-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第四話:第四区域
「臆病な彼女の方が大々的に困頓として混沌を受け入れている話」:第七節


 

 フロントガラス越しに見た、コンクリートで出来た味気ない建物。灰色の長方形の巨大な箱だ。
 近付くと入り口なのか、シャッターが自動で開き、自動で閉まる。そして、車が止まった。
「着きました。ここから先は歩いて行きます」
 四人は車から降りた。降りた瞬間、アビーはそそくさとシュガの傍へと駆け寄る。
「ここは外とは違って放し飼いではありませんから、危険は無いですよ」
 カーターはそう言うが、アビーは身を硬くするばかりだ。この薄暗い廊下の先から、強力な妖魔の気が発せられているのだから、何の力も持たないアビーには足が竦んでしまって言うことを聞かない。
 カーターが平気な顔をしているのは、人間だから妖力を感じられないのだろう。
「手でも繋ぎますか?」
「繋ぎます」
 シュガの申し出に、アビーは即答した。
 ぎゅっとシュガの手を握る。握った瞬間、すっと身体が楽になる。やはりシュガの効果は絶大だ。
 ラタナを先頭に、先へと進む。
 重厚な扉を開け、歩いてしばらくもしないうちに見えてきた牢。ひとつひとつの牢が大きく、中は普通の部屋のようになっていた。
 牢の中にはどれも妖魔が入っているようで、見なくともその強力な妖気ですぐにわかる。
「おい、ラタナ」
 牢の中から、一匹の妖魔が声をかける。
 それにアビーは驚いた。
「もう一度勝負しろ。こんなところに閉じ込めやがって」
「そりゃお前さんがめちゃくちゃやったからだろ」
「勝負しろ。次はぶっ殺してやる」
「あー、はいはい、何回やっても結果は変わらねーよ」
 その後も妖魔は挑発的な言葉を喚き散らしていたが、ラタナは一切相手をせず、牢を素通りする。
「しゃ……しゃべれるんですか?」
 ここに閉じ込められているのは「成れの果て」ばかりだと思っていた。理性を失い、言葉も理解できない、知能を失ってしまった妖魔ばかりだと。
 アビーの質問に、ラタナは頷く。
「例外もいますけど、だいたいみんなしゃべれますよ?」
「ちょっと誤解があったようですね。すみません、私の説明不足でした。アビーさんは最奥には成れの果てを収容してると思っていたんですね?」
 カーターの話に、アビーはこくこくと何度も頷く。
「成れの果てはすぐに殺してしまうので、第四区域には、というより、この世界のどこにもいないんです」
「私達がここを統治するにあたって、一番初めに力の強い妖魔の処遇を決めました」
 カーターから引継ぎ、シュガが説明する。
「よほどの殺戮を行わない限りは見逃します。力の強い妖魔が存在することにより抑止力にも繋がりますから。残念なことに負の感情に飲み込まれてしまった成れの果ては、見つけ次第すぐに殺すことにしました。成れの果てへと変貌してしまったら、もう元に戻す術はありません。ですからここにいるのは、こちらが決めた最低限のルールに従わない者、無闇に乱を起こそうとする者、そして成れの果てになりかけている者です」
「つまり、変な奴ばかりというわけです」
 ラタナが大雑把に纏めた。
「えーと、冤罪とかそういう可能性は……」
「ありません」
 きっぱりとシュガは否定する。
「ここに収容されている者は、人間妖魔問わず大量の殺戮と破壊を行った者ばかりです。領主が出動するような事態を起こした者です」
 ごくりとアビーの喉が鳴る。
 ちらりと牢を見れば、中から鋭い眼光が返ってくる。
「どうして……?殺さないんですか……?何か理由があるんですか?」
「そうですね。私達は殺さないことを選びました」
「……どういうことですか?」
 アビーの質問に、シュガはただ微笑むだけだった。
 ここでは言えないことなのだろう、アビーはそう察し、追求することをやめた。
 アビーが珍しいのか、牢の中から話しかけてくる者が多い。
