-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第弐話:第弐区域
「終の棲家に辿り着いた野良犬の昔話」:其之陸


 

 晴れ渡る空。雲ひとつ無い。
 厳しい寒さは通り過ぎ、ぽかぽか陽気が顔を覗かせる。
 なんて気持ちが良いんだ。
 何事もなければ、本当に気持ちがよい。何事もなければ。
「なぁ、あたし、軟禁中じゃなかったのか?」
 チキの背中に問いかける。
 あたしの前にはレイ様とイク様、それからチキ。レイ様とイク様は仲良く手を繋いで歩き、チキは従者という立場だからなのか、二人の後ろを歩いている。
「そうよ。軟禁中よ」
 チキは振り返らず答えた。
「軟禁中なのに、何で外ぶらぶらうろついてるんだよ」
「いいじゃない。散歩よ散歩。散歩の時間」
 あれから三日経った。
 レイ様と一緒にテレビ見たり、映画観たり、ゲームしたり、ぐーたらした日々を過ごした。自分でもほんと何やってんだろうって思う。
 けど、ずっと遊んでいたわけじゃない。レイ様に申し付けられて、なぜか勉強をさせられた。講師はイク様とカガ。
 あたしは何の学もないけど、読み書きと簡単な計算ぐらいはできる。母国の識字率の高さをなめんなよ。おかげでこっちに来た時も、すぐに読み書きを覚えることができた。計算も四則演算ぐらいなら普通にできる。
 なぜかわからないけど、レイ様はあたしの学識レベルが知りたかったようだ。どこからともなく問題集を持ってきて、片っ端から回答させられた。わからないところはイク様が一生懸命説明してくれたけど、一生懸命すぎて何を言っているのかわからない。見かねたレイ様が、カガを呼んで来て説明させていた。ちなみにレイ様は見てるだけだ。ただただ見てるだけ。教えてくれる気はないみたい。
 特にやることもないし、しょうがないから大人しく従った。不思議なもんで、褒められると嫌いなことでもやる気が出てくる。正解するたびにイク様がすごい褒めてくれるから、全く嫌にならなかった。
 おまけに三食おやつ付きだ。イツカのご飯は今まで食べたことがないくらい、どれもおいしかった。軟禁中のはずなのに、たらふく食べた。あたしの今までの人生の中で、一番豪華な食事だった。
 そんな三日間を過ごし、今日は初めて外に出た。散歩らしい。あたしは犬か。
 でも、こんな呑気な日々を過ごしていると、なんだかレイ様に飼われてる気分になってくる。ほんと、何やってんだあたしは。
「マヨはお散歩嫌い?」
 イク様が振り返り、あたしに訊く。
「いや、そんなことはないですけど……」
 イク様が眩しく見えて、あたしは目を逸らす。
 イク様は優しい。明るくてほんわかしてて、あたしのことをすごく気遣ってくれる。
 何の裏もない人と接して、こんなにのんびりした日々を過ごすのは初めてだったから、なんだかすごくむず痒い。叩けば埃しか出てこないあたしは、引け目を感じてしまう。
「嫌いじゃないなら、一緒に散歩して見て回ろうよ」
 イク様が駆け寄ってきて、あたしの手を握る。
「いろんな発見があって楽しいよ」
 笑顔が眩しい。
 あたしはまた目を逸らして、頬をかく。無垢な笑顔を向けられるのは慣れてないんだ。どう対応すればいいのか、本当に困る。まだアホ従者トリオを相手にしてる方が気が楽だ。
 イク様に引っ張られる。
 こんな風に手を繋いで歩くのは初めてだ。
 あたしはこの人と仲良く手を繋いでいい人間じゃないのになぁ。
 のんびりと、並んで歩く。本当にむず痒い。こんな経験、今までにないんだ。常に気を張って、周囲に気を配り、襲われないように歩かなきゃいけない。特にあたしの場合は見た目が派手だから、目を付けられやすい。だからいつも早足で、隠れるようにして歩く。目を使って、殺られないように常に周囲を視ながら。
 第二区域は、あたしの住む第三区域と違って、静かで綺麗だ。街全体がのんびりしている。おしゃれな店が立ち並んでて、みんな笑顔だ。
 そりゃそうだろう。第二区域は、七まである区域の中で最も安全な区域だ。なんでも第二区域を治めている領主様が死を司る神様らしく、他の区域の領主様からも一目置かれている。すごい強いらしく、あたしみたいな悪党を追っ払っちまう。悪い奴が入って来れないように関所を設けてるし、よそから悪党が入り込んでもすぐにやっつけちまう。だから争いが嫌いな妖魔や人間が集まっている。
