-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第四話:第四区域
「臆病な彼女の方が大々的に困頓として混沌を受け入れている話」:第九節


 

 鎮まっていた涙が、再びはらりはらりと零れ落ちる。
「すみません、せっかく落ち着いたところでまた妙な話をしてしまって」
 ラクシがハンカチを差し出す。
「全然妙な話なんかじゃないです」
 ハンカチを受け取り、涙を拭うアビー。
「私には涙というものがありませんので、なんだか新鮮ですね」
「えっ?生まれて一度も泣いたことがないのですか?」
「ええ、鬼ですから」
 鬼の目にも涙、とレイがぼそりとつぶやいたが、残念ながらありませんね、とラクシは答えた。
 夢中になって話を聞いていたため、ここでようやくアビーは部屋の中を見渡す。
 あの後、シサラの妖気に中てられて全身の力が抜けてしまったため、シュガに抱えられてこの応接間へと辿り着いた。混乱していたためよく覚えていないが、他のメンバーもぞろぞろと一緒にやって来ていたようだ。
 レイは棚にあった本を勝手に読み漁っているし、チキはアビー達から少し離れたところにあるソファーでだらしなくくつろぎ、アルはケーキをホールごと頬張っている。セリスは活けてある花を見つめて上機嫌で鼻歌を歌っており、ラクシの話などどこ吹く風だ。カーターは隅の方で椅子に腰掛け静かに待機しているが、ラタナの方はというと、じっとしているのが苦手なのか、そわそわしている。シュガはアビーの隣ですっと背筋を伸ばして座っていた。
 シュガとカーター、ギリギリでラタナも合格点とし、他のメンバーのあまりの自由気ままさに、アビーの涙がちょっと引っこんだ。
「これでこちらの話は終わりです。最奥まで見学していただきましたし、第四区域のことがだいたいわかっていただけたかと思います」
 こくりとアビーは頷く。
 確かに噂されているイメージとは違った。
 看守として働く、気さくでがさつで陽気な妖魔達。囚人として、最奥で幸せな夢を見続けている妖魔達。
 最期の楽園の第四区域。
「お頭、もっとアピールしてください。猛プッシュで。じゃないと逃げられちゃいますよ。せっかくの人材なんですから、しっかりゲットしておかないと」
 ラタナが、まったくひそひそ話になってない音量で声をかける。
「アピールポイント……そうですね。第四区域に来れば、ありとあらゆる拷問が楽しめます」
「いりません」
 アビーは即答した。さらに涙が引っ込む。
「ダメですか。それじゃあ……ああ、そういえばアビーさんのアピールポイントは何ですか?」
「へっ?」
 完全に涙が引っ込む。
「よければ聞かせてください。今気づいたのですが、私はアビーさんの種族も知らないので。人間ではないですよね?」
「えーと、ま、魔女です」
「ほう、魔女ですか。珍しいですね。魔法は扱えるのですか?うんちゃらなんちゃらーって呪文を唱えれば、かぼちゃが馬車になったり」
 それに反応するレイとチキとアル。アビーを見る。
 なぜそんな目で見るのですか。なぜそんな目を輝かせるのですか。そんなファンタジーできるわけないじゃないですか。むしろ貴方達がやってのけてしまうじゃないですか。ていうか、神の貴方達がなぜ魔女如きに心躍らせるのですか。
 そう心の中で叫ぶ。怖いので決して口にはしないが。
「す、すいません。魔法は出来ません」
 レイは再び本に目を落とし、チキは再びだらしなくソファーにもたれかかり、アルは再びケーキを頬張る。
「ほんとすいません」
「あ、いえ、あっちの自由人は気にしないでください。私の方こそすいません。魔女のイメージってそういう感じでして。あとは箒で空を飛んだり」
 またしてもレイとチキとアルが反応する。目を輝かせて。
 なぜ反応するのですか。なぜ目を輝かせるのですか。空なら貴方達だって飛べるでしょう。
 決して口にはしないが。
