-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第一話:第一区域
「デーモンクォーターが運命のダイスを手に入れることについて語ろう」:其之十


 

 コンコン。
 丁寧にノックをする。
 返事はなかった。想定内だ。
「入りますよ」
 シュガは声をかけ、扉を開ける。
 シキは上半身を起こして、窓の外をじっと眺めていた。ここからでは表情は窺えない。
 何か興味をそそるものでもあるのだろうかとシュガも窓の外に視線をやるが、ただ木々が風と共に揺れている風景しか目に映らなかった。
 シュガはベッドのすぐ傍にある椅子に腰掛ける。
「調子はどうですか?」
 尋ねると、大丈夫です、という簡単な答えが返ってくる。
 シキには、どうもしゃべることを面倒くさがる癖がある。シュガが仕事のことや私生活のことを聞くと、シキは少し考え、普通です、と答える。その普通が一体どういうことなのかが知りたいのだが、なかなか饒舌にはなってくれない。
 おそらくそれが、彼女にとっての距離の取り方なのだろう。
「悪くないのなら、良かったです」
 シュガは、そう返すしかない。
 いろいろ聞き出そうとすると、どんどん困り顔になって、それに伴い口数も減っていってしまう。最近の流行や音楽、今はまっているゲームのことを聞くと笑顔を見せて話してくれるのだが、シキ自身の、もっと深い中身に触れようとすると、いつも扉を閉められてしまう。
 生い立ちが関係しているのだろう。そういうことにして、極力繊細な部分には触れないように過ごしてきた。
 だが、それも限界に近い。
 突破口が掴めず、ずるずるとここまできてしまった。二年前のあの事件以来、彼女が心を落とす回数が、確実に増えている。目を逸らしてきた結果だ。誰でもない、シュガ自身が見たくないために、認めたくないために。
 このままでは、そう遠くないうちに――。
 考え、打ち消す。
 そんなことはない。そうはさせない。そのために、ちゃんと向き合うことを決意したのだ。
「シュガ様」
 先に口を開いたのは、シキの方だった。視線は窓の外のままだ。
「何ですか?」
「知ってたんですよね?」
 何を、とは返さない。言いたいことはわかっている。
 ガラス越しに、シキはシュガを見つめる。
「あの成れの果てが、私だってことです」
 いずれ直視しなければならない事実だ。
 一呼吸置き、シュガは頷く。
「そう、ですね……。貴女のような混り物が、ああいった妖魔に転じます。ですが、誰しも必ずああなるというわけではありません」
 これではまるで、言い繕っているみたいではないか。
 こみ上げていた数々の言葉を、一度飲み込む。こんなもの、気休めにしかならない。いや、むしろ逆効果だ。
 浮かんでは、消えていく言葉達。
 共に向き合うと決めたものの、手探り状態。どうすればいいのかわからなかった。何百年、何千年と生きてきて、正しい道を示してやることさえろくにできない。
 シュガは自嘲する。
 今まで自分は、忙しさにかまけて、何一つ、誰とも真剣に向き合ったことなどなかったのではないか。弾かれた者達が笑って過ごせる場所を作り上げるとの理想を掲げておきながら、結局誰一人ちゃんと目に映してこなかった。
 チカならば、どうしただろうか。
「必ずああなるわけじゃないけれども、限りなく近い。ですよね?」
 シキの口調は、不気味なほど落ち着いていた。
 その問いに、シュガは躊躇した。しかし、頷いた。向き合うことを決めたのだ。気休めも、偽りも、もうやめにしよう。
「そうです。このままでは、貴女も成れの果てになる可能性が高いです。特に貴女は力が強いですから」
 力の強い混り物が、妖魔の血に呑まれて理性を失い、暴走する。それが成れの果てだと、シュガは告げた。
