発強烈なのをいっとく?」
「おいおい、やめてくれよ!」
「別にあんたごと殴るわけじゃないわよ」
「わかってるけど!」
「ああ、私じゃなくてシキに殴られることになるわね」
 チキが言い終わった直後、マヨの視界が回転する。今度はシキがマヨに馬乗りになる。
 拳を振り上げるシキ。思わず目を瞑るマヨ。
 その時だった。
「シキ!」
 シキの動きが止まる。
 マヨが薄っすらと目を開けると、シキは何の感情もない空虚な目で、ある一点を見つめていた。
 声がした方向。マヨが確認すると、そこにはシュガとレイの姿があった。
「シキ……」
 悲痛な表情のシュガ。
 喜怒哀楽の「怒」と「哀」を滅多に露わにしない彼女が、心を落としたシキの状態を目の当たりにし、悲痛な表情を見せる。
 シュガに殴りかかろうとしたシキに、マヨが再び組みつく。
 レイが歩み寄る。
「おやすみ」
 レイの手が、シキの目を覆う。
 時間にしてわずか一秒。
 シキはその場に崩れ落ち、動かなくなった。







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