 人望はあるのに、どういうわけかまったく姿を現さない。恥ずかしがり屋さんなんだろうか。だからどこに住んでて日ごろ何をやってるのか、さっぱりわからない。容姿も男だったり女だったり、子供だったという噂があり、どれが本当なのかわからない。
 謎に満ちた領主様だけど、それでもその領主様のおかげで第二区域の人々は安心して暮らしていける。
 あたしも一番初めに第二区域にたどり着いていたら、もっと違った生活が出来たかもしれない。今更遅いけど、やっぱりそういう気持ちは拭えない。ここだったら、ギャングなんかやらなくても生きていけただろうか。
 大きな通りをぶらぶらと歩く。
 あたしなんかと手を繋いでいたらイク様が汚れてしまうような気がして、手を振り払ってしまいたかったけど、イク様は許してくれなかった。痛いくらいにぎゅっと握られてて、ちっとも放してくれない。絶対放してやるもんかって言われてるみたいだった。
 イク様はひっきりなしにあたしに話しかけてくれて、店の前を通るたびに何か気になるものはないか、欲しいものはないかと尋ねてくれる。
 あたしは全部丁寧に断った。だって泥棒だし、軟禁中だし。そもそもなんで手を繋いで堂々と散歩してるのか、それ自体謎だ。ほんと何やってんだろう。
 やがて前を歩くレイ様が、大通りを逸れて行く。先にあるのは住宅地だ。
 人通りのない狭い道に入っても、人が倒れているようなことなんてないし、酔っ払いや薬物中毒者がたむろしてるなんてこともない。第二区域は、噂に違わず平和だった。
 レイ様を先頭に、住宅地を進んでいく。向かった先は、アパートだった。
 どこにでもあるようなアパートだけど、造りがしっかりしてる。それに外観も綺麗で、掃除が行き渡っている。あたしの住むボロアパートとは正反対だ。まあ、あたしが住んでるところはスラム街だから、こことは全然違うのは当たり前なんだけど。
「ここ、うちのアパートなの」
 きょとんとしているあたしに、イク様が説明してくれた。
「うちは不動産経営してて、アパートを貸し出してるの」
 なるほど。だからあんな大豪邸に住んでるのか。
 という納得と同時に、そういう商売が成り立つ第二区域はやっぱりすごいな、とも思った。
 うちは家賃を納める相手はその時々の権力者によって変わるから、決まった相手がいない。それに土地は奪い取るものだから、悲しいことに商売には成りえない。
「それで、何でここに?」
「ちょっとした仕事よ」
 エントランスの扉を抜けると、チキが二階へと上がっていく。
 その後をレイ様が続き、イク様も上がっていく。
 階段すぐ傍の部屋だった。
 チキが呼び鈴を鳴らす。
「何か用事が?」
「家賃滞納」
 チキが簡潔に言った。その間、呼び鈴をすさまじい勢いで連打している。
「扉蹴破って入ればいいだろ。それか、大家なら合鍵ぐらいあるだろ?」
「うちはそういった乱暴はしないし、お客のプライバシーは守る主義なの」
 壊れそうな勢いで呼び鈴を連打しているくせに何を言うか。ああ、奇行は別なのか。
 しかしこのままだったら、確実にチキは何かを壊すだろう。こいつは普段しれっとしてるが、結構短気な奴とみた。
「しょーがねーなぁ」
 あたしは扉を見つめる。正確には扉じゃない。その向こう、部屋の中だ。
 透視ならお手の物。得意分野だ。
 扉が透けて見え、玄関が映る。さらにその奥、キッチン、寝室と視ていく。当然だが、誰も居ない。
 部屋が荒らされた形跡はないから、強盗に押し入られた線は消える。なら夜逃げかと思ったが、荷物をまとめた形跡もない。クローゼットの中まで視てみたが、きっちりと服が収められているだけで変わった様子はない。
「夜逃げしたってわけじゃなさそうだな。金はちゃんと引き出しの中にあるし、服もそのままだ」
「何が視えてるの?」
「部屋の中。お前さんが暴れだしそうな勢いだから、仕方なく手伝ってやってんだろ」
 そう言うと、チキは目をぱちくりさせる。
「失礼ね。乱暴しないって言ってるでしょ。壊したら自分で直さなきゃいけないんだから」
「ああ、なるほどね」
 会話しつつ、部屋の中の様子を探る。
 インテリアや服からして、この部屋の借主はどうやら女のようだ。
 人間か妖魔かはわからないけど、人間だったらたぶんもうダメだろう。いくら第二区域が安全だとしても、ここはそういうところなのだ。
「もう諦めて片付けちまった方がいいんじゃないか?どうせ死んでるよ」
