あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

十一の幕 りゅうたま


 突然だった。
 突然、輔毅(ふき)君がやって来たかと思うと、 何やら姉と深刻な話をしている。さらには伯父までやって来て、話し込んでいる。
 その雰囲気から緊急事態だということは窺えるのだが、僕はというと、呑気に火鉢で餅を焼いていた。
 仲間にいれてくれないからといって、拗ねているわけではない。断じてそういうわけではない。僕は神祇官ではないし、話に混じったところで何かできるとは到底思えない。
 だが、あれだけ神祇官にならないかと誘ってくる割に、重要なことは蚊帳の外というのは、やはり寂しいものがある。
 だからといって、拗ねているわけではないと、何度も自分に言い聞かせる。今はこの餅を上手く焼くことだけに集中したいのだが、やはり気になる。気にしないように努めれば努めるほど、聞き耳を立ててしまう自分が情けない。
「そんなに気になるなら、混ざってくればいいだろう」
 この家に住み着く白い烏が、ため息混じりにつぶやいた。
 この烏は、僕の気持ちを読み取るのが上手い。それはそれでいいのだが、そのまま言葉にしてしまうから始末が悪い。
「……僕が混ざったからって、何か力になるとは思えないよ」
 そう、僕は神祇官ではないのだ。話がわかったところで、役に立つわけが無い。
「案外お前の領域かもしれんぞ?」
「え?」
「やってみるか?」
 僕の目を見て、烏はそう言った。
 咄嗟に返事が出来なかった自分の小心が情けない。
「……何が起こってるか知ってるの?」
「これでもお前達からしてみれば、『神』の類だからな」
 僕の驚きをよそに、烏は餅をつつく。
「神と言っても、その形態は様々だ」
「たとえばお前のように、人の家に住み着く神もいれば、山で神として人々から崇められる神もいるってことだろ?」
「そうだ」
 変わらず餅から目を離さない。
「どんな形態の神とて、ある程度親交があり、情報が回ってる」
 なるほど。神同士の情報網なら、かなり信頼できる。
「それで、一体何があったんだ?」
 僕は身を乗り出す。しかし烏はちらりと僕を見ただけで、美味そうに餅を食っている。
「……おい、教えてくれるんじゃなかったのか?」
「教えてやってもいいが、お前は神祇官ではないのだろう?」
 ご尤も。しかし、こそこそされては気になるというのが人というもの。
「……別にいいじゃないか。僕にだってちょっとは関係のあることだし…」
 もごもごと言い訳を並べてみるが、それらしくならない自分の言語能力が悲しい。
「素直に気になると言えばいいものを……」
 烏は呆れてため息を零す。
「うるさいな。教えると言った癖に、一体何なんだよ。神祇官じゃない僕にでも出来ることだったら、それでいいじゃないか」
 烏はちらりと僕を見ただけで、何も返さず餅をすべて平らげた。
 僕は言葉に迷い、ただ烏を見つめるだけだった。
 やがて、烏は言った。
「神が帰ってこない」
「え?」
 意味がわからず、聞き返すことしかできなかった。もっと頭の回転が早ければいいのだが、残念ながら僕にはそんな器量はない。
「人の家に住み着く神もいれば、自然の中に混じる神もいる」
 それは先ほど僕が言った台詞だから、意味はわかる。
「中には、渡り鳥のように各地を回る神もいる」
 そこで僕はようやく理解した。
「そうか。行ったきり帰ってこないのか」
 それは大変だ。しかし同時に疑問も湧き上がる。
「帰ってこないと何がまずいんだ?」
 すべての場所に神が存在しているわけではない。今までいた神がいなくなってしまうのは寂しいけれど、大きな害があるようには思えない。各地を渡っている神ならば、尚更なのではないのか。
「確かに、居ても居なくとも人にとっては関係の無い神は多い。だが、この世の理に組み込まれている神は、そういうわけにはいかない」
「……どういうことだ?」
「季節を司る神は、各地を巡り、必ず帰ってこなければならない。来なければ、季節は訪れない」
「じゃあ、今行方不明の神って……」
「春の神だ」
「それは大変だ。今すぐ探しに行かなきゃ」
 僕は立ち上がった。
 いくら僕の頭でも、これがどれほど深刻な状況か理解できる。なるほど、だから伯父も姉も輔毅君も慌てていたのか。