「……何も出来ない魔女ですいません」
「いえ、あの人達は無視してください。気にするだけ損なので」
「ご期待に沿えるような取り柄がなくてすいません」
「ですが、魔女というからには何かあるのではないのですか?」
「その、薬草の研究をしてまして、そういうのがちょっと詳しいぐらいです……すいません」
 セリスの鼻歌が聞こえてくる。何の歌かわからないが、心地の良い歌だ。
 けれど、アビーはきゅっとハンカチを握り締める。
 劣等感がどんどん積もっていく。
「同じ魔女でも、魔法が使える人もいます。むしろそっちの方が多いくらいです」
 どんどん積もっていって、溢れ出して来る。
「後世に出来上がったイメージが、そういった魔女を生み出しました。こう見えても私は初期の魔女なんです。だから派手な術は持たなくて、本当に地味なことしか出来ないんです」
「その地味なことって、どういうことですか?」
 綺麗な歌声が頭の中で響く。歌にあわせて、口が動く。アビーの中から言葉が出てくる。
「この草を煎じて飲めば腹痛が治るといったようなことなんですが、草や花を摘み取る前に、その植物だったり大地から力を分けてもらうんです。そうすればよく効いて、みるみるうちに病気が治ってしまいます」
「ほう、それは妖魔にも効きますか?」
「よほどのことでない限りは効きます。薬草の効果というよりも、分けてもらった力の方が効果を発揮しますので」
「それはすごいですね。人間達には感謝されたのではないのですか?」
「はい。病気になった時は皆さん私の元へ訪れてくれました。病気が治ったら、お礼にいろいろ持ってきてくれるんです。私もそれが嬉しくて、だからずっと薬草の研究をしていました」
「それが、どうしてこんなところに?」
「魔女狩りです」
 中世ヨーロッパで起こった、有名な出来事。
 年を取らず、病気をたちまちに治してしまうアビーにも、それは例外ではなかった。
「それで逃げてきたのですか」
「でも、町の人達は私を逃がしてくれたんです。このままだと捕まってしまうから、今のうちに逃げてくれって。だから私は町のみんなを恨んでなんかいません」
 迫り来る狂乱。そのほぼ全てが冤罪。疑心暗鬼が密告を呼び、疑われた者は弁明の余地すらなく火で炙られた。男だろうが子供だろうが関係なく処刑されていく。アビーが暮らす町の者も、何人も捕まった。
 けれども、アビーが真っ先に生贄に差し出されることはなかった。最後の最後になって、懇願された。このままではあんたを差し出さなきゃいけなくなる。今のうちに逃げてくれ、と。
「本当はみんなにありがとうって言わなきゃいけなかったのに、笑ってさよならって言わなきゃいけなかったのに……」
 臆病だったから、何ひとつ出来なかった。何も、出来なかった。
「町から逃げ出して、それからのことはよく覚えていません」
 走って走って、長年住み慣れた町を捨てて逃げて、どこへ行けばいいのか、これからどうすればいいのか、恐怖と不安とで押しつぶされそうになった時。
「ボロボロでもうダメって時に、シュガ様と出会いました」
「山の中で拾いました」
 どういう経路でここへ来たのかはアビーは覚えていない。気を失ってしまい、気づいた時にはベッドの上だった。
 もしあの時シュガと出会ってなければ。考えるだけで背筋に冷たいものが走る。
「シュガ様は本当に私なんかにもよくしてくれて、だから私もいっぱい恩返しがしたくて、でも私には何にも取り柄がなくて、こつこつと地道にがんばることしかできなくて……」
 もっと何かしたい。もっと助けたい。
 思いばかりが空回りする。
「私だって何か役に立ちたいんです。でも、自信がないんです。臆病で、小心者で、特別優れた何かもない。私だってもっといろんなことが出来たらって思います。一歩、前に出れたらって思うんです。もっと……!」
 歌が止む。頭の中で響いていた声が消え、静かになる。
