あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

十の幕 山眠やまねむ


 外はうっすらと白い化粧を纏っている。
 昼を過ぎ、雲行きが怪しくなり始めたと思えば、ちらほらと雪が降り始めた。
 吹雪いてないのが幸いだ。生憎僕は傘を持ち合わせていない。
 空に晴れ間が広がる気配など微塵も無く、学校から家までの道のりを憂鬱に思う。勉学に身を入れず、窓の外を眺めては、酷くならないことを祈った。
 僕の祈りが通じたのか、おそらく偶々なのだが、雪はまだ降ってはいるものの、幸い吹雪くことも無く、風もそう強くは無い。
 今のうちだと、僕は学校から逃げるように帰路についた。
 はじめは寒さに身を縮めてはいたが、やがて雪を見る余裕が出来始めた。
 静かだ。この世はこんなにも静かだっただろうか。雪が降り積もる音さえも聞こえてきそうだった。
 寒いのは嫌いだが、こういうのは悪くない。いつもは寒い寒いと愚痴を零しているのだが、今日は心地よく家に帰ることができた。
 家の前まで来ると、台車があった。
 僕は思い出す。そういえば先日届いた手紙に、姉が年末年始は帰ると書いてあったな、と。
 台車を牽いて来た、狼のような犬のような狐のような顔の、額に小さな角が一本生えている物の怪が、僕を見ると会釈をした。
 物の怪の癖に、やけに礼儀正しい。
 僕も頭を下げて返す。
 玄関の戸を開くと、案の定、自分のものではない履物が二足。
 姉と、輔毅(ふき)君のものだ。
「ただいま」
 そう言って居間へ入ると、やはり姉と輔毅君がくつろいでいた。
 二人とも笑顔で、おかえり、と返す。
 なんだか少し納得いかないのだが、僕は気にしないことに努める。
「これ、お土産ね」
 姉が弓矢のようなものを渡してくる。
 破魔矢なのだろうか。それにしては少々形がいびつだ。一体何に使えというのだろうか。またしても物置にがらくたが増えてしまう。
「…饅頭とかは?」
「ああ、お餅なら。途中で買ってきた」
 期待していなかったため、思わず、おお、と喜びの声が上がってしまった。いつも嫌がらせ的な土産しか持ってこない姉にしては、今回は上出来だ。
 僕はさっそく手を伸ばし、餅を頬張る。
 僕が餅を食べるのを見届けてから、姉が言った。
「あんたどうせ暇なんだから、手伝ってよ」
「何を?」
「何をって、わかるでしょ。この時期なんだから。あんたそれでも神祇官?」
「だから、神祇官じゃないって」
 姉も、何かと僕を神祇官の道に引きずり込もうとしてくる。人に言われて従うのは嫌なので、姉の前では特に拒絶しているのだが、姉も諦めようとしない。
「そうは言うけど、あんた進学どうすんのよ」
 痛いところを突かれ、僕は言葉を失う。
「どうせあんたの成績じゃあ進学できないだろうし、覚悟を決めて伯父さんところで修行すれば?」
「あ、それすごく良い提案」
 姉の意見に、輔毅(ふき)君が賞賛を送る。
「うちに住み込んでお父さんに教えてもらえば、すぐに神祇官になれるよ」
 普通なら身内に甘くなるだろうが、あの伯父に限ってそんなことはあり得ない。むしろ厳しくなる。輔毅君は簡単に言うが、そう易々と神祇官にしてくれるはずがないのだ。そんな伯父のもとで修行など、考えただけでぞっとする。そもそも僕は、あの伯父が苦手なのだ。幼い頃から今、現在進行形で嫌というほど怒られているのだから。
 僕は会話を拒み、餅を口の中に放り込む。
「他の人ならともかく、伯父さんだとすぐには神祇官になれないよ」
 僕が思ったことと同じことを姉が口にする。
「大丈夫だよ。速燈(はやひ)君は神祇官の素質が十分すぎるほどあるし」
「あったとしても、根性無いから」
 そう言って、姉は笑い飛ばす。
 なんだか肩身が狭い。
 折を見て、ここから脱出することにした。
 会話が盛り上がる姉と輔毅(ふき)君を横目に、僕はじりじりと後退していく。
 あと少しというところだった。
「あ、忘れるところだった。ちゃんと手伝ってよね」
 話を振られ、僕は退室する機会を失ってしまった。
「…だから手伝うって何を?」
「山に結界を張って、閉じるんだよ」
 輔毅君が説明してくれた。
「春になるまで山を閉じて、その間神様にはゆっくり休養してもらおうってこと」
「ふーん。神様にも休みが必要なんだ」
「神様だって疲れるからね。たまには眠ることも必要なんだよ。ほら」