 春が来なければ、夏が来ても意味が無い。冬のまま、ずっと草木は枯れたままは是非とも避けたい。
「こっちだ」
 烏は庭へと降り立つ。僕も急いで庭へと出た。
 白い烏は飛んでは止まり、飛んでは止まりと、僕を導く。
 導いた先は、裏にある神社だった。
 ここは家の庭と繋がっていて、敷地内にある。正面玄関の、ちょうど真裏。小さな拝殿と、鳥居があるだけの神社だ。一応僕が管理人ということになっている。
 ここのところ掃除をさぼっていたからか、落ち葉やら枯れ木が散乱していてちょっと汚い。
 僕は直感で、これからどうするのかわかってしまった。が、一応念のため聞いておく。やはり心構えというものは必要だ。
「どこ行くの?」
「鳥居を抜けて、迷い神を捜しに行く」
 なるほど。つまり、こちらの世界ではないところへと行くのか。
「帰ってきたら百年後とか嫌だよ?」
 どこぞの昔話によくある展開だ。
「それはない」
 烏はきっぱり否定した。
 それなら安心だ。そこだけが心配だったから、迷いは無くなった。
 不思議なことに、帰れなくなる心配は心のどこを探しても見つからなかった。第一、この白い烏がいるし、たとえいないとしても、なぜかわからないが、絶対に帰ってこれるという自信があった。
 僕が帰るべき場所はあの家だ。勝手に住み着く物の怪たちと、少し変わった家族の集う、あの家だ。
 烏は僕の肩に止まる。
 鳥居を抜ければ、物の怪たちの世界。
 僕は一歩一歩、ゆっくりと近づく。帰ってこれる自信は揺らがない。
 僕は向こう側の世界へ一歩踏み出した。
 真っ白だった。霧がかっていて、周囲の様子がよく見えない。けれども、鳥居はよく見える。
 僕は春の神を探しに、当ても無く歩き始めた。
「でもさ、神様なのに迷子って変じゃないか?」
「幼い神だ。神となってまだ間もない」
 それではなんだか人と同じではないか。まるで幼い子供のようだ。
 どうやって神が生まれるのか疑問だけれども、僕ら人にはきっと理解しがたいものなのだろう。
 しかし、幼い神ならば早く見つけ出してやらなければ。もしかしたら心細い思いをしているのかもしれない。
「その神様は、どういう姿なの?」
「知らん」
 ここまで来て何を言っているんだこの烏は。これで本当に神か。そういった思い全てを込め、肩に止まる烏を見つめる。
 烏はどこ吹く風で、足で首のあたりを掻いている。
「勢いでここまで来ちゃったけど、どうすればいいの?」
 正直、ここまで乗り込んできてしまったことを後悔しはじめていた。どこをどう探せばいいのかわからない。ただたださ迷い歩くだけだ。
 少々不安な気持ちを払ってもらおうと思っていたが、期待しただけ無駄だった。
「さあな」
 たった一言、それだけだった。
「……知らないなら、なんで来たの?」
「お前まで迷子にならないようにだ」
「人をけしかけておいてよく言うよ」
 そうだ。そもそも話を振ってきたのはこの烏なのだ。なのに後は人任せとは、一体どういう了見なんだ。なんだか腹立たしくなってきた。
「だいたい神祇官でもないのに、なんでこんなことに首突っ込むんだ。僕じゃなくて、伯父さん達が探しに行けばいいんだよ」
 今更こんなことを言っても仕方ないのはわかってるが、口が止まらない。情けないが、僕は自制心が低い。
「僕なんてまったくの素人なんだから…」
「お前は物の怪を引き寄せるからな」
「え?」
 思わぬ返しに、聞き返す。
「お前は物の怪を引き寄せる。目立つからな」
 何がどうなってそうなったのだろう。僕には思い当たる節が無い。
「だから渡りの神の目印にもなるだろう」
 よくわからない。僕に後光が差しているのならわかるが、 そんなことは絶対にありえない。 そういえば以前輔毅(ふき)君も、僕は物の怪に好かれる体質だと言っていた。本当に好かれているのか、からかわれているのか実際のところはわからないが、僕の何かが彼らを引き寄せるのだろう。僕自身としては、思い当たる節はまったく見当がつかないのだが。
 ということは、家に住み着く物の怪たちも、僕が引き寄せているということなのだろうか。そしてこの神も、引き寄せられて僕のそばにいるのだろうか。
 ふと疑問に思った。
「お前も、以前はここにいたのか?」
「そうだな」