「もうしばらく待つ」
 ぽつりとレイ様が言った。
「無駄だと思いますよ?」
 レイ様だってわかってるはずだ。生きている可能性は限りなく低い。なんせここはゴミの掃き溜め。暴力が蔓延した、弱肉強食の世界だ。
「それでも待つ」
 レイ様はそっと部屋の扉に触れる。
 すごく悲しそうだった。
「探してみる」
 あたしにはわからない。
 なんで赤の他人なのにこんなに悲しんでいるのかわからない。お客さんだからってのもあるかもしれないけど、それでも関係ないだろう。親しい仲でもないだろうし。それに、こんなこと日常茶飯事だ。いちいち傷ついてたらやっていけない。さっさと次のお客さんみつけて綺麗さっぱり忘れてしまった方がいい。
 それなのに、何でこんなに悲しむんだろう。イク様も俯いてしまっている。
 関係ないのに。心を痛める必要なんてないのに。
 なぜだろう。あたしもちょっと胸が痛い。
 よく、わからない。わからないことだらけだ。
 でも、こういう暗い雰囲気は好きじゃないんだよ。
 あたしはがりがりと頭をかく。柄じゃないことはわかってるけど、いてもたってもいられなかった。
 仕方ない。わずかな希望に賭けてみるか。
 あたしは隣の家の呼び鈴を鳴らす。
「ちょっと、あんた何するのよ」
「事情聴取」
 チキの問いかけに、あたしは簡潔に答えた。
 しばらくすると、扉が開いた。
 出てきたのは若い女だ。見た目は普通の西洋人。種族はほぼ間違いなく人間だろう。
 妖魔が人に化けていれば、あたしの目ですぐに見破れる。どうしてもちょっとした綻びを見つけてしまう。妖魔は人に化けるのがヘタクソなのが多いからな。
「お忙しい中すみません。お隣のことでちょっとお伺いしたいんですけど、お時間よろしいでしょうか?」
 営業スマイルで話しかける。
 あたしの見た目にちょっと驚いたみたいだったけど、スマイルと低姿勢により、冷たくあしらわれることはなかった。良かった。すぐに扉を閉められたら、さすがのあたしも傷つくぞ。
「このアパートを管理している者ですが、お隣の206号室の方が急に行方を晦ませてしまいまして……。些細なことでもいいんで、何かご存知ありませんか?いつ頃から見かけなくなったとか、怪しい人物が出入りしていたとか」
 普段は使わない敬語が、ぺらぺらと口から出てくる。
 あたし、やればできる子。
「ちょっとわからないです。でも、言われてみれば……たぶん一月ほど前からだと思うんですが、ぱったりと見なくなりましたね。朝、頻繁にすれ違うんですが、一月ほど前からそれがなくなってます。誰かが訪ねてくる様子もなかったですし……」
「何か事件に巻き込まれた可能性は?」
「どうでしょうか。真面目な方に見えましたので、そういうことには縁がないように思いますけど」
「勤務先とかわかりますか?」
「いえ、わかりません。ただ、何のお店かわかりませんが、店員をしているといったようなことは聞いたことがあります」
「そうですか。どうもありがとうございました。お忙しい中すみませんでした」
「いえ。見つかるといいですね」
 そう言ってくれた。良い人だ。他人のことなんて知らん顔の奴が多いのに。
 やっぱり大家さんが良い人だと、借主さんも良い人ばかりが集まってくるのかね。類友というやつか。
 扉が閉まると、あたしの営業スマイルも消える。
 やっぱり借主が何か事件を起こしたとか、夜逃げの線はないだろう。となると、外に出かけている時に、悪党に襲われたってのが一番可能性が高い。
 こういう時、過去が視えれば一番いいんだけどな。
 振り返ると、みんながあたしを凝視している。
「おおう!?」
 ちょっとびっくり。
「何か?」
「いや。あんたやればできる子なんだな~って思って」
 なんかチキに言われると、妙に腹が立つ。こいつだって口が悪い癖に。おまけに変態の癖に。
 でもまあ、らしくないことをやってるのは確かだ。
 咳払いひとつ、話を進める。
「とりあえず、探してみますか。生死確認だけでも取りたいし」
 あたしは206号室の扉に触れ、目を閉じる。
 何か視えないか。
 視えろ、視えろ。
 念じてみるが、何も視えない。
 一応未来や過去も視えるんだが、自分の思い通りにいかないのが歯がゆい。まったく、肝心な時に役に立たない。
「くっそー、何も視えん。こうなったら地道に探すか」
 透視能力全開でいけば、何か見つかるかもしれない。