 輔毅君の示す方へ視線を向ける。そこには火鉢があった。その傍で、白い烏が丸まってうたた寝をしている。
「いや、あれは別だよ。神様らしくないし」
「神様だっていろいろあるんだから。あれはあれで良い神様だよ」
 輔毅君の言葉に、僕は考え込む。
 確かにあの白い烏のおかげで話し相手は間に合っている。喧嘩も八つ当たりも出来る。僕が無礼な働きをしても天罰を下さないのだから、そういう面では確かに良い神なのだろう。
「あんたは変なのに好かれるからね」
 姉にとっては神の類も、どうやら変なの扱いのようだ。恐ろしい。僕にとっては目の前にいるこの二人こそが変なものなのだが。
「とにかく、あんた暇なんだから、きっちり手伝うこと。ちょっとは修行しなさい」
 姉の命令では、僕には拒否権が無い。
 面倒だとは思ったが、不思議なことに、前ほど嫌だとは思わなかった。しかしそれを悟られたくなくて、僕は渋々を装いつつ、承諾した。





「寒い」
「うるさい」
 寒いとつぶやけば、先ほどから姉にうるさいと怒られる。しかしつぶやかずにはいられない寒さだ。 こんなにも寒いのに、姉も輔毅(ふき)君も平然としている。平然としているだけならいいのだが、輔毅君などはすごく薄着だ。見ているこっちが寒くなるほど、着込んでいない。何に使うのか、杖を持っている。
 僕はというと、この三人の中で一番の厚着だろう。その上、姉に無理やり水の入った瓢箪を大量に持たされ、正直動きにくい。絶対に落とすなとの命令のため、大事に抱えるしかないのだ。
 先陣を切って勇ましく山を登る姉に、僕は従うしかない。
 一人だけ息を切らしながら、なんとか頂上までたどり着いた。
 頂上には、鳥居と祠。それ以外は何もない。
 姉と輔毅君は拍手を打ち、この山の神へ挨拶をする。僕は手がふさがっているため、お辞儀だけ真似をした。
 いつもならこれだけなのだが、今日は輔毅君が祝詞を唱えている。何を言っているのか意味はさっぱりわからないが、僕らがこなす挨拶や近況報告等といった具合とそう大差ないだろう。それが神へと変わっただけだ。
 ひととおりの儀式を終えると、姉が、後ろのほうで見ていた僕を振り返る。
「さ、行くよ」
 そして僕の持っている瓢箪のうち、ひとつを奪い取った。
「行くってどこに?」
 姉はいつも説明がない。
 それをわかっている輔毅(ふき)君が、代わりに説明をしてくれた。
「頂上から円を描くように、ぐるりとまわりながら山を下りるんだ。山の中に居る悪いものを追い払って、綺麗な状態にして山を閉じなきゃダメだから。それに物の怪達にも知らせて、山の外に出て行ってもらうんだ」
 なるほど。悪いものがあるまま結界を張ってしまっては、とてもじゃないが神様も休養など出来ない。物の怪もそうだ。閉じ込められて、外に出られなくなってしまう。
 納得したと同時に、この後の大変さを思い、後悔も押し寄せた。やはり安易に了承するものではなかった。
 そう大きな山ではないが、登るだけでもそれなりの時間がかかる。円を描きながら下りるとなると、一体どれぐらいの時間と体力が必要になるのか。考えただけでもうんざりしてくる。だから僕は考えないことに努めることにした。
 僕は大人しく姉の後をついて歩く。
 道なき道を突き進んでいるのだが、不思議なことに、歩きやすい。草木がわざと僕達の通り道を作っているかのようだ。
 姉は時折瓢箪の水を垂らし、輔毅君も持ってきた杖で時折地面を打つ。
 それで悪いものを追い払っているのか、それとも結界を張る準備をしているのか。特殊な行動といえばそれだけで、後は雑談だ。
 僕は気になったので、訊いてみた。
「この瓢箪の中身って、水?」
「うん。でも清められた水だよ」
 輔毅(ふき)君が答えてくれた。若干嬉しそうなのは、僕が興味を示したからだろう。
「お父さんが作ったんだ。僕はこういうのを作るのは苦手だから」
「得意とか苦手とかあるんだ?」
「やっぱりあるよ。勉強だって、理系が得意な人と文系が得意な人といるでしょ?本当は全部できればいいんだけど、そういうわけにはいかないから」
「じゃあ、何かひとつでも得意なのがあれば、神祇官になれるの?」
「うん。なれるよ」
 意外だった。神祇官は全ての物事、災いや呪術、物の怪等に対処できなければならないと思っていたが、今の輔毅君の話によると、たったひとつでも秀でているものがあれば、神祇官として認められるらしい。
