-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第四話:第四区域
「臆病な彼女の方が大々的に困頓として混沌を受け入れている話」:第一節


「えっ……?」
 という言葉が漏れると共に、手から全ての書類が零れ落ちる。
 紙が床を滑る音が、妙に大きく聞こえた。
 ブラウンの瞳に、ブラウンの髪。背は高くない。平均身長からすれば、低い。そばかすのせいか、幼く見える。外見的な年齢で言えば、15、6歳くらいだろうか。ただしここはあらゆる人種、種族が集う土地。見た目と年齢が一致しない例の方が多く、彼女もその例から漏れることはない。
「い、今、何とおっしゃいました……?」
 落とした書類を拾うことはなく、目もくれない。
 ここは執務室で、自分以外にも何人か人が居るにもかかわらず、そんなことを気にしていられないほど動揺している。
 彼女の表情は青い。
「ですから、第四区域の領主様の補佐官として貴女を推薦しようと思っています」
 第一区域の領主、シュガは、できるだけゆっくりと、聞き取りやすいように話したつもりなのだが、「第四区域」という単語だけで埋め尽くされた彼女の頭では、残念ながら内容を理解するまでには至らなかった。
「ま、ままま、待ってください!私、何かしましたか!?何か罪でも犯しましたか!?ただのしがない魔女ですよ!?薬草の知識が豊富なだけですよ!?それともアレですか!?魔女狩りですか!?」
 シュガに思わず掴みかかる。書類を踏んでいることにさえ気づかないほど、彼女は動転していた。
 第四区域。
 この土地に住んでいる、ある程度の知能を持つ者であれば、第四区域が一体どういった場所なのか知らないわけではない。
 人の社会から弾かれたもの達が集う、ゴミの掃き溜めと呼ばれるこの土地。神に悪魔、天使に鬼、なんでもござれの種族のるつぼ。非常識が当たり前。何もかもがごちゃまぜで、ごちゃごちゃした日常。自由で陽気で、残酷な世界。当然、法律などあるわけもなく、弱者を守る手立てもない。
 だが、そんなゴミの掃き溜めでも、超えてはならない一線がある。
 他者と一切の共存が出来ぬもの。たとえば、理性がない。たとえば、目に映る全ての生物を殺すことを己の主義としているもの。たとえば、あやふやなこの場所を己の手中に治めようとするもの。
 そういったものは、全て第四区域に強制的に収容されることになっている。
 これは「ゴミの掃き溜め」内のみに留まらず、世界各国から、手に負えなくなった自国の妖怪やサイコパス、超能力者などを預かってくれという依頼が舞い込むことも珍しくない。
 つまり第四区域に限っては、その区域全体が脱獄不可能の監獄所となっている。
「そんな、そんな第四区域に容れられるようなこと、私何かしましたか!?」
 自分の雇い主であり、畏れ多い第一区域の領主であることも忘れ、彼女は全力でシュガの身体を揺さぶる。
 当たり前だ。入ったら最後、死ぬまで出られない。いや、そもそも天寿を全うすることなど不可能だ。
「アビー、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!?」
 さらに高速でシュガの身体を揺さぶる。
 それでもシュガは顔色ひとつ変えないというのは、さすがゴミの掃き溜めの一画を治める領主様ということなのだろう。
「もう一度言いますから、落ち着いてよく聞いてください。第四区域の領主ラクシ様が優秀な補佐官を求めています。それに貴女を推薦したいと思っています」
「そんなのな……えっ?」
 アビーの手が離れる。
「ラクシ様の補佐官がお亡くなりになられたそうです。それで私のもとへ相談に来られました。ラクシ様のお仲間は、やはり武闘家揃い。事務仕事に優れる者がいないと嘆いておられました。そこで私は貴女を推薦しようと思います」
「えっ?」
