-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第3話 第3区域
「オレンジを愛したリンゴとリンゴを愛したオレンジの平行線の日常」:#2


 

 視線が途切れても、車の窓から顔を出し、もうとっくに見えなくなってしまっているその姿を目に浮かべていた。
 まさか館の外に居たとは。誤算だった。館の敷地内では絶対的な命の保障がある。逆に、外ではいつ命を落としてもおかしくはない。
 危ないところだった。もしあの子に何かあれば、自分がここでこうしている意味がない。
 どれくらいそうしていたのだろうか。リリスはようやく顔を引っ込める。
「今日こそはあの障壁を打ち破れると思ったんだけどな」
 隣に座るエンリケが悔しそうに吐き出した。
「大金払って手に入れた武器なのに、使えねーな」
 忌々しそうに、荷台に詰め込んだRPGを睨む。
 ここは規制もなければ法律もない。他者を傷つけるのも殺すのも自由。ただあまりにもやりすぎると、区域全体が監獄である第四区域に強制収用されるというだけ。重火器をぶっ放すぐらい可愛いもの。むしろ日常茶飯事だ。
「また何かいい武器探しておくか」
 己を守るための武器だろうが、他者を虐げるための武器だろうが、望めばある程度のものは手に入る。
 唯一の外の世界との接点である港は第三区域にある。そのため、他の区域よりも安く手に入りやすい。
 そして無理やり蓋をして見ないようにしている事実は、輸出入の管理は全て第三区域の領主であるクリストファーが行っているということだ。
「もうやめておいたら?武器に頼ってもしょうがないわよ。お金の無駄になるだけよ」
 馬鹿げている、とリリスは思う。
 結局、パフォーマンスだ。
 人間は打倒悪魔、打倒妖魔を謳い、結束する。だからここ第三区域では、妖魔よりも人の数の方が圧倒的に多く、影響力も強い。人間以外の生物は迫害の対象。
 しかし、「打倒悪魔からの支配」を掲げている癖に、悪魔の手により支給された武器で戦い、悪魔の手により供給された食料を口にし、悪魔の手により卸された生活用品を使用し、生きながらえている。
 打倒悪魔と言いながら、人間同士で権力争いを行う。
 本当にゴミの掃き溜めだ。
「強力な武器でもあの障壁を破れないとなると、これはもうアレしかないだろうな」
 エンリケが、そうつぶやいた。
「まさか!」
 運転しているカルロスが声をあげる。
「俺達は神に仕える者だぞ!?」
 腐っていても教会なのだ。定められた時間に祈りを捧げ、訪れる者達に教えを説き、貧しき者達にスープを分け与え、親のない子供達の引き取り手を斡旋する。
 暴力の渦巻くこの地区での、唯一と言っても過言ではないほどの善。
 偽善も善のうちだ。たとえ裏では武器を売買し、武器を手に取り妖魔を殺し、そして子供達に戦闘訓練を施す集団だとしても。
 力弱き人間はそうやって裏で数多くの手を結んできた。
 人間は図太く、狡猾だ。
「妖魔と手を結ぶなど、言語道断だ!」
 確かにそうだ、とリリスは密かに頷く。どうも好きにはなれなかった。あの悪魔も、人を虐げ悪事を働いているというわけではない。ただ悪魔というだけ。この地で静かに暮らしているだけだとしても、気に食わない。
 何より、あそこには大切な――。
「奴らと手を組むぐらいなら、俺は抜ける」
 人を食い物にする妖魔と手を結ぶなど、あってはならない。
 概ね、そういう人間が多い。建前であったとしても、打倒悪魔を掲げているのだから。
 しかし、そうでない人間も少なからずいる。
「でも、今回の武器でもびくともしなかったんだ。本格的に考えなきゃなんねーだろ」
 窓の外を眺めながら、エンリケが言った。
「あの悪魔を殺して俺達人間が実権を握る。手を組んだ妖魔は、その後始末すればいい。一匹残らず、この地から追い出せばいい」
 教会が掲げる大義とは、神の名の下に悪魔を討伐し、解放されること。そして人間がこの地を治めること。脅威となる妖魔は全て追放することだ。
「目的が達成されればいいというものではない。その過程も重要だ。妖魔なんざと手を結べるわけがない」
