あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

一の幕 


 屋根に積もっていた雪が解け、ぽたりぽたりと地面に滴り落ちる。
 それを何をするでもなくぼんやりと眺めるのが、僕は好きだった。
 しかしまだまだ寒いことには変わりないので、窓は閉め、毛布に包まって眺める。
 今の時代、この毛布はかなり貴重なものらしい。ふかふかで肌触りがよく、とても温かい。姉が何を思いどこで買ったのかは皆目見当はつかないけど、我が家に持ち帰ってくれた。
 一昨日まで姉はこの家に居た。
 放浪癖があるのか、それとも仕事なのかこれまたわからないけど、姉は普段はこの家には居ない。たまにふらりと帰ってきては、どこで手に入れたのか貴重な品々と金を持ち帰ってくる。
 ありがたいことはありがたいのだが、やはり時折恐くなってくる。
 僕がいくら尋ねたところで姉は何をしているのか普段はどこにいるのか何も答えない。僕は何ひとつ知らないわけだ。
 これでよく姉弟をやっているものだと思うのだが、もう慣れてしまった。人間の適応能力とは恐ろしいものだ。
 普通なら親が心配するのだろうが、残念ながらこの家にはその親さえいない。
 他界したという意味ではなく、どこにいるのかわからないのだ。
 今から約一年前、僕が高校へ進学したと同時に、両親はいきなり全ての財産を僕に譲り渡した。
 僕はあの時意味もわからず、両親の促すままに書類を作成してしまった。それがどうやら土地やら何やらの権利書というものらしい。
 そして両親は姿を晦ました。机の上に置手紙一枚だけを残してだ。ちゃんと朝ごはんを食べるんですよ、というわけのわからない言葉だけを残し、二人はどこかへ消え去った。
 もちろん僕はその手紙を粉々に破り裂いた。
 あの馬鹿夫婦が、と思わず天井に向かって叫んでいたのをよく覚えている。ちなみに姉は笑っていた。よく笑えるものだと思ったが、この姉も少し普通の人と感覚がずれているのだから仕方がない。
 そして時期を同じくして、姉も長く家を空けるようになったのだ。
 まったくわけのわからない人達だ。
 両親は僕に家と隣にある小さな墓地、そして裏庭に繋がっている小さな神社を残して姿を消し、姉はたまにふらりと帰ってきては貴重な品々と金を持ち帰ってくるのだ。
 もう一度言おう。まったくわけがわからない。
 僕はもう両親は死んだものと処理している。どうやら学校の授業料は払ってくれているようだが、それでも死んだものと処理をすることにする。そして姉はたまにやってくる客ということにしておく。そうすれば混乱は少ないように思えるのだ。
 納得いかないこともこうして無理やり納得させる。これでいいのだ。
 そういうことで僕は年若くして一人で生活することとなった。
 しかし、孤独ではない。ここには、変なものがたくさん住み着いてしまっているのだ。
 僕が滴り落ちる雫を眺めていると、枝がにゅっと伸びてきて、ばしばしと窓を叩く。
「こら、割れるだろ。ガラスは貴重なんだぞ」
 窓を開けて叱る。
 桜の木だ。
 この大きな桜の木は、たまにこうして僕を呼ぶ。正しくは桜の木ではなく、この桜の木と同化した物の怪なのだが。
 桜の木はばさばさと枝を上下させる。
 おそらく客が来たのだろう。
 この家は道の突き当たりにある。しかもこの家をぐるりと回らなければ正面玄関にたどり着かないようになっている。僕はいつも裏庭と繋がっている神社を通り抜け、勝手口から家に入るのだが、客がそんなことをするわけにはいかないだろう。
 そしてこの桜の木は、ちょうど客が見える位置にいる。
 客を知らせてくれるのはありがたいのだが、もう少し呼び方を考えて欲しいものだ。ガラスは貴重なものなのだから。