 ただそれは、滅多に現れるものではない。なぜなら、それほどまで力を持った混り物が希少だからだ。しかしその類稀なる条件に、シキは当てはまっている。そこいらの人間や妖魔など相手にならないほどの力を持ち、幼少期は理性を持たず、時には残虐性を露わにし、己の妖魔の血に呑まれる。
 シキは、相槌を打つことも言葉を挟むこともせず、その目には何を宿すこともなく、ただ黙って聞いていた。
 また、沈黙が訪れる。
「私も聞いてもいいですか?」
 今度はシュガが、静寂を破った。
 数秒間を置き、シキは答える。
「何ですか?」
 目は窓の外に向けたままだ。
「どうして逃げなかったのですか?」
 相手はあの成れの果て。その強さはよくわかっているはずだ。
 シキは窓の外を眺めたまま、考え込む。
「敵わない相手だとわかってはいたんでしょう?」
「……逃げたく、なかったんです」
 いつもなら、そうですか、と返して、話題を切り上げていただろう。
 今日は、追う。
「なぜ?」
 シキは少し視線をさ迷わせ、つぶやいた。
「意地、だと思います。逃げれば、また失うような気がして……いろんなものが、零れ落ちていくような気がして……だから」
 言葉を切る。その先を、言おうかやめようか、迷っているようだった。
「だから?」
 シュガは先を促す。
「だから……あいつに勝てば、何か変わるかもしれないって思って……変えられるかもしれないって思って……」
 そうつぶやいた言葉に、シュガは心の底から安堵する。
 ああ、よかった。シキは、諦めていたわけではなかったのだ。彼女は彼女なりに、ちゃんと立ち向かおうとしていた。この状況を打破するために。
 なぜ、それに気づいてやれなかったのだろうか。後悔の念が押し寄せる。もっと早い段階で気づいてやれれば、手を差し伸べていれば、シキは簡単に心を落とすことなど無かったのではないだろうか。
 もっと勇気があれば。拒絶されようと、傷つけ傷つけられようと、ちゃんと向き合って立ち向かっていたならば、こんなにも彼女を苦しめることなどなかっただろうに。
 気づけば、シキの腕を引き、抱き寄せていた。
 驚いたのか、シキが息をつめるのがわかった。
「本当に、無事で良かった……」
 そうつぶやくと、シキは片手をさ迷わせ、おずおずとシュガの背に回す。それから、きゅっと服を掴んだ。
「ごめんなさい」
 搾り出したようなか細い声で、シキはつぶやいた。
「貴女が悪いことなんて、何一つありませんよ?」
「ありますよ」
「ありません」
「あるよ!」
 シキはシュガを突き飛ばす。
「だって、私は見殺しにしたじゃないか!」
 シュガの思考が、一瞬停止する。何のことを言っているのか、わからなかった。
「私は、助けられなかった!あの場にいたのに、大切な人だったのに、何も、何ひとつできなくて!」
 溢れ出すシキの感情に、シュガは戸惑う。しかし、なんとか隠し通す。
 今、ここで、自分が揺らいではダメだ。
「私は、親友を見捨てて、チカをシュガ様から奪ったんだ!」
 今度はシュガが息をつめる。
 そうか、そうだったのか。
 初めて真正面から受けたシキの思い。
 単純に、母親代わりだったチカが死に、悲しみで落ち込んでいるとばかり思っていた。おまけに親友も目を覚まさない。不安で、心配で、悲しくて、だからあまり笑わなくなり、そして心を落とすようになったのだと思っていた。心を与えてくれた者達が相次いでシキの周りからいなくなったから、心を落とすようになったのだと。
 しかし、違った。
 そうだった。彼女は、優しいのだ。
 心無く殺戮を繰り返していた幼き頃を過ごしたためか、彼女は身近な誰かを傷つけるのを極端に恐れるのだ。
 親しい者を失った悲しみはあるけれど、それよりも彼女は自責の念に駆られていた。多くの仲間を助けられなかったという罪悪感に。ただ一人生き残ってしまった事実に。それに押しつぶされて、自分を保てなくなっていたのだ。
 彼女は、自分の悲しみで押しつぶされそうなのではなく、誰も守れなかった罪悪感に囚われて、動けなくなっていたのだ。
 どうしてこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。この子の傍にいて、ずっと見守ってきたはずだったのに。この子の優しさを知っていたはずだったのに。
 失格だ。年長者として、上司として、保護者として、失格だ。何ひとつ、わかっていなかった。
「私は」
 シュガの中で、すっと動揺が引いていく。
 シキの思いは受けた。今度は自分が思いを打ち明けなければならない。
「貴女を責めることはありません。見殺しにしたとは、決して思いません」
 シキは言葉を詰まらせる。
 シュガは続けた。
「二年前、無事に生き残ってくれたのは貴女だけです。けれども、私は嬉しかったのです。貴女だけでも、生き残ってくれた」
「私なんかよりも、もっと……」
「いいえ。違います。どうかそんなに自分を貶めないでください。間違いなく、貴女も私にとっては大切な人なのですから」
 優しくシキの頭を撫でる。
「貴女は、私の娘のようなものですよ」
 もっと早く伝えればよかった。見守るだけではなく、きちんと言葉にして。
 シキの頬を涙がつたう。
「でも、私は、今も、シュガ様の力になれないままで」
 零れ落ちる涙を、シキは腕で乱暴に拭う。
「そんなことはありません。確かに貴女は二年前は何もできなかったかもしれません。でも、今は違うでしょう?同じ成れの果てが現れても、今の貴女なら、きっと多くのものを守れるでしょう」
 影でちゃんと努力しているのを見てきたのだ。力になろうと、がんばっているのを知っている。迷惑のひとつやふたつ、かけられたところで突き放せるわけが無い。それに、長年シキの成長をこの目で見てきたのだ。先ほどの言葉に嘘偽りなどない。もう家族のようなものだ。
「だから、自分を否定しないでください」
 しかし、シキは静かに首を横に振る。
「私は、今まで、何の感情も無く、何もわからないまま、多くのものを傷つけて……殺してきました。祖父さえも。そして、たぶん、これからも、きっとたくさんのものを傷つけると思います」
 シキは力強く握り締めた拳を解く。こわばっていた表情も、ふっと抜ける。まるで、生気が抜けたようで。
「わかってたつもりだった。理解して、それを受け入れていたはずだったんです。でも今は、わからない」
 縋るような目で、シュガを見つめる。
「わからないんです」
 シュガはぐっと奥歯をかみ締める。
 この苦しみは、シュガには理解できない。わかってやることができない。何を言ってもただの綺麗ごとにしかならず、気休めにもならない。
 シュガがしてやれることなど、ほとんど無いに等しい。
 やるせなさがこみ上げる。
「私は、生きていていいのですか……?」
 反射的に出そうになった言葉を、飲み込む。
 今の彼女に必要なのは、感情のままに発した安っぽい台詞ではない。そんなものではない。
 シュガは震える声を無理やり押さえ込み、告げた。
「その答えは、貴女自身で見つけてください」
 シキの目に、戸惑いの色が浮かぶ。
 突き放されたと思ったのだろうか。
 違う、そうではない。
 シュガは臆することなくシキの目を見つめ返す。
 これ以上どんな言葉を重ねたとしても、体裁を繕うだけ。余計な不安をもたらすだけだ。
 どうか、伝わりますように。
 祈るかのように、しかし力強く、シキの目をじっと見つめる。
 戸惑いで揺れる瞳に、やがて、生気が戻ってくる。やがて、シュガの目をしっかりと見つめ返す。
 伝わった。
「答えは、見つかるんですね?」
 シュガは、迷い無く深く頷く。
「ええ、必ず。貴女なら見つけられます」
 そして、再びシキを抱きしめる。
「もしも、間に合わなくて、最悪の状況になったのなら……」
 より一層、強く抱きしめる。
「私が、貴女を殺します」
 腕の中でシキは小さく頷き、そして、シュガの背中に腕を回した。







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