 何を言われても戯言だと思ってください、とラタナに言われた為、強制的に何も聞かなかったことにする。そもそもアビーには話しかけられてもそちらを見る勇気がなく、びくびくしながら進んでいるので何を言われたところで頭の中に入ってこない。
 ああ、身が持たない。何か話でもして気を紛らわせないと。
「あの、え……と、そうだ。先ほど成れの果てになりかけている者とシュガ様はおっしゃいましたけど、それって……」
「そのままの意味ですよ。放っておけば成れの果てになってしまいます。なりかけて、もう元には戻れない者です」
 アビーの頭の中に、とある人物が浮かんだ。気を紛らわせるためにこの話題を選んだのも、そのためだ。
「もしかしてシキって、危なかったですか?」
 喜怒哀楽をあまり表情に出さない、どちらかというと無愛想な仲間。けれども細かい気遣いが出来る、優しい仲間だ。
 シュガは少し困ったような笑みを浮かべた。
「ええ、そうです。もう少し遅れていたら、手遅れになっていたでしょう」
「良かった。もう大丈夫なんですね?」
「今は大丈夫です。未来のことはわかりませんが……」
 シュガにしては、歯切れが悪い。
「じゃ、じゃあ、ここに閉じ込められる可能性もあるってことですか?」
「そう……ですね。最悪の場合はそうなります」
 鬼の血が混じっている彼女は、精神のバランスが危ういところがある。さらに戦えば無類の強さを発揮するのだから、成れの果てに成り得る条件にぴったりと当てはまってしまう。第四区域の連中に目を付けられた。見事、ブラックリスト入りということなのだろう。
「で、でも、シキはよい子なんです。無愛想だけど、実は親切ですし。困ってると助けてくれます。日本茶をあげると喜ぶんです。それに、えーと、とにかく、成れの果てなんかには絶対になりません!」
「ええ、そうです。もちろんです。そんな風には絶対にさせませんよ」
 握る手に、少しばかり力が入る。
 手を通じて、覚悟が伝わる。
「シュガ様。私、帰ったらシキを思いっきり抱きしめることにします」
「ええ、そうしてあげてください。きっと喜びますよ」
 いや、喜びはしないだろう。潔癖症なところのある彼女だ。訳もわからずいきなり抱きしめられたら嫌な顔をするに違いない。だが、それでいい。見た目はアビーの方が子供に見えるが、生きている年数は遥かにアビーの方が上だ。老婆心というやつだろうか。可愛くて仕方が無いのだ。
 とにかく今はシキが成れの果てにならずに済んだことに、ほろりと涙する。
 そうこうしているうちに、再び鉄のドアが現れた。
 重厚な扉を開け、次の間へと入る。
 先ほどと同じように牢が続くのだが、牢と牢の間隔がかなり広い。妖気が漏れ出ていないということは、それさえも防いでしまう強力な結界が張られているのだろう。さらに、音がすぐにどこかに吸収され、反射しない。不気味な静けさが漂っている。
「さっきのところは俺でもぶっ殺せるくらいの奴らなんで、それほどたいしたことはないんです。問題は、こっからです」
 アビーはぎゅっとシュガの手を握る。シュガもその手を握り返した。
「アビー、先ほどの問いです」
 どうして殺さないのか、という質問だ。
「少し複雑な事情があるのですよ。負の感情に支配され、飲まれてしまえば理性を失い、成れの果てとなります。我々に匹敵するほどの力を持った妖魔もそれは同じです。では、我々に匹敵するほどの力を持った妖魔が、成れの果てとしてではなく、己の意思で殺戮と破壊を繰り返す場合はどうしますか?」
「それは……領主様のどなたかが戦って殺してもらうしか……」
「彼らは自分が一番だと思っているのです。私達が現れ、彼らと戦います。彼らは、確実に恐怖や絶望を味わうことになるでしょう。それが急速に精神を蝕み、成れの果てへと姿を変えます。もしくは、殺戮が出来るのならばと、自ら成れの果てへと転ずる者もいるでしょう。そういう者が、いました。今も、います。戦えば、確実に周りの建物や生物に影響が出てしまいますから、それは得策ではないのです」