 僕は毛布から抜け出し、寒い寒いとつぶやきながら玄関へと移動する。
 たどり着いたと同時に、玄関の戸が開いた。
「や、元気にしてた?」
 和服に身を包んだ青年。
 人のよさそうな顔をしているが、何を考えているのかわからない。僕は、絶対この人は腹黒いと、失礼だがそう思っている。
 僕の従兄弟だ。 名前は輔毅(ふき)と言う。
「凍えそうなところ以外は、元気だよ」
 そう言うと、ああ、ごめん、と謝りながら戸を閉める。
「桜の木に呼ばれた?」
「呼ばれたよ。ガラスを割りそうな勢いで叩くから、ちょっとだけ叱っておいた」
「それは気の毒に」
 おそらく桜の木に対してだろう。
 輔毅君は、おじゃまするよ、と言って、草履を脱ぐ。
 こんな寒いのに和服で、しかも薄着だ。見ているこっちがよけい寒くなる。
 輔毅君は草履を脱ぐと、縁側のある庭に面した客間へと移動する。彼はここがお気に入りだ。
 僕は火鉢をそこまで持って行き、湯を沸かす。
「あ、お茶」
 僕がいろいろ用意していると、輔毅君がそんなことを少し驚いた顔で言った。
「ここでも売ってたりするんだ?」
「そんなわけないよ。姉さんが持って帰ってきたんだ」
「へぇ。気が利くね。ところでお茶の淹れ方知ってるの?」
 失礼な人だ。
「それぐらい知ってるよ」
 湯を淹れ、急須の蓋を押さえて回す。
「本当はそれ、左からまわすんだよ」
「えっ?そうなの?」
「嘘だよ」
 自分の単純さにも腹が立つし、こうしてやって来てはいちいち僕をからかうこの従兄弟にも腹が立つ。
 輔毅(ふき)君はごめんごめんと言いながらも笑っている。
 まったく性質の悪い。僕がこの従兄弟を腹黒いと思う所以はこのあたりが原因の一つだ。
「まわさなくても放っておけば勝手に出てくるよ」
「でも早く飲みたいから。滅多に飲めないし」
速燈(はやひ)君、そんなひもじい思いしてるの?」
 実に真剣な顔で尋ねてくる。
 お茶が飲めるだけでも普通以上の生活水準なのだが、 この従兄弟はその感覚が鈍ってしまっている。
 輔毅(ふき)君の父親は、 何を隠そうこのあたりを治める領主様で、しかも神祇官様だ。 輔毅君も立派な神祇官として人々を魑魅魍魎から守っている。 僕はそうは思わないのだが、酷く優秀らしく、出世は間違いないらしい。
 ということは、僕はここの領主様の甥で、その上両親も姉も神祇官だ。 本当なら神祇官の何たるかを教わるのだろうが、僕は頑なに断り続けている。伯父からの援助も断っている。
 決して豊かではないが、姉が持ち帰ってきてくれる金でなんとか暮らしていけるし、庭に小さいが畑もこしらえている。それでどうにか食っていけるわけだから、それ以上のものはいらない。
 伯父もたまにやってきて、輔毅君も僕をどうにか神祇官にしようと企んでいるのだが、強く言われれば言われるほど、僕は意地を張って断り続けている。将来何がしたいかとかまだ考えていないが、自分の道は自分で決めるぐらいの自尊心は持ちたい。
「輔毅君が裕福な暮らししてるだけだよ」
「まあ、貧乏ではないけど。 速燈(はやひ)君もうちにきて一緒に暮らせばいいのに。 親父も言ってるだろ?」
「ありがたいけど、僕は両親からこの土地を任されてるんだ。 神社と墓地の掃除もしなきゃいけないし」
「うちから通えばいいよ」
「駄目駄目」
「つまらないな。来てくれたら毎日が楽しいのに。僕が」
 最後に僕がと付けたあたりが腹黒さを感じる。
 どうせ僕をからかって遊びたいだけなのだろう。それだけは御免被りたい。
 僕は何も返さず、湯呑みにお茶を淹れる。
 透き通った緑色。僕はその色を楽しんでから、一口飲む。やはりお茶はうまい。
「あ、これ、すごくいいお茶だよ。玉露入りとかじゃないかな」
 僕は詳しいことはよくわからない。安物でも喜んで飲むだろう。普段から飲める輔毅君とは違うのだ。
