風が肌を撫でる。
悪魔の屋敷の裏庭。
ぽつんとある墓石。広大な屋敷に似合わぬ、小さな、質素な墓石。
そこに、今までクリストファーに仕えた従者達が眠っている。
一体何人ここに眠っているのか、何という名だったのか、それさえもわからない。
決して煌びやかではないが、従者達が掃除をし、花を供えているため、常に清潔に保たれている。いつか自分もここで眠る。そう思っているからか、誰しもが自然とここを気にしていた。
ソフィアは庭に咲いていた花を供える。
亡くなったアンナが、一生懸命育てていた花だ。
ふわりと、風が背中を撫でた。
「俺は、お前達を助けることはない」
振り向かなくともわかる。クリストファーだ。
「ええ、わかっております」
墓石を見つめたまま、ソフィアは頷いた。
「お前達が襲われたとしても、俺はお前達を守らない」
「もちろんです。クリストファー様は悪魔ですから、人間など守ってはいけません」
「それでもなぜ俺の傍にいる?」
「さあ、どうしてでしょうか」
曖昧な答えではぐらかした。
クリストファーは眉間に皺を寄せる。
「お前達人間の考えることはわからんな」
「クリストファー様は悪魔ですから」
「なら、人間になればわかるというのか?」
その問いも、ソフィアは曖昧に首を振るだけではぐらかした。
結局のところ、わからない。人間でも強者にはこの気持ちはわからないだろう。
何かに必死に縋るこの想いは。
伸ばした手の先に、この悪魔が居たというだけだ。そしてこの悪魔は気まぐれに――いや、気まぐれなどではない。きっとこの悪魔は――。
「さっさと出て行けばいいものを」
いつもの台詞を、いつもと同じように吐き捨てる。
「一生、死ぬまで纏わりつきます」
「迷惑だな。まったく」
しかしその表情は、穏やかだった。
クリストファーは、花束に視線を移す。
「短い命だったな」
「ええ、本当に。アンナは素直で明るくて、いつも一生懸命で……。とても良い子だったのに、本当に残念です」
風が、花を揺らす。
アンナが毎日水をやり、肥料を与え、育てた花。
あっさりと命を刈り取られた。
「……残念です」
これが初めてというわけではない。ソフィアがここに来てから3人目。アンナは3人目の殉職者だった。
ここに連れてこなければ天寿を全うできたかもしれない、とは思わない。アンナは人間だった。紛れも無く、ただの人間の女の子。特殊な能力を持っているわけではなく、特別な戦闘訓練を施された者でもない。何かの手違いで、このゴミの掃き溜めに生まれてしまった。悪魔の屋敷に拾われなければ、確実に妖魔や他の人間達の餌食となっていただろう。
弱い者から死んでいくのだ。たとえ強者の傍にいようと、力の無いものから淘汰されていく。
アンナの寿命は、初めから短かったのだろう。そういう宿命だった。
しかし。
「あの妖魔は、妙でした」
自分の意思で動いていたにしてはぎこちなく、おまけに身体のバランスが妙だった。実際、クリストファーが殺した後その身体を検分したところ、四肢を接合されているような跡があった。
「あの妖魔は、きっと創られたものなのでしょう」
「そうだな。他の区域から仕入れてきたんだろう。うちの区域にそんな芸当ができる奴がいるとは思えん」
「第五区域か第六区域あたりでしょうか。あそこは錬金術師やマッドサイエンティストが集まっていると聞きます。教会連中が、錬金術師達と手を組んだのかもしれません」
「好きにすればいいさ。奴らが何かしたところで、この俺に敵うわけがない」
「もちろんです」
大きく頷く。
各区域の領主、7人の領主達は、他の妖魔達とは明らかに格が違う。何をどうがんばったところで、決して敵いはしない。
しかし。
ソフィアは墓石をじっと見つめる。
何も感じないわけではない。
それに、教会連中に混じっている彼女のことが気がかりだった。
魔に手を出した教会。その行く末は決まっている。崩壊しかないのだ。
妙なことになる前に、阻止しなくてはならない。
静かに炎は立ち上っていた。
「お前、余計なことはするなよ」
いつもとは若干違う雰囲気を感じ取ったのか、クリストファーが釘を刺す。
「俺はお前を助けることはない」
「ええ、わかっております」
しっかりと、深く頷いた。
「どうなっても知らんぞ」
「大丈夫です。ご心配、ありがとうございます」
クリストファーは肩をすくめる。
もうソフィアの心は決まっているのだろう。ソフィアは頑固だ。一度言い出したら聞かない。どんな無茶でも無謀でも、突き進む。
「まあ、いい。好きにしろ。俺には関係ない」
風が吹き荒れる。
ソフィアが振り向いた時には、もうそこにはクリストファーはいなかった。
ようやく立ち上がる。
さあ、クソみたいな出来事に決着をつけようか。