「貴女は自分で思っているより遥かに優秀です。私の元を離れていってしまうのは惜しいですが、第四区域はなくてはならない場所ですから。あっ、当然貴女には断る権利はあります。ですが、一度ラクシ様と会って話をしてみてからでも遅くないのではないのでしょうか?」
 数秒の沈黙。
 それから、えええええええっ!!?、という叫び声が木霊した。
「わっ、わた、私が領主様の補佐!?」
「ええ。事務仕事と言っても馬鹿にはできません。書類やデータの作成、世界各国とのやり取り、こういったことを問題なく遂行できるのは貴女ぐらいかと」
「いや、ちょっ、ちょっと待ってください」
「貴女は優秀ですよ?」
「そ、そんなことは……ないですよ……えへへ」
 デレた。
 やはり優秀と褒められては照れてしまう。しかもシュガに褒められたのだ。嬉しさの度合いは格段に違う。
「待遇は保障するそうですよ。限度はありますが、必要なものは準備する心積もりだとおっしゃっていました」
 高待遇。それにはアビーの心も少しばかり揺れる。今の待遇に決して不満があるわけではないが、自分を欲しいと言ってくれるのなら、心は動く。
 だが、第四区域であるということが懸念となる。戦闘においてはからっきしダメな彼女が、果たしてそんな危険な場所でやっていけるのか。殺害されることにはならないのか。そもそも、なぜ補佐官は死に至るようなことになったのか。
 不安材料は尽きない。
「あのー……」
「はい、何でしょう?」
 優しく微笑む。
 ああ、この人のもとで働けて本当に幸せだ。そんなふうに思えてしまう笑顔だ。
 実際、アビーから見て、シュガは完璧だと思っている。自分に厳しく、他者には優しく、弱者を助け、分け隔てなく平等に接する。
 さすが領主様。彼女のようになりたいと憧れてしまう。憧れて、器が違いすぎるとがっかりするのがいつものパターン。
「疑問に思ったことは何でも聞いてください。貴女のためでもありますから」
 もごもごとまごついているアビーに、シュガは優しく声をかける。
 それに押され、で、では、とアビーは意を決して問う。
「前の補佐官さんは、どうして亡くなったのでしょうか?」
「病気です。亡くなられた補佐官は人間でしたので」
「ストレスが原因……とか?」
「違うと思いますよ。あそこは陽気な方が多いので。ちなみに死因は癌です」
「……陽気なんですか?」
「ええ。細かいことは気にしない性格の方ばかりです。大雑把過ぎるとも言いますが。ですが、付き合いやすい方達だと思いますよ」
「んんー……」
 第四区域のイメージとは正反対だ。
 アビーの、というより、だいたいの者が抱いている第四区域のイメージと言えば、強面でいかつく、冗談のひとつも通じない厳格な者ばかり。色でたとえるなら、灰色や黒。天気でたとえるなら、曇天。季節でたとえるなら、大寒。こんな感じだろう。陽気さの欠片もない。
 しかし実際はさっぱりとしていて付き合いやすいのであれば、さほど心配することはないのかもしれない、と心はぐらつく。
「それじゃあ、領主様はどんな方ですか?」
「そうですね」
 シュガは顎に手をやり、数秒考える。ラクシのことを思い浮かべたのだろう。
「見た目は鬼ですね。角が生えてます。金棒も持ち歩いてます。わかりやすい鬼を目指しているそうです。性格は……鬼ですね」
「ダメじゃないですかー!!」
「あ、いや、鬼畜なのは罪人に対してだけですよ?」
「でも鬼畜なんでしょ!?」
「普通の人には優しいですよ。物腰は丁寧で柔らかいですし。三度の飯より拷問が好きというだけで」
「嫌ー!!問題ありじゃないですかー!!」
「大丈夫ですよ。彼は普通の人をいたぶるのは好きではありませんから。貴女が暴力を受けるということは絶対に有り得ませんよ」
 潔癖症のシュガがそれほどまで断言するのであれば、信用はできる。しかし、アビーにはいまひとつ決断が出来ない。会わないうちからイメージだけで断ってしまうのも勿体無いとは思っている。何よりシュガが推薦してくれたのだ。期待に応えたいという思いがある。