 しんと静まり返り、アビーは自分の口を押さえた。そして、セリスを見る。
 嵌められた。あんな長々と自分の思いを、普段のアビーならば決して口になど出来ない。しかもこの場にいるのはそうそうたるメンバーだ。いつもなら雑談でさえ萎縮してしまって出来るはずなどないのに。
 ラクシとレイ、チキ、アルの四人がセリスに向け、ぐっと親指を立てている。
 何この連係プレイ。
 失礼なことを言わなかっただろうか、怒りを買ってないだろうか、アビーの蚤の心臓は今にも爆発しそうな勢いだ。
「アビーさんの思っていることはわかりました」
 ぷるぷると震えているアビーに、ラクシが声をかける。
「あまり自分を卑下しないでください。そもそも、こんなかっちりきっちりした人の傍で長年働いてきたこと自体、賞賛に値しますよ」
「ほんっとにね」
 だらだらとくつろいでいるチキとアルが、共に頷く。
 ラクシは無視して続ける。
「貴女はすばらしい方ですよ」
「そ、そんなことは……」
「取り柄ならたくさんあるじゃないですか。貴女が長年研究してきた薬草の知識はすばらしいものですし、病を治すなんてことはすごい能力です。私なんかよりも、ずっと優れたすばらしい力ですよ」
 ぽたりぽたりと涙が零れる。
「で、でも、私は……」
 いつもいつも誰かに守って貰って、誰かに助けて貰って、それなのに身に危険が迫ると逃げ出して。
「みんなを最後まで見守ることが出来なかったんです。ありがとうのひとつも言えず、みんなが大変な時に逃げ出したんです。いつもいつも、勇気がなくて……」
「いいじゃないですか、弱くったって。強くある必要なんてないですよ」
「でも、それだと……」
「大丈夫ですよ」
 シュガがにこりと微笑む。
「貴女には貴女にしか出来ないことがあるじゃないですか。私は、貴女がいてくれたのでずいぶん助かりましたよ」
「そんなこと……」
「自信なんてなくてもいいです。貴女が自信がなくても、私が自信を持って皆さんに自慢します。アビーはすごく優秀です、と」
「勇気がないなら、わけてあげる。背中を押して欲しいなら、いつだって押してあげる。倒れそうなら支えてあげる」
 レイは本を閉じ、アビーに言葉を投げかける。
「だから、がんばれ。どうしたいか、どうなりたいか、自分で選べばいい」
「がんばれ、がんばれ」
 アルも声援を送る。
「あの鬼にがつーんと自分の気持ちをぶつけてやればいいのよ」
 と、チキ。
「アビーさんはあの自由人達を少しは見習ったほうがいいですよ。見習いすぎるのは困りますが」
 と、ラクシ。
「……ありがとう……ございます」
「では、改めて言います。アビーさん、どうか貴女の力を私に貸してください。お願いします」
 アビーはシュガを見る。
「貴女が思うようにしてください」
 そう言って、シュガは微笑む。
「あ、もしここで言いにくいようでしたら、後日改めてという形でも結構ですので」
「いえ」
 アビーは首を振る。
「決まってます。決まりました」
 アビーは頭を下げる。
 いつもいつも誰かに守って貰って、いつもいつでも誰かが助けてくれて。勇気がなくて、一歩が踏み出せなくて。
 臆病、小心者、恐がり、情けなくて、何も出来なくて。
 でも、少しでも、ほんの少しでも役に立つのなら。
「補佐官の話、お受けします」
 ほんの少しでも支えられたら。
 最期の楽園を、支えたい。
「どうか、よろしくお願いします」
 わっ、とラタナとカーターが喜びの声をあげる。
 きゃーきゃー、ひゅーひゅー、カップル成立ー、と神々から湧き上がるしょーもない低レベルな冷やかしの声。
「ほんとにさっさと帰ってくれません?」
 そのやり取りに、アビーは笑う。
 陽気でがさつな妖魔達が支える最期の楽園。
 その楽園に、臆病な魔女も加わった。







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