「ひとつだけずば抜けてるってことは、その事柄の専門になるからね。そういう問題が起きた時は、引く手数多で重宝がられるよ」
「輔毅君は何が得意なの?」
「あれ?言わなかったっけ?僕は攻撃専門だよ」
 言われて思い出した。そういえば、そんなことを言っていた。それを聞いて怖ろしいと思ったことも思い出した。
 姉には聞かなくてもわかる。思い出したし、それにもし知らなかったとしても、容易に考え付くことだ。害を及ぼす物の怪達を殴り倒している様子が見てきたかのように浮かんでしまう。
「本当はこういうのは苦手なんだけど、お父さんが勉強だって言うから」
 輔毅君は少し困った表情で笑う。
 何でも卒無くこなす印象があったが、輔毅君にも苦手なものがあったのには驚いた。
速燈(はやひ)君は僕とは違って、こういうことの方が得意そうだね。今度お父さんに教えてもらえばいいよ」
「いや、だから僕は…」
 まだ迷いのあるうちは、神祇官にはなりたくない。扱うものがものだけに、流されて神祇官になってしまっては、この場所に帰って来れないような気がしてならなかった。
 両親は、未だに帰ってこない。わかっていたことなのだが、もうこちら側に帰って来ることはないだろう。よほどの偶然が起こらない限り。
 残される不安を知ってしまったからには、同じような思いを誰にもさせたくない。
 そして、相手が神や物の怪の類だけに、流されて神祇官にはなりたくないのだ。常に僕の傍にいて、僕と共に過ごした彼らを、いい加減に扱いたくはなかった。だからこそ、固い決意が必要なのだ。ただ、今の僕に、そこまでの決意はまだ無い。
「どうせあんたの頭じゃ進学できないんだし、さっさと覚悟決めなさい」
 こういうことだけ姉はやたら首を突っ込んでくる。不愉快だが、ここで反抗すると後がいろいろ怖い。
 僕は言い返さず、黙ってついて行く。
速燈(はやひ)君なら清水ぐらいすぐ作れるようになるよ。お父さんに教わってみたら?いろいろ役に立つと思うよ」
「役に立つって…。家の中で清水なんか撒いたら、うちに住み着く物の怪達が怖がって出て行っちゃうじゃないか」
「ああ、そうか。速燈君は物の怪達に大人気だからね」
 おかげで退屈な日々を過ごさなくても良いのは事実だが、好かれているという実感は無い。むしろからかわれているような気がするのだが、それを口にするのは悔しいので、あえて返さなかった。
 早朝に山へ入り、頂上を目指す。それから円を描くように下山。日は高く昇り終え、下りて姿を消し始める。
 これまでずっと飲まず食わずだ。正直、かなり辛い。瓢箪の水をこっそり飲んでやろうかと思ったが、姉にばれたら怖いので何とか堪える。空腹は通り過ぎて、もう何も感じなくなった。
 さすがに会話も途切れてくる。そう何時間も話せるほどの内容があるわけじゃない。
 あまりの疲れに、思わずため息が出る。
「うるさい」
 そのたびに、姉に怒られる。
 仕方が無いじゃないか。本当に疲れているんだから。
 これだけ歩き回っているというのに、 姉と輔毅(ふき)君はそんな様子をこれっぽっちも見せない。
 僕は攻撃専門の神祇官には絶対になれそうにないことを悟った。
 休む気配を見せない二人から、徐々に遅れ気味になる。草木が歩く場所を作ってくれても、やはり飲まず食わずで長時間歩き続けるのは辛い。
 けれども、自分の心境の変化に、僕は気付き始めていた。
 以前の僕なら、神祇官でもないのになぜ手伝わなければならないのだと、愚痴を零していただろう。しかし今はそんな愚痴を零す気にはなれない。
 これからの未来に、神祇官の道があるということを僕自身がある程度感じ取っているからだろうか。
 もしそうなったとしても、この二人のようには絶対になれないだろうが。
 ふと、足元を何かが通った。見ると、毛むくじゃらの動物、いや、物の怪の類だろう。毛が長すぎのもぐらに見える。それが僕の足元を、元気に走り回っている。人懐っこい物の怪だ。
 疲れているのもあったので、気に留めないように努める。
 だがしばらくすると、今度は別の物の怪が姿を現した。狼のような物の怪だ。鋭い牙と爪とは対照的に、すぐ後ろを、恐る恐る僕を窺いながらついて歩く。
 またしばらくすると、さらにまた別の物の怪がやって来た。今度は小鬼だ。小鬼が三匹、仲良く並んで僕の方をちらちら見ながら、僕の足元を歩いている。
 こうなると、さすがに気になる。