 不安なのは、世界中が手におえないと判断した犯罪者相手に、毅然とした対応が出来るかどうか。
 アビーに戦闘能力はない。皆無と言っても良い。身体能力は人間と変わりない。むしろ劣るかもしれない。運動は苦手で、引きこもって本を読んでいた。薬草の研究ばかりしていた。悪魔との契約などしたこともなければ、呪術に関する知識もほとんどない。なぜなら怖いからだ。ホラーは苦手なのだ。
 そんな臆病な魔女が、果たして上手くやっていけるのだろうか。
「他に候補者はいないのですか?」
「いません。他の領主にも相談を持ちかけたようですが、適任者はいなかったそうです。私も一度は見送りました。こちらとしても、貴女を手放したくはないので。ですが余程困っておられたので、推薦することにしました」
 余程困っているのはこちらもだ。
 そんな返しを思いついたが、口にするのはやめておいた。
 シュガは一度見送っている。それはアビーにとっては実に嬉しい事実だ。期待に応えたいという気持ちも高まるのだが、やはり不安は尽きない。
 つまり、悩んでいる。
 どうするべきか。アビーがうんうん唸っていると、シュガがこんな提案をした。
「よければ私と共に第四区域に行ってみませんか?」
「えっ?いいんですか?」
 シュガは非常に忙しい身の上だ。シュガの仕事の手伝いをしているアビーには、わかりすぎるほどよくわかっている。だが、シュガがいれば心強いことも確かだ。
「今から行ってみましょう」
「えっ……ええ!?今からですか!?」
「ええ。早いほうがいいでしょうし。それに議事堂を突き抜けていけばすぐに着きますよ」
「で、でも、お仕事は……?」
「重要な案件は済ませましたし、他のものは後回しでもかまいませんよ」
「ですが、それだとシュガ様の負担が……」
「かまいません。貴女の方が重要です」
「そ…それじゃあ、お言葉に甘えて……えへへ」
 デレた。
 仕事よりも部下の方が大切だとはっきりと言われて、照れない方がどうかしている。むしろ惚れる。この人のもとで働けて本当に良かったという思いと、不甲斐ない自分との差を明確に感じ、打ちひしがれるループ。
「では車を出しますので、それに乗って行きましょう」
「あ、それじゃあせめて私が運転します」
「アビーは運転できたのですか?」
「……すいません、出来ないです」
「それなら自分がやりましょうか?」
 話を聞いていた、というより、アビーの声が大きいため嫌でも耳に入っていたのだが、やり取りを全て聞いていた何人かが手を挙げた。
 しかしシュガは、運転手をかってでた者達に丁寧に断りを入れる。
「大丈夫です。私が言い出したことですし、貴方達の手を煩わせるわけにはいきませんので」
 ああ、この人のもとで働けて本当に……以下ループ。
「では、行きましょうか」
 アビーの返事も待たずして、シュガは歩き出す。
 シュガが行ってしまうのであれば、アビーもその後を追うしかない。
「あの、本当にいいんですか?」
 シュガの横に並び、表情を窺うようにして尋ねる。
 シュガが合わせてくれているとはいえ、大きすぎる歩幅の違いのためにアビーは少々早足気味だ。
「領主様に連絡とかせずに、突然お伺いしては……」
「ああ、その心配はないですよ」
 言葉の途中で、シュガが割り込む。
「事前連絡はもうやめました」
 シュガが半眼になる。
「連絡したところできっちりとラクシ様には伝わりませんので」
 なるほど。非常に納得できる理由だ。シュガのことだから、きっと辛抱強く何百年も訪問前には連絡を入れていたのだろう。しかし一度たりともきっちりとそれが伝わった試しがない。諦めるのもよくわかる。
 アビーは駆け出し、玄関口の扉を開ける。
 従者というわけではないが、シュガの庇護下にある身だ。これぐらいはやらねばと思っている。
 建物を出る。表口のすぐ目の前には、20台ほど車が停められる駐車場となっている。
 それに、とシュガは先ほどの話を続ける。
「事前に連絡しようがしまいが、彼らには関係ないそうです」
「どういうことですか?」