「え?でも、それじゃあどうやって第四区域に連れてくるのですか?」
「動きを封じることは、意外と楽なのですよ。そういうのが得意な方がたくさんいらっしゃいますので。神と名の付く方々が勢ぞろいで封じるのですから、第四区域から逃げることも絶対に出来ません」
 一対一ならば怪しくとも、一対二、一対三となれば、まず負けることがない。
 だから、この混沌の地、「ゴミの掃き溜め」の中で頂点に立つ彼らは手を組んだ。
「でも、閉じ込めるだけでは、やがて第四区域はパンクしてしまいませんか?」
「さすが鋭いですね。そうです、アビーの言うとおりです。だから殺すのです。穏やかに」
「えっ……?」
「ほら、ちょうどいらっしゃいますよ」
 先ほどから気になっていた。進んで行く先、とある牢の前に何人か人が居る。
 薄暗さにも目が慣れたため、少し離れていても姿形がわかる。
 額に角の生えた、金棒を担いだ男。中世ヨーロッパのようなドレスに身を包んだ女。肌も髪も透ける様に白い少女。その傍に控える、銀髪の女。それから、帽子を深く被った少女。もう一人は、どこにでもあるシャツとズボンを着用した、男だろうか女だろうか、性別の判断がつかないほど中性的な人間。
 白髪の少女と銀髪の女、それから綺麗なドレスに身を包んだ女はアビーも知っている。第二区域の領主のレイと、その従者であるチキ。そして第五区域の領主、セリスだ。
 となると、角の男が第四区域の領主、ラクシということなのだろう。
「こんにちは」
 シュガが彼らに声をかける。
「ああ、どうもこんにちは」
 と、軽く頭を下げるラクシ。
「ごきげんよう。ご無沙汰しておりますシュガ様、アビー様、それにラタナ様とカーター様も」
 ドレスのすそを軽く摘み、丁寧に挨拶を返すセリス。相変わらず礼儀正しい。だが、一歩引いてしまう。表情は笑顔なのだが、腹に何か抱えていそうな怪しさがある。つまり、どこか胡散臭い。蚤の心臓を持つアビーは、思わず一歩引いてしまった。
 レイとチキは無言で頭を下げる。アビーも頭を下げて返した。
 もう一人の人間は無反応だ。表情さえ無い。
「アビー、紹介します。こちらが第四区域の領主、ラクシ様です」
 額に角の生えた、金棒を担いだ男。
 はじめまして、と挨拶されたので、はじめまして、とアビーもつっかえながらも口にした。当然のことながら、腰はかなり引けてしまっている。担いでいる金棒に血がこびりついているのだ。怯えるなという方が無理がある。
「そしてこちらの方が、第七区域の領主、アル様です」
 はじめましてー、とまったく場違いな明るく陽気な挨拶をされたが、はじめまして、とアビーはぎこちなく返した。
 一体何なのだ、この勢ぞろいのメンバーは。早くこの場から立ち去りたい。心の底からそう思った。
 無反応な人間の紹介はない。
「ずいぶん可愛らしい方を連れて来てくれましたね。これでうちのイメージも向上しそうです」
 ラクシは満足げに頷く。ラタナも、でしょでしょ?、と嬉しそうに笑う。
「まだ見学ですよ。決まったわけではありません」
 アビーが言えない代わりに、シュガがきっぱりと否定する。
「そうですか。それは残念です」
 本当に残念そうに眉を下げる。第四区域の妖魔達はみな表情が豊かなのだろうか。
「それにしても、ちょうど良いタイミングでした」
「まったくです」
 シュガの言葉に、ラクシは頷く。
「姉御、元気ですか?」
「残念ながら元気ですね。まだ死にそうにありませんよ」
「えっ……?」
 ラタナとラクシの会話に、思わずアビーは声をあげた。
 確かに今、ラタナは姉御と言った。その姉御とやらは、ラタナがきらきらしながら語ったお頭との運命の出会いで出てきた人物だ。
 そういえば姉御についてはラタナは話しづらそうだった。直接会ってみればわかると言っていた。
「えっ……えええっ!?」