「あんたのその目、何?」
 この直球の問いはチキだ。
 ご尤もな質問。知らないやつからしてみれば、気味が悪いだろう。知ってても、気味の悪さは拭えない。
「いろいろ視えるんだよ。透視が一番得意だな。過去も未来も視えるけど、これはあたしの意思じゃあどうにもならない」
 自分の意思で過去も未来も自由に視ることができたなら、もっとうまく生きていけたかもしれないけど。
「協力してくれるんだ?」
「飯食わせてもらってるお礼」
 咄嗟に思いついた理由がそれだった。
 何言ってんだ、あたしは。だいたい軟禁中なんだからお礼もくそもないだろ。いや、そもそもあたし泥棒なんだぞ。でも飯食わせてくれてるのは事実だし……。
 だぁ、もう面倒くさい。考えるのは止めだ。
 なんかよくわかんないけどレイ様が悲しんでる。生きてようが死んでようが、探せば区切りがつくだろう。だから協力してやる。それでいい。無理やり自分を納得させる。
「しょうがないから、あたしの目を使って探してやるよ。その方が早いだろ?」
「いいの?」
 レイ様があたしを見上げ、ほとんど表情は変わってないが、どこか心配そうに見えた。
「お安い御用ですよ」
 あたしは、任せてください、と笑顔で言った。
 純粋な善意で、誰かのために能力を使ったことなんて今まで一度もないんだ。
 初めてだ。純粋に、協力してやろうって思ったのは。この力を役に立てようって思ったのは。
 どうしてだろう。悲しむ顔を見たくなかったからかな。あたし、そんなやつだっけ?
 でも自然と力が湧いてくるのは事実だ。これなら能力全開でいけば、きっと何か見つかるはずだ。遺体は見つからないかもしれないけど、何かしら痕跡は見つかる。
 一体何があったのか。レイ様達にとっては、それを知ることが重要なんだろう。
「ありがとう」
 レイ様がかすかに微笑んだ。
 おお、いつも無表情だけど、笑うと可愛さ倍増だ。
 イク様も、ぺこりと頭を下げる。
 こりゃ相当がんばらないとな。いくら使い慣れてるといっても、透視能力フル発動はかなり疲れる。
 こんな風に頼りにされるのは、ちょっと照れくさい。ギャング仲間から頼りにされることはあるけど、それとはまったく違う。嫌な気なんて微塵もない。心がちょっと温かくなる。
 なんだか絆(ほだ)されてるなぁ。
 こんなはずじゃなかったんだけど。
 帰り道、やっぱりイク様はあたしの手を繋いで、絶対に放してくれなかった。
 何故だろう。嫌な気はしない。イク様の手、すごく温かい。
 それから、ひっきりなしに話しかけてくる。大人しそうに見えるけど、結構おしゃべりさんだ。それも、嫌な気はしなかった。裏も何もなく、たわいもない会話ができるのが楽しかった。何気ない会話でこんなに笑ったのはいつぶりだろうか。いや、そもそもあたしの人生の中であったかな。
 この人達と居ると、温かくて、落ち着く。安心する。
 でも、あたしはこの人達の仲間じゃないし、仲間にはなれない。住む世界が違うんだ。
 探し人が見つかったら、隙を見て逃げ出そう。その方がこの人達のためにもなる。あたしには関わらない方がいい。ちょっと寂しいって気持ちがあるけど、仕方ない。あたしはこの人達の家に、泥棒しに入ったんだ。仲良くする資格なんてない。
「ねぇねぇ、マヨ。ちゃんと聞いてる?」
 イク様が頬を膨らませる。うん、可愛い。
 ちょっとぼーっとしてたけど、聞いてないわけじゃない。
「ちゃんと聞いてますよ。あそこの店のケーキがおいしくて、いっぱい食べたら晩御飯食べられなくなったんですよね?」
「そう。それでイツカが落ち込んじゃって、残してごめんねっていっぱい謝ったの」
 和やかな一幕。
 あたしにはなかったものだ。手に、入れられなかった。
「でも本当にあのお店のケーキ、おいしいんだよ。今度マヨも食べに行こうよ」
 あたしは肯定することも否定することもせず、曖昧に笑って返した。
 その約束は、きっと果たせない。
 イク様絶賛の店をちらりと見る。人がいっぱい入っている。イク様の言うとおり、本当においしいんだろう。
 もしも、みんなで行くことができたら――。
 いや、やめよう。そんなこと考えてどうするんだ。有り得ない未来だ。
 考えを吹き飛ばす。思考を停止させる。
 だからだろう。周囲の状況が、一気に入ってくる。
「……ん?」
 違和感だ。何かを感じた。
 何だ。視線か?見られてるのか?