「第四区域はいつでも誰でもウェルカムだそうですよ」
「罪人だけウェルカムなんじゃないんですか?」
「一般見学者もウェルカムだそうですよ?」
「誰も行きたがらないと思いますけど」
「私もそう思います。彼らが何かをしたというわけではないのですが、イメージが悪すぎます。ですが、彼らなりに真面目にイメージ改善を考えているみたいですよ」
「……監獄がイメージ向上作戦ってどうなんですか?」
「いいんじゃないでしょうか。彼らなりに真剣に考えていますし。そういうのもありかもしれません。私にはよくわかりませんが」
 と、苦笑い。
 シュガが彼らを「陽気な人達」と言っていた理由が少しばかりわかった気がした。
「構える必要はありませんよ。貴女なら大歓迎を受けるでしょう。騒がしい人達なのではじめはびっくりするかもしれませんが」
「シュガ様もはじめはそうだったのですか?」
「そうですね。少しばかり驚きました。さあ、どうぞ」
 シュガが車に乗るように促す。
 アビーは回り込み、助手席へと乗り込んだ。
 富裕層でなければ買えない様な高級車ではない。ごくごく一般的な車だ。
 少しばかり贅沢をしてもいいのではないかとアビーは思っているのだが、自分に厳しいシュガは、たとえほんの少しでも金銭を自分の懐に入れることをよしとはしない。
 だからこそ誰もが彼女を慕い、憧れ……以下略。
 車がゆっくりと動き出す。
 シュガは話を続けた。
「私もはじめは野蛮な人達の集まりかと思っていました。まだ今の統治の形になっていない頃、ラクシ様は広い領土を所持していましたので」
 アビーは今の統治の形が完全に出来上がってから、ここに移住した者だ。混沌としていた頃は知らない。
 想像してみる。
 今も混沌としているが、統治者不在で最悪なまでに混沌としている状態。群雄割拠で、今以上に弱肉強食。領土の奪い合い。暴力が暴力を生む世界。
 恐ろしい。アビーは身を震わせた。
「その頃からラクシ様は領主様だったんですね」
「実際そう思っていたのは周りの者達だけで、本人は認識していなかったのですが」
 当時を思い出したのか、シュガは笑う。
「あの方は周囲が自分のことをどういう目で見ているのか無頓着なところがありますから、それを認識した時は非常に驚いていましたね」
「じゃあ無理やり治めていたってわけじゃないんですね」
「ええ。そういうのに関心のない方ですから。自然と仲間が集まって、自然と組織が出来ていたそうです」
 それはひとえに人望というものなのではないだろうか。
 アビーの中の第四区域のイメージが、また少し温かいものへと変わる。
「勝手に自治組織が出来るなんて、すごいですね。やはり領主様になられる方は、いろいろとレベルが違うんですね」
「どうでしょうか。私は特に貴方達と何か違うとは思いませんけど」
 いや、貴女は断然違うだろう、と心の中でつっこみを入れた。堂々と口に出来るほどアビーの肝は据わっていない。
「ですが、第四区域の統治はすんなりといったので、ラクシ様のリーダーシップはすばらしいのでしょうね」
 あれだけの土地を監獄にするとなれば、普通はさまざまな問題が生じるはずだ。まず住民達を強制的に移住させなければならないし、脱獄不可能の監獄にするための大掛かりの工事もしなければならない。そうなれば、人手も必要となってくる。現代ならば機械を使えばいいのだが、この統治の形が完成したのは1000年以上も前の話だ。その時代には当然機械は存在しない。インフラ整備の技術など、現代とは比べ物にならない。
 それが順調に進んだというのであれば、やはり第四区域の領主は類稀なるカリスマ性を持っているのだろう。
「では、少しだけあの当時の話をしましょうか」
「いいんですか?」
「別に隠すようなことではありませんよ」
 そう言って微笑み、シュガは静かに語り始めた。







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