「利用できるものは利用すればいい」
「奴らは裏切る」
「人間だって裏切るさ」
「馬鹿を言うな。妖魔とは根本的に違う」
「でも他に方法がないだろ」
「神の御力を借りることが出来れば……」
「ありえないですね」
 気づいた時には、リリスは口を挟んでいた。
 神は、味方ではない。
 その現実を、誰よりもリリス自身がよく知っている。何の能力も持たないただの人間が、死に物狂いで生きてきた結論だ。
 だから捨ててしまった。十字の光も、正義の旗も、信じる心も。
 あるのは、人が人を支配するための金と、人が人を殺すための武器と、己以外への暴力。
「お前は結局賛成なのか?反対なのか?」
 エンリケの問いに、リリスは答える。窓の外に視線を向けたまま。荒廃した街を瞳に宿したまま。
「目的が達成されるのであれば、手段は問わない」
 低く、冷たい声だった。
「なるほどね。俺と同じだな」
 違う、と思ったが、そのまま流した。いちいち言葉にするのが面倒くさい。何より、彼らには絶対に知られたくない真実があった。もし知られてしまえば、それをネタに悲惨な目に合うだろう。自分も、彼女も。
 リリスは唇を固く結ぶ。リリスにとって、教会はただ席を置いているだけ。彼らは仲間ではない。己の大義のためなら、どんな汚い手段でも平気で実行できる。神さえ裏切る。
 やがて、車が停まった。
 リリスの現在の住処である教会。
 屋根にあったはずの十字架など、もう廃れてどこかへ飛んで行ってしまった。どれほど見つめても、空を遮る十字はもうない。
 各自、車から荷物を降ろし、教会内へと入る。
 任務は失敗。憔悴しきっている……はずもなく、いつも通りの行動を取る。
 そう、敗北もいつも通りなのだ。
 いつも通り誰かがコーヒーを入れ、誰が声をかけるでもなくいつも通り自然と集まり、次の作戦を話し始める。
「もっとしっかりとした装備を買い揃えて、次はもっと人手を増やせば……」
 けれども、今日はそのいつも通りが崩れた。
「ああ、もうその必要はない」
 作戦会議に口を挟んだのは、この教会を取り仕切っているチアゴだ。彼のすぐ後ろには、見慣れない人物。
 肌が白く、白人なのだろうかとリリスは思ったが、人間らしくない白さだ。病気かと疑うほど、青白い。目は窪み、まるで生気がない。だが口元には穏やかな笑み。不気味だ。何より、身にまとう雰囲気が人らしくない。自分の妖魔嫌いの体質が、彼に対して警報を鳴らし始める。
 そしてチアゴは告げた。
「今日から彼の力も借りることになった」
 誰しもが瞬時に理解した。
 人間のように見えるこの青年は、人ではない。
 賛成派に傾いている者が大多数だったが、本当に人外のものと手を結ぶとなると、やはり誰しもが戸惑いの表情を見せた。
 聖戦の大義を掲げているのだ。悪魔を打ち倒すために戦っているはずだ。それが、魔と手を結ぶ。
 あってはならないはずだ。
 そのはずだった。だが結局信じているものは、金と権力と暴力。そこに大義などない。躊躇するのは、ただ妖魔の力を恐れてのことだ。
「とある筋からの紹介で、うちの教会で雇うこととなった。仕事内容は、主に護衛だ。このあたりは物騒なんでね」
 チアゴは口の端を上げて、人ではない彼を見る。
 リリスが手を挙げた。
「ん?何だ?」
「とある筋というのを聞いてもよろしいですか?」
 おそらくみなが喉から出掛かっているだろうことを、臆することなく尋ねた。
 どうでもいいと思っているからだ。不愉快に思われようが、嫌われようが、リリスにとっては瑣末なこと。ここに居られなくなったら、また出て行けばいいだけの話だ。そしてその先で、また悪魔と対峙する。それが、自分の役目だ。目的の為なら、手段は選ばない。
 リリスの問いにチアゴは少しばかり眉をひそめたが、その質問には答えた。
「第五区域で暮らしている錬金術師の方と交流を持ってな。最近こちらに越してきた友人を紹介してもらったんだ」
「錬金術師?」
「ああ、安心しろ。彼はれっきとした人間だ」
 なるほど。
 リリスの鋭すぎる観察眼が、状況を把握した。
 確かにこれは錬金術師の仕業だろう。服で隠れてはいるが、微妙に両腕の長さが違う。左肩が少し下がっている。いや、ずれていると言った方が正しい。足の長さも違うのか、身体全体が少し歪んでいる。