 あたしは透視、遠視を使って、周囲全域に視線をやる。
 前方、建物の影からこっちを見ている奴がいる。
 ああ、まずいな。こいつ知ってるぞ。同じギャングに所属している奴だ。
 このまま家に帰るのはまずい。あいつに知られたくない。この方たちがあんな大豪邸に住んでるってわかったら、絶対手を出すはずだ。うちのギャングはどんな残虐非道な行為も平気でやっちまうからな。できれば巻き込みたくない。
 どうしようか。ここはみんなを先に帰して、あいつと話をつけるか。
 頭の中で作戦を考えていると、前を歩いていたレイ様が立ち止まった。危うくぶつかりそうになる。
「マヨ」
 レイ様があたしに振り返る。
 名前を呼ばれただけだったけど、あたしにはわかってしまった。レイ様も気づいたんだ。
「ちょっと用事があるんで、先に帰っててもらえますか?」
 あたしはレイ様に言った。
 イク様が、ぎゅっとあたしの手を握る。行かないでって言ってるみたいだった。
「大丈夫です。終わったらちゃんと帰りますんで」
 あいつ一人なら、遅れは取らない。もしやばくなったら逃げればいい。あたしにはこの目がある。逃走においてあたしに敵う奴はいない。
「約束」
 レイ様が小指を差し出す。
 それで、あたしは今自分が言ったこと、思ったことに気づく。
 しまった。何で帰るって言っちゃったんだろう。このまま逃げてしまえばいいのに。あたしの本来の仲間はあいつなのに。なんでこの人達を守ろうとしてるんだろう。
「約束」
 ずいっとあたしの顔に小指を押し付けてくる。
 約束しなかったら、ずっとこのままだろう。
 仕方ない。うん、仕方ないんだ。
「約束します」
 レイ様の小指に、あたしの小指を絡める。
「絶対だよ?10分以内に帰ってきてね。絶対に、絶対だよ?」
 イク様が何度も何度も念を押す。その度にあたしは笑って頷く。
 なんかいいな、こういうの。本当に温かい。
 でも、和んでいる場合じゃない。
 あたしはみんなと別れ、そいつに向かって歩く。
 こいつの名前、何だったかな。覚えてないぞ。何度も顔を合わせてるし、会話も何度もしているけど、名前が思い出せない。まあ、どうせその程度の仲間だから別にいいんだけど。
 あたしはこいつらと基本的には一緒に行動しない。あたしは集団でつるむのが好きじゃないから、同じギャングに所属していても一緒に行動はしない。
 あたしは大きな計画の時にだけ参加する。あいつらはあたしの能力を頼りにしてる。だからそれ以外は自由に行動しても何も言われない。あたしの目のおかげで、連中は今まで無事に済んでるんだ。他のギャングとの抗争の勝利も、あたしの目があったからこそだ。
 でも、あたしが手を貸さなければ、ここまででかい組織にはなってなかっただろう。調子に乗って無茶苦茶することもなかったかもしれない。
 仕方がないんだ。
 どこかに所属してないと、すぐに殺られる。所属していれば、一応仲間が守ってくれるし、他のギャングも無闇に手を出してこない。
 そうやって生きていくしかないんだ。
「お前、何やってんだ」
 対面するや否や、あいつはそう言った。
「まあ、いろいろあったんだよ」
 こっちも聞きたいことが山ほどある。
「どうやってここに入ってきた?」
 第二区域には検問所がある。怪しい奴は入って来れない。あたしは目を使えば簡単に侵入できるが、他の連中はそうはいかない。
「侵入したに決まってるだろ。やり方はいろいろある。それよりお前、あの連中とどうやって知り合った?」
「まあ、ちょっとな。知り合ったのもつい先日だけど」
「でかしたな。これで今回の件、やりやすくなるぞ」