 無反応無表情の人間以外、全員アビーを見る。
 領主に囲まれた緊張状態と思ってもみなかった展開に頭が爆発、ラタナに掴みかかった。
「ど、どういうことですか!?姉御って!?どうして!?」
 ゆっさゆっさと揺するが、体格差からラタナは一切揺れず、揺らしているはずのアビーが揺れてしまっている。
「あ、あの、落ち着いてください、アビーさん」
 小動物のようだったアビーの突然の行動に、ラタナも動揺を隠し切れない。
「だって姉御って、ラタナさんの話の中に……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
 そっと肩を掴まれる。だがそれだけで大きな圧力がかかったかのように、アビーは動けなくなった。
 動きが止まったので、ラタナはすぐに手を放す。意外とカーターに言われたことを気にしているようだ。
「彼女のことを話してここに連れて来たのではないのですか?」
「いや、話しませんよ。姉御のことはお頭が話した方がいいじゃないっすか。俺が話したのは、俺とお頭の運命の出会いですよ」
「貴方まだそんなこと言ってるんですか。恥ずかしい」
「いやいや、それ以上に適した言葉がないじゃないっすか」
「まったく」
 ラクシは呆れたようにため息を漏らす。
「とりあえず話は後にしまして、作業を終わらせてしまいませんか?その方がアビーさんの疑問にも正確に答えられますし」
 セリスの提案に、他のメンバーも賛同する。
「じゃ、いっくよー」
 アルが元気に声をかける。
「了解」
 チキが答える。
「いつでもどうぞ」
 と、ラクシ。
 とある牢の前。牢の中は、何も見えなかった。視覚に写さないほどの強固な結界。アビーの目には白しか見えていなかった。先ほどまでは。
 戦闘能力も、何の術も持たないアビーにはそれが何かわからない。だが、領主達がそれを行ったのだということはわかる。
 牢に張られた強固な結界が、真っ白しか映っていなかったものが、一瞬にして澄み渡り、中の様子が露わになる。
 シュガは自分の背にアビーを押しやる。さらにその前を遮るようにしてレイが立つ。
 中が見えるようになった牢。いや、結界が解かれた牢。
 セリスの鼻歌が聞こえてくる。
 綺麗な歌声。だが、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを伴う。金縛りにあったかのように、身体が動かなくなる。
 牢の中に、あの無反応な人間が入っていく。
 生暖かい風が、ふわりと髪を撫でた。
 そして再び、牢の中は見えなくなる。氷が張ったような白に覆われ、それを目に映すことはなくなる。
 すとん、と身体から力が抜けた。すぐにシュガが支える。
「大丈夫ですか?」
 ほんの数秒、目に宿したものが、今になって頭の中で再生される。
 角の生えた女。壁に釘で縫いつけられ、鎖で張りつけられ、さらには大量の札と呪符と方陣。あの人間が怯むことなく近づいて行く。目と鼻の先にまで近づき、女はその喉笛に噛み付いた。
 瞳がこちらを向く。
 もしもシュガが自分の背にアビーを隠していなかったならば、レイが遮っていなかったならば、あの鬼が放った妖気でアビーはあっさり死んでいただろう。
 カーターは、ラクシとラタナが庇ったようだった。
 無害となった生暖かい風が、アビーを撫でる。
 これほどまで力の差。身体が震える。恐ろしくて仕方がない。
 けれども。
 はらりはらりと涙が零れる。
 こうまでしなければならなかった。他の者の存在を守るために。
 流れ出した涙が止まらない。何となく、わかってしまった。
 きっと、ここは悲しい場所なのだ。明るさ陽気さで覆い隠そうとしても隠れないほどに、悲しくてせつない、精神を蝕まれた妖魔が最期に辿り着く場所。
 最期の――。







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