「別になんだっていいよ」
「うちに来ればお茶なんかいつでも飲めるのに」
 そうかと素直に頷くことはできなかった。同情されたような気がした。
 僕は好きでここにいるんだと言いたくなったが、やめた。言ったところで生活環境が違う。理解なんてできるわけない。
「で、輔毅(ふき)君は何しに来たわけ?」
「僕は速燈(はやひ)君の顔を見に来ただけだよ」
「絶対嘘だ」
「なんで疑うかなぁ」
 年上の従兄弟に対してこんなことを言うのは悪いとは思うが、正直言って輔毅君の顔は嘘くさい。
 人懐っこい笑顔を見せるが、腹に何か隠しているようで、僕はどうも信用できないのだ。
「本当だよ。凍え死んでないか心配だったんだから」
「まあ、そこまで言うなら一応信用するけど」
「可愛くないなぁ」
 どっちが、と言い返したかったが、僕はぐっと飲み込む。どうせ言ったところで言い負かされるのは僕だ。
「ところでさ」
 輔毅君は立ち上がって外を眺める。
「神社、ちゃんと掃除してる?」
「一応してるよ。でも今は雪だから」
「駄目駄目」
 振り返って、言った。
「雪だからこそ、ちゃんと掃除しなきゃ」
 たとえ小さな神社だとしても、それを管理するということがどういうことかわかってないな、と言われたような気がした。
 僕は少し自分の無責任さを恥じた。
「ほら、立って立って」
「え?今から?」
「今やらなきゃいつやるの?」
 それもそうだ。しかも先ほど自分の無責任さを恥じたのだから、寒いだのなんだのと言ってられず、素直に従うしかない。
 僕は残ったお茶を飲み干し、輔毅(ふき)君の後を追って縁側から庭へ下りる。
 もう春も近いせいか、それほど雪は積もっていないが、白で埋め尽くされているのに変わりはない。
 足跡一つ無かった雪の上に、僕は面白がって寒さも忘れ、ただただ足跡を付けて行く。
 池の水は凍ってはいなかった。近くの雪を蹴り飛ばすと、雪は水となって溶けていく。
 その中で一匹、元気よく泳ぎ回っている魚が居る。
 魚と言うべきなのかどうか迷うところだが、姿形は一応魚に似ている。
 いつからこの池に居座り始めたのか、あまり覚えていない。確か一年前ほどにちらちらと見るようになり、それからずっとこの池に住み着いている。どこからどうやってやってきたのかわからない。
 そいつが、ひょこっと水面から顔を出した。
「久しぶりだな」
 しゃがれた声で、そんなことを言った。
「中で凍え死んでるかと思ったぞ」
 可愛くない奴だ。
 僕は雪を掴んでそいつに投げてやった。
 しかし奴は目にも留まらぬ速さでひょひょいと避け、再び水面に顔を出す。
「可愛くない奴め。たまにはご馳走ぐらい用意してくれても罰は当たらんぞ」
 本当に可愛くない奴だ。
 初めてこいつの存在に気づいたとき、餌をやろうとしたら、しゃがれた声で餌はいらんと言ったくせに。
 こんな何もない池でいったい何を食べて生きているのかわからないが、餌など一度もあげたことがない。それでも生きているのだから、僕ら人間にはわからない何かを食べているのだろう。
「生憎、うちにはそんなご馳走なんてないから」
 そう言ってやると、
「今度持って来てあげるよ」
 僕がついてきてないことに気づいた 輔毅(ふき)君が戻ってきて、そう答えた。
「ふん。最高級品じゃないと受け付けないぞ」
 生意気な奴だ。高級品の味なんかわかるものか。
 そう言ってやろうと思ったけど、言い争いになるだけだからやめた。
「ほら、速燈(はやひ)君。油売ってないで掃除するよ」
 僕は何も言わずについていく。
 正面玄関の、ちょうど真裏に神社がある。小さな拝殿と、鳥居があるだけの神社だ。賽銭箱も一応置いてあるが、どうせ誰も来ない。もちろん金なんて入っていない。
「本当に何もしてないんだなぁ」
 雪が積もった社殿を見て、そう言った。