 そっけなく烏は答えた。
「なんで家に住み着くようになったの?」
 一番まともな答えが返ってきそうなので尋ねてみることにした。
 家に住み着く物の怪たちは、なぜ家を定住の地として選んだのだろうか。いくら僕が引き寄せる体質だと言っても、そこまでの力はないはずだ。庭にある神社に通っている物の怪もいるぐらいなのだ。頻繁に通っても、家に住み着くことはない。だいたいそんなに簡単に引き寄せられていたら、物の怪たちも大変だろう。
 神祇官一族の家だからとか、神社があるからとか、そういう答えを想像していたのだが、返ってきたものはそれを容易く超えたものだった。
「覚えていないのか」
「え?」
 よく意味がわからず、聞き返す。先ほどから聞き返してばかりだ。
「幼かったし、無理もないか」
 物心つく前から、あの家には物の怪たちが住み着いていた。そのため、どの物の怪が一番古いなどといったことはわからない。気づいたら、彼らはそこに居た。僕のそばに居た。
「もしかして、お父さんとか伯父さんとかに頼まれた?使役されてるとか?」
「違うな」
 烏はきっぱりと否定した。
「じゃあどうして?」
 なぜ僕なのか。僕の守護神となったのか。
 烏は、よく通る声で語りだした。
「お前がまだ幼い頃だ。お前はここに迷い込んだ」
 意外な事実に返す言葉が無い。初耳だ。僕にそんな衝撃の過去があったとは。
「その頃、わしは神といっても、忘れ去られた神だった。参拝する者もおらず、朽ち果てていく神社に住んでいた。そして、獲物と間違えた猟師に撃たれた」
 そうだった。かすかに記憶がある。
「わしはここに逃げ込み、速燈(はやひ)、お前と会った」
 そうか、あれはここでの出来事だったのか。
 記憶というのは案外当てにならない。
 僕がまだ幼い頃、四つか五つぐらいだったと思われる。 傷ついた鳥を家に連れて帰り、両親に手当てを頼んだ記憶が薄っすらと残っている。
 それがまさか、ここでの出来事で、こいつとの出会いだったとは。僕の記憶は本当に当てにならない。
「お前がわしを見つけ、連れ帰った。手当てを受け、そしてそのままあの家に住み着いた」
 烏は僕の肩から飛び立つ。
 翼を羽ばたかせるたびに、姿が大きくなる。そして、僕の目の前に降り立った。
 光り輝くほど真っ白で、長い尾は黄金に光っている。その姿は、鳳のように思えた。
 立派な神だ。本当に、立派な姿だった。
「…恩返しのために?」
 忘れ去られた神と言った。帰る場所などなかったのだろう。
「違う」
 またしてもきっぱりと否定した。
「わしが、選んだ。お前は物の怪を引き寄せやすいからな。お前を守ろうと、わしが選んだ」
 翼を羽ばたかせる。今度は羽ばたくたびに姿が小さくなり、いつもの見慣れた烏の姿へと成る。そして、いつも通り僕の肩に止まる。
「年寄りが孫の成長を見守るようなものだ」
 よく通る声で、烏はそう言った。
 人は神が好きだ。何かあれば、神に縋る。そして、神の方も、もしかしたら人のことが好きなのかもしれない。こうして人のそばにいることを選ぶ神も存在する。
 このふたつの存在を、お互いが良い影響を及ぼすように調和を図る。それが神祇官の役割。
 とても言葉にはできないほど得がたいものだと、輔毅君は言った。
 彼らは確かにそこに居て、僕のそばにあり続けた。今までも、これからも。決して、切っても切り離せない。
 それは、本当に言葉にできないほど――。
「見守っている孫の成長具合はどう?」
「ずいぶん阿呆に育ったな」
 本当にかわいくない奴だ。でも、今はそのやり取りがなんだか嬉しい。
「期待に添えないかもしれないけど、もう少し成長することにするよ」
 烏はそれについては何も返さなかった。
 僕の心は固まりつつあった。あともうひと押し。それが足りない。けれどもそれが一体何なのかは、わかっている。
 だが今は、幼い春の神を探すのが先決だ。
 濃い霧の中、目を凝らす。
 僕は春の神の姿を知らない。姿形を知らないのに探すというのは雲を掴むような話だ。烏が知っているものだと思い込んでいたのが計算違いだった。
 春の神がいるとなれば、夏や秋、冬の神もあって当然なのだろうが、残念ながらそのどれにもお目にかかったことは無い。春の神というのだから、草木に春をもたらす神だと安易な想像しているが、その姿形は皆目見当がつかない。