 キメラ。ホムンクルス。
 そんな名称が頭に浮かび上がる。
 錬金術師のやりそうなことだ。当然ながら、この妖魔は自分が造られたものであるとは思ってもいないだろう。
「その方と手を組んだほうがよろしかったのでは?」
 これも、この場に居る者達が思い浮かんだであろう言葉を、リリスが代弁した。
「反対か?」
「いいえ。私は手段は選ばない主義ですので。あれを殺せるのであれば、何だって構いません。ただ他の方達が納得されるかどうかですよ」
 チアゴは他の者達に目を向ける。
 誰も、何も発言しない。
「これは、決定事項だ」
 チアゴが告げる。
「他の教会とも連携しているとはいえ、一丸ではない。自分達がこの地を掌握しようと、常に我らの動向を注視している。それに商会連中は二枚舌だ。我々に協力すると武器を売りつけておきながら、あの悪魔に媚を売る。そんな連中の目を覚まさせるためにも、この地に住む人々を守るためにも、必ず我々の手であの悪魔を倒さなければならないのだ」
 長い演説を、リリスは聞き流す。
 リリスはこの男が嫌いだった。傲慢で、自尊心ばかりが高く、自分が中心でなければ気に入らない。大した障害がないのであれば、さっさと彼の頭を撃ち抜いていることだろう。ただ、手段を問わない外道ぶりにだけは共感できた。
 主役気取りの長い演説を終え、チアゴは改めて妖魔を紹介する。
「うちで雇い入れた腕の立つ護衛だ。必ず皆の役に立つだろう。仲良くしてやってくれ」
 そして、妖魔も口を開いた。
「来たばかりで勝手がわからないけど、協力は惜しまないよ。殺して欲しい奴がいるなら、どんな奴だって殺してやる」
 言語能力は人間のそれと変わりない。意思の疎通もきっちりできる。
 チアゴは一体どれほどの金を払ったのだろうか。リリスはぼんやりとそんなことを思った。その資金を得るために、身寄りの無い子供達を保護するという名目で集め、売り払ったのだろう。奴隷として、被験者として、食料として。
 ここではたいして珍しいことではないのだが、どうもこの男が好きにはなれなかった。孤児である己の出自がそうさせているのだろうが。
「俺が来たからには大船に乗った気持ちでいてくれ」
「相手が上位の悪魔でも?」
 カルロスが尋ねる。
 すると、男は三日月のように口を裂く。
「悪魔?ははっ、上等だ。俺の方が強いことを証明してやるよ」
 不気味に笑う。
 リリスは仲間に視線を向ける。誰もが戸惑い、ちらちらと皆の顔を窺っていた。特に妖魔嫌いのカルロスは、渋い表情だ。
 妙な空気が流れる。
 その中で動いたのが、エンリケだった。
「来たばかりだったら、今日はこのあたりを見て回るっていうのはどうだ?一緒に散歩に行かないか?」
 エンリケの申し出に、男はチアゴを見る。
 チアゴは笑顔で頷いた。
「そうだな。いい提案だ。どうせなら悪魔の館を見物してみるのもいいかもしれない。エンリケ、お前に任せるよ」
「よし、そうと決まればさっそく行こうか」
 エンリケは立ち上がり、手を差し出しながら男に近づく。
 彼はその手を握り、応じた。
「ああ、よろしく」
「よろしく」
 まるで、友人にでもなるかのように。
「あまり騒ぎすぎるなよ」
 チアゴは二人の背中を叩き、送り出した。
 車のエンジン音が遠ざかる。その音を聞き、ようやく張り詰めた空気が僅かばかり緩んだ。
 チアゴは笑みを絶やさない。
 その笑顔が、不愉快だった。
 チアゴはあの妖魔のみならず、気の良いエンリケまでも利用しようとしているのだろう。
 ここで世話にはなっているが、もしも身に危険が迫るようなら、この外道を殺してしまおうか。そんな考えがよぎった。
 もし琴線に触れるようなことをすれば――。
 その境界線は、あの子の命を脅かすこと。そうなれば、チアゴの頭を撃ち抜いている。必ず。
 何を捧げたとしても惜しくない。確実にある繋がりを、絆を、守ると誓いを立てた。
 リリスはおもむろにコップに手を伸ばすと、一気にコーヒーを飲み干した。







inserted by FC2 system