「どういうことだ?」
「あいつら、この先にある豪邸に住んでる奴らだろ?次はあそこを襲うことになったんだ」
「ちょっと待て。聞いてないぞ。いつ決まった?」
「2、3日前だ。ジェイから通達があった。お前のことも探してたぞ」
 内心、舌打ちする。
 あいつの計画か。相当厄介だぞ。
「決行日はまだ決まってないが、おそらく1週間後ぐらいになると思うぞ。それまでに他の連中もここに来るはずだ」
 くそっ。最悪だ。
 どうする。どうすれば――。
「お前、それまであの連中にくっついてろ。連絡事項があったら、俺が伝えてやるよ」
 しっかりやれよ、頼むぜ。
 あいつはあたしの肩を叩くと、どこかへ去っていった。
 かなりまずい状況だ。
 ジェイの計画なら、覆せない。あいつはリーダーだ。あいつの一声で、全てが決まる。
 しかもあいつが一番惨忍だ。どんな酷いことも、笑いながらやってのける。
 くそっ。一体どうすれば。
 いや、待て。
 何でこんなに悩むんだ。そもそもあたしはあの家に泥棒しに入ったんだぞ。あの人達の家族でもなんでもない。
 計画通り、事を運べばいい。そうじゃないと、こっちが殺される。あいつのやり口は嫌というほどわかっている。酷い目に合うのは御免だ。
 そうだよ。誰だって自分の身が可愛い。あたしは善人じゃないんだ。散々悪事を働いてきたんだ。今更何やったって、善人にはなれない。あの人達がどうなったって、あたしの知ったこっちゃない。
 気がつくと、家の前にたどり着いていた。
 どこからどう見ても豪邸だ。紛れも無く金持ちの家。そりゃ目を付けられる。あたしだって一番初めに目を付けたんだから。
 玄関の戸を開ける。
 あれ、あたし何で普通に帰ってきてるんだろ。馬鹿だな。逃げ出す絶好のチャンスだったのに。レイ様と約束しちゃったのがいけなかったかな。
 ただいまって言うのも変だな。ここはあたしの家じゃないし。
 どうしよう。帰ってきちゃったけど、逃げ出しちまおうか。
 迷っていると、足音が聞こえてきた。全力疾走の足音だ。
「マヨ、おかえり!」
 イク様があたしに飛びついてくる。ぎゅっとしがみついて、離れない。
「遅いよ!すぐに帰ってきてねって言ったのに!マヨの馬鹿!」
「おかえり、マヨ」
 レイ様も出迎えてくれる。
「おかえり」
 もう一度、レイ様が言う。
 あたしが返事をしないからだろう。
「た……ただいま」
 今までの人生で数えられるくらいしか言ったことのない言葉。
 口にすると、ちょっと恥ずかしい。
「遅かったじゃないか。もうすぐ晩御飯だぞ。手を洗って来い」
 エプロン姿のイツカ。初めは奇妙に思えたけど、今ではすっかり見慣れた姿だ。イツカの料理は本当にうまい。
「何ぼーっと突っ立ってんだ。さっさとあがれ」
 カガは口が悪いけど、結構面倒見が良い。勉強をいっぱい教えてくれた。ぶつぶつ文句を言いながらも、わかるまで付き合ってくれた。
「うちはみんな揃っていただきますなんだから、あんたがいないとご飯食べられないじゃない。さっさと来なさい」
 チキはいつでもどこでも己の道を突っ走ってるけど、意外と気が利く。
「行こっ、マヨ」
 イク様があたしの腕を引っ張る。
 なんだよ、これ。なんであたし、こんな温かく迎え入れられてるんだよ。
 困ったな。これじゃあ知らんぷりなんてできないじゃないか。
 どうしてくれるんだよ、まったく。
 どうして、出会っちゃったんだろう――。







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