 空からも鳥の姿をした物の怪が飛んできては、この行列に加わった。
 この物の怪の行列には、姉も輔毅君も目を丸くして驚いていた。一番驚きたいのは僕なのだが、どこか楽しそうな物の怪達を見ると、平静を装うしかない。
速燈(はやひ)君には敵わないなぁ」
 輔毅(ふき)君は苦笑する。
「こんな面倒なことしなくても、初めから速燈君一人に任せれば良かった」
 それは困る。そう返そうとしたが、僕から出た言葉は、
「痛っ」
 だった。
 小鬼達が小枝を持って、僕の足を突き刺してくる。
「こら、やめろ」
 足を振り払うと、小鬼達は楽しそうに散る。そしてまた僕の足元へ帰ってくる。
「速燈君は本当に物の怪達に大人気だね」
 断じて違う。これは好かれているのではなくて、完全にからかわれている。だがそれを口にしてしまうのは悔しい。
 今度は、いつの間にか加わった犬のような物の怪が、僕の足に体当たりを喰らわせる。
 完全に遊ばれている。我慢も限界だ。
 僕は振り返ると、物の怪達を追い掛け回す。一匹残らず捕まえておしおきしてやる。もう仕事の手伝いをしていることなど、頭にはなかった。
 物の怪達は散り散りに逃げ、一匹が危うくなると横から僕を攻撃して助け、見事な連携で僕を翻弄する。
 これはもう意地だ。とにかく一匹捕まえて、そこから芋づる式に他の物の怪も捕まえてやる。僕は姉に無理やり持たされていた瓢箪を放り出し、逃げる物の怪達を追いかける。姉の怒鳴り声と輔毅君の笑い声が聞こえるが、僕の理性を呼び戻すまでには至らなかった。
 さっきまでの疲れはどこへやら、僕は必死に物の怪達を追いかける。そんな僕の前を、物の怪達が楽しそうに逃げる。
 むきになってやり返そうとする僕と、楽しそうに僕をからかう物の怪達。場所は違えど、日常だ。これが、僕にとってはいつものことなのだ。
 おそらく僕は、姉や輔毅君のように攻撃専門の神祇官にはなれないだろう。そうなってしまえばきっと、この日常は無くなってしまう。
 当たり前のこの風景が、いつの間にか、無くてはならないものとなってしまった。彼らの居ない日々は、僕にとって非日常なのだ。
 あまりにも夢中になって物の怪達を追い掛け回していたため、平坦な道に出たところで、ようやく山を下りたのだと気がついた。
 空腹感と疲労感がどっと押し寄せてくる。
 僕はその場に座り込んだ。物の怪達がまだちょっかいをかけてくるが、もう返す体力は残っていない。
 どうやら僕はまっすぐに山を下りたのではなく、蛇行しながら山を下りていたようだ。しばらくすると、姉と輔毅君も山を下りてきた。あれだけ必死に走ったのに、歩いていた二人に軽々と追いつかれるとは情けない。
「お疲れ。僕らの方が早いかと思ってたんだけど」
 にこやかに笑う輔毅(ふき)君を見て、余計に疲労感が増してきた。ちょっとぐらい加勢してくれても良かったのに。
「さあ、最後の仕事だよ。立って立って」
 僕は促されるまま、最後の力を振り絞って立ち上がる。
「どうするの?」
「ただ手を合わせて願えばいいんだよ。神様が、ゆっくり休養できるように」
 輔毅君が、杖で地面を打つ。姉は、手を合わせた。
 僕もそっと手を合わせ、山を見る。
 いつもと変わらない山だ。ここに、姿は見えないが、神がいる。
 輔毅君が祝詞を唱え始める。
 相変わらず意味はわからないが、無事終了したといった類の報告だと勝手に自分で決め付けた。
 輔毅君は杖で地面を、姉は手を、二人揃って打つ。
 一瞬、山全体が薄っすらと光って見えた。ぼんやりと淡い光を放ち、すっと消える。
 その後は、他の山よりもどこかくすんで見えた。けれども嫌な感じはしない。
 神が休養に入ったのだろう。
 僕は勝手にそう思い込むことにした。それと同時に、安らかな休息を願う。
「ねぇ、速燈(はやひ)君」
 輔毅君が言った。
「本当に神祇官になるつもりは無いの?」
 僕は、僕の足元で元気に走り回る物の怪達を見た。
 おそらく僕は、彼らに励まされたり悩まされたりして、この先ずっと過ごしていくのだろう。神祇官であろうと、なかろうと。
 僕は答えた。
「もう少し先のことだし、まだ、わからないよ」
 輔毅君は心境の変化を悟ったのか、僕の答えに満足そうに頷いた。





 十の幕 山眠る<了>




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