 さて、どうしたものか。
 立ち止まり、思案する。
 振り返った。
 霧がかっていて視界は悪いが、鳥居はずっとこの距離のままそこに佇んでいる。僕が僕を忘れない限り、あの鳥居は帰る場所を示してくれるのだろう。
 しかし、あまり時間は裂けない。闇雲に歩き回っても疲れるだけだ。ということは、あれしかない。
「おーい、春の神様ー」
 名案というには少々安易すぎるが、これが最も良い方法に思えた。姿形がどういう神様なのかわからないのだから、向こうから来てくれるのが一番良い。あまり期待は出来ないが、これしか方法が思いつかない。
「おーい、春の神様やーい。迎えに来ましたよー」
 代わり映えのしない風景に呼びかける。
「春の神様ー」
 呼びかけながら、適当に歩き回る。
 しばらくすると、霧の中から一際白く光り輝くものが見えた。近づいてみると、真っ白い犬だった。これはどこからどう見ても犬だ。けれどもここにいるということは、物の怪や神の類なのだろう。
 白い犬は頭を下げる。
 稀にこういった礼儀正しい奴がいるから調子が狂ってしまうが、礼には礼を返さなければならない。僕も頭を下げた。
 白い犬は何も言うことなく、僕に背を向ける。ついて来いということなのだろうか。少し戸惑い、肩に乗る白い烏に意見を求める。
「心配ない。あれも神の類だ」
 確かに神の類ならそう心配はないだろう。何かあったとしても、僕の肩にも一応神が乗っているわけだし。
 僕は白い犬について行く。
 犬が一歩一歩、足を進めるたびに、何やら光り輝くものが放たれ、一瞬霧が晴れる。
 これは紛うこと無く神だ。失礼かもしれないが、僕の肩に乗る烏より遥かに神らしい。
 やがてこの神は立ち止まり、僕を振り返る。そして視線を別の方向に向けた。
 霧がかっていてよく見えないが、小さい何かが宙を浮いている。宙を浮いている何かは、徐々に大きくなっていく。いや、こちらに向かってきているようだ。そう気づいた時には遅かった。それはもう僕の目の前に居て、額に直撃した。
 小石がぶつかったような衝撃に、額を押さえてうずくまる。
「何をしとるんだ、お前たちは」
 烏が呆れ気味につぶやいた。
 見ると、僕の足元に、小鳥が羽で頭を押さえて痛がっている。
 雀ほどの大きさだった。しかしただの小鳥とは違い、淡く桜色に光り輝いている。
 これが春の神なのだろう。僕はそう直感した。
「春の神様ですよね?迎えに来ました」
 僕がそう声をかけると、春の神は顔を上げ、きゅう、となんとも情けない表情で鳴いた。
 もしかしたら心細かったのかもしれない。なんだか人の子のようで、僕は思わず笑ってしまった。
「さあ、帰りましょう」
 春の神は頷いた。小さな羽をぱたぱたと動かして、僕の肩に飛び乗る。
 案内してくれた神にお礼を言おうとしたが、気づけばもうあの神はどこにも居なかった。
 救出は成功した。しかし、まだ帰れない。背中を押してくれるものを、探さなければならない。
「教えて欲しいんだ」
 僕は、言った。
「ここに、お父さんとお母さんがいるんでしょ?」
「…そうだな」
「どこにいるか、知ってるんでしょ?」
「…ああ」
「案内してほしい」
「会うのか?」
「うん。会って、確かめなきゃ前に進めない」
 突如行方をくらませた両親。それがわだかまりとなって、消えなかった。
 それを取り除かなければ、たとえ神祇官になったとしても、揺らいでしまいそうに思えた。帰るべき場所を、見失ってしまいそうに思えた。
「教えて欲しいんだ。どこにいるのか」
 しばらくの沈黙の後、烏は答えた。
「家にいる。わしらの住む家だ。ただし、こちら側のな」
「…わかった」
「会ってどうする?」
「どうもしないよ」
 僕は答えた。
「ただ、わだかまりを取り除きたいんだ。ちゃんと向き合わなきゃいけないことだから」
 この霧は、まるで僕の心の中を表しているようだ。すっきりと晴れない。
 この先、彼ら物の怪たちと共に暮らすためにも、帰るべき場所を見失わないためにも、この霧は晴らさなければならない。
 僕は、鳥居に向かって歩き出した。





 十一の幕 竜の玉<了>




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