「どうせ誰も来ないんだし」
「何言ってんの。けっこう人気あるんだよ、ここ」
「どこが?」
「よく見て」
 僕は近づいてよくよく見る。
 拝殿に、誰が持ってきたのだろうか、ふきのとうが供えられていた。
 真っ白な雪の上に足跡は無い。ただ、小さな握りこぶしほども無い穴が点々と続いている。
「雪の中、わざわざ来てくれたんだ」
 なるほど。それならせめてここぐらい雪かきをして、歩きやすくしなければ。
 僕は神社の隅にある倉庫へ向かう。そこに雪かきのための道具が詰め込まれているのを知っていた。
「僕も手伝うよ」
 輔毅君も竹箒を手に、積もった雪を払う。
 それほど大変ではない作業だった。積もっているといっても、せいぜい5センチほどだ。それに小さな神社だから、一時間ほどで、鳥居から拝殿までの道の雪を全て払いのけ、拝殿に積もっていた雪も取り除くことが出来た。
「ねえ、輔毅君」
 作業を終え、神社が見える縁側に腰掛けて休んでいたが、寒いので火鉢を持ってきた。持ってくる途中でふと疑問に思い、切り出した。
 相変わらず輔毅君は寒そうに見えない。それでも火鉢を持ってくると、雪かきで冷えた手をかざす。
「この神社ってさ、御神体がないんだけど」
「そうだね。あれは拝殿になるんだろうね。普通拝殿の後ろに御神体が収められてる本殿があるんだけど」
「じゃあここの神社は神様はいないってこと?」
「建物の中に収められないものを祀ってるんじゃない?僕にはわからないよ」
「…神祇官なのに?」
 ちょっと嫌味っぽく言った。しかし輔毅君は特に嫌味とは受け取らず、普通に答える。
「僕はそういうのは専門じゃないんだよ」
「何それ」
「僕は攻撃専門なの。神社がどうのこうのとか、神主がなんだかんだとか、そういうのはわからないよ」
 攻撃専門の神祇官。
 僕は少し想像してみる。
 呪符などを妖魔に叩きつけている彼が想像できた。あまりにも似合いすぎている。それと同時に、この従兄弟が少し恐ろしくもなった。
「君のご両親も、お姉さんもそうだよ」
「え?攻撃専門ってこと?」
 想像できるが、想像したくない気持ちになった。
「言い方はあれだけど、要するに、魑魅魍魎を人の領域に入ってこないようにするってことだよ。だからお姉さんは忙しく全国を駆け回ってるんじゃないか」
「輔毅君、姉さんの居場所知ってるの?」
「知らないよ。同じ攻撃専門でも、いろいろ部署が分かれててね」
 僕はこれ以上何も訊かないことにした。
 訊けば答えてくれる。しかし、僕は周りの勧めを断っている立場だ。不用意に立ち入って、気がつけば周りの思惑通りに神祇官の道を進まされていては、あまりにも情けない。
「そうなんだ」
 それで断ち切った。
 輔毅君は少し残念そうな顔をした。やはり機会があれば引きずり込もうとしていたようだ。
 僕は今、自分の身を守ったような気がした。
「輔毅君、本当に何しに来たの?」
「だから君の様子を見に来たんだって何度もいってるじゃないか。疑り深いなぁ」
 それは輔毅君だからだ。他の人ならこんなに疑わない。
「じゃあ、お土産ぐらい用意してくれればいいのに」
「なんだ。お土産がなかったから拗ねてるの?」
 可愛いね、と言って笑う。
 違う。まったくもって違う。しかし言い返すと言い負かされそうなので我慢をする。負ける戦いはしたくないのだ。
「たまには僕をもてなしてよ」
「輔毅君の生活水準にあったもてなしはできないよ」
 とは言うものの、僕は立ち上がってさっきまで居た客間へと向かう。茶瓶と急須と湯呑み、それから茶葉を抱えてまた戻る。
 ご馳走は用意できないが、貴重なお茶だ。それぐらい振舞ってもいいだろう。それにいつも高級菓子やらなんやらと貰っているのだから、せめてこれぐらいはしておきたい。
 せっかくだから真っ白な雪を茶瓶に詰め込み、火鉢にかける。
「ねえ、速燈君。本当にうちに来る気ないの?」
「ありがたいけどないよ。僕はここを任されてるんだから」
 急須の中に残っているお茶の葉を庭に投げ捨てると、一羽の鳥が下りてきた。
 真っ白な、烏のような鳥だ。
「お茶だから食べてもうまくないと思うよ」
 僕は鳥に言った。
「ならわしにも茶を淹れてくれ」
 こいつもか。物の怪のくせに、どうしてここに住み着いている奴らはこんなにも口が肥えてるのだろう。
「それと、輔毅。手ぶらで来るな」
 僕は思わず吹き出してしまった。
 彼の土産を楽しみにしているのは僕だけではない。ここに住み着いているものは皆、それなりに期待しているのだ。
「参ったなぁ。土産がないと価値がないみたいじゃないか」
「その通りだ」
 少々酷い気もしたが、良く言ったとも思った。
 お茶を飲むなんて生意気な物の怪だと思ったが、さっきの言葉はなかなか良かったので、仕方がないから僕の分をくれてやることにした。
 湯呑みにお茶をいれ、僕のとなりに置く。
 しゃべる白い鳥は飛ばずに、ひょこひょこ歩いて縁側に止まる。
「すまんな、速燈」
 それから湯呑みにくちばしを突っ込んで、器用に飲み始めた。
 僕に対しては、あまりぞんざいなことは言わない。どうやらこの鳥は、輔毅君を警戒しているようだ。輔毅君には申し訳ないが、その気持ち、なんとなくわかってしまう。
「ああ、茶はうまいな」
 味なんてわかるのだろうかと思ったが、まあ本人は喜んでいるのだ。邪魔はしないことにした。
「そういえば、客が向かっていたぞ」
 僕を見上げ、鳥がそう言った。
「客?」
 僕も輔毅君も聞き返す。
「参拝客だ」
 なんとも珍しい。こんな雪の中わざわざやって来るなんて。
 しかし雪かきをして綺麗にしたかいがあったというものだ。
「そろそろ来る頃だろう」
 僕は期待しながら入り口を見つめていた。人影はまだ見えない。
 ところが鳥は、
「来た」
 そう言った。
 よくよく目を凝らして見る。
 参拝者は、人ではなかった。
 狐のような犬のような、とにかく四足の獣だ。さらに、白いのかそれとも白い何かに包まれているのかよくわからないが、いくら目を凝らしても、ぼやけていてよく見えない。ただ、口に何かを銜えているのはわかった。
 その獣は、賽銭箱の前で立ち止まると、銜えていたものをそっと放す。
 しばらく拝殿をじっと眺めていた。
 やがて体の向きを変え、来た道を戻り始める。その時に、僕の方を見た。会釈をしたように見えたのだ。僕も慌てて頭を下げる。
「なかなか人気があるんだよ、ここの神社。物の怪にだけどね」
 僕は立ち上がり、賽銭箱の前に立つ。
 花に詳しくないため、何の花かわからない。まだつぼみだった。
 僕は拝殿を見上げる。
 ああ、なるほど。
 僕は酷く納得した。
 拝殿の後ろに、山。
 拝殿の中心と山の中心が綺麗に重なっている。
 なるほど、これがここの御神体か。
 責任というものがずしりと圧し掛かった。これは大変なものを受け継いでしまった。
 しかし、僕はここを守らなければならない。
「速燈君。おかわり頂戴」
「速燈、わしにもくれ」
 自分で淹れた方が早いのだが、なぜか僕を呼ぶ。
 だが仕方がない。いつも世話になっているし、気分が高揚していたので、客人のためにお茶を淹れてやることにした。
 明日からはちゃんと雪かきをしよう。
 そして、たまには参拝者にも茶を振舞ってやろう。
 賽銭箱も取り払ってしまおうか、とも思った。
 人ではなく、物の怪がやってくる神社。
 それもいい。
 彼らの行く道を妨げる雪が、少し憎らしく思った。





 一の幕 凍て解け<了>




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