神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。
桜の木が、我を見よとばかりに咲き誇っている。
まさに満開。そして満開の時期が長い。どうやらこいつは、そのあたりの普通の桜の木には負けたくないようだ。
微笑ましいのか、やれやれと呆れればいいのかわからないが、とりあえず僕は感心している。負けん気の強い桜だ。毎日庭の桜を眺めては、まだ咲いてるな、と感心している。
学校に行く前に、桜の木を見た。
あれ、と思う。
幹に、瘤のような物が出来ていた。人の拳ぐらいの大きさだ。座敷からではわかりにくいが、真横に回るとよくわかった。
前はこんなものはなかったはずなんだが、と首をかしげながらも、特に気に留めることもなく、僕以外の人間は住んでいない家に向かっていってきますと告げ、家を出た。
一年ほど前、両親はふざけた置手紙を残し、行方不明となった。理由はわからない。おそらく仕事関係だろうと僕は思っている。
僕が生まれ落ちた一族は神祇官の一族のようで、両親も姉も、さらには伯父も従兄弟も、魑魅魍魎が人の領域に入ってこないようにするのを生業としているらしい。
こうなると僕も英才教育を施されて神祇官になりそうなものなのだが、今のところきっぱり断っている。自分の道ぐらい自分で決めたい。たとえそれが両親と同じ道を選んでもだ。
いつものように庭と繋がっている神社を通り抜け、勝手口から家の中に入る。
ふと、窓から桜の木を覗く。
様子がおかしい。
花びらの色に活気がないような気がするし、いつもは誇らしげに枝を広げているのに、なんだかそれも元気が無い。
しかし他の桜はもうほとんど散っている時期だ。いくら虚栄を張ろうとも、もうそろそろ限界なのだろう。
だから僕は気に留めることはなかった。元気が無いのは、身に纏った綺麗な着物がまた来年まで着られなくなってしまうからだろう、と。
僕はあの瘤のことをすっかり失念していたのだ。
あの瘤を発見した時から二、三日は、まだがんばっているな、と微笑ましく思いながら見ていたのだが、次第に何かが辺だと思い始めた。
僕は桜の木に近づいてみる。
瘤が、大きくなっていた。
前は確か人の握り拳ぐらいの大きさしかなかったはずの瘤が、今は人の頭ほどの大きさに成長している。
はて、と首をかしげる。
数秒ほど首をかしげたまま固まり、その後、これはもしかして病気か何かなのではないか、とようやくそこに考えつく。
「庭師に相談してみるべきなのだろうか…」
元気の無い桜の木を見上げながらつぶやくと、思わぬところから反応があった。
「それはお前の従兄弟の仕事だ」
振り返るが誰もいない。当然と言えば当然だ。
僕は首を斜め上に上げてみる。
屋根に、真っ白な鳥が一羽、ちょこんと座っていた。
「それは良くないものだ」
よく通る声で言った。
「よくないものっていうと、やっぱり病気?」
「違う。物の怪の類だ」
僕は思わず桜の木から一歩離れる。
白い烏のような鳥は、バタバタと忙しなく羽ばたいて、僕の肩に止まる。
「輔毅を呼べばいい。片付けてくれる」
三つばかり年上の従兄弟のことだ。
彼は将来を期待されている優秀な神祇官らしく、毎日忙しい日々を送っている。
でも僕はあまり信用していない。ことあるごとに僕を神祇官の道へと引っ張り込もうとするのだ。それに、これはかなり失礼だが、どうも輔毅君の笑顔が胡散臭くて信用できない。彼は絶対腹黒いと思う。
そんな従兄弟に、困ったからといってすがりつくのはどうだろうか。それに、僕だって小さな子供じゃないんだ。自分のことぐらい自分で解決できる。
その自尊心が、首を縦に振るのを邪魔した。
「輔毅君もいろいろと忙しいよ。僕がなんとかするから」
「できるのか?」
「するしかないよ。僕だって神祇官の血を受け継いでるんだから」
と言ったところで、普段嫌っている神祇官を、自分の中に流れる神祇官の血を、こんな時だけ頼るのはいかがなものか。少し恥ずかしくなったが、白い烏は気にならなかったようだ。
「少しぐらいなら力を貸してやる」
「それは…どうもありがとう」
一応礼は言ったが、腑に落ちなかった。
どうしてこんな易々と力を貸してくれるのだろうか。家賃の代わりなのだろうか、それとも後でたっぷり請求されてしまうのだろうか。
心配になったので尋ねてみた。
「お礼はたいしたことはできないよ?」
お茶を振舞うことぐらいしかできない。金持ちの従兄弟からの援助を断り続けているため、うちは貧乏なのだ。
「そんなことはわかっている」
ちょっとむっとした。
「じゃあ何で?」
「何がだ?」
「力を貸すとか。お礼に命を貰うとか嫌だよ?そういうことじゃないなら、何で助けてくれるんだ?」
白い烏は大きな口を開けて、笑った。
「お前はわしがなぜここにいるのかわかっていないな」
物の怪の考えなど、人間の僕がわかるわけない。
「お前に何かあったら、わしが困る」
「どうして?」
「茶が飲めなくなる」
僕は口を開けたまま、何も返せなかった。すると、この烏はまた大きな口を開けて笑った。
「冗談だ」
物の怪のくせに冗談を言うとは。怒ればいいのか笑えばいいのか、大正解の判断ができなかったので、う、とか、あ、とか間抜けな声を出すだけに終わった。情けない。
「年寄りが孫の成長を見守るようなものだ。余生は楽しく暮らしたいのでな」
言葉の裏に真意が隠されているのか、それともこの言葉の通りなのか僕にはわからなかったが、とりあえず無償で協力してくれるらしい。
僕は素直にこの烏の申し出を受け入れることにした。
「ところで速燈よ」
「何?」
「自分で何とかするとは言ったものの、方法はわかっているのか?」
「それは…」
もちろん、と言いたかった。神祇官の血を引いているのだ。
しかしそれは理想であって、現実の僕は無駄に立派な血を引いているだけの無能。
「…これから考えるよ」
耳元でため息が聞こえた。
仕方ないじゃないか。僕は神祇官様じゃないんだ。だったらお前こそ何か考えはないのか、と言ってやろうと、言葉が喉まで来て、僕はあることに気がついた。
「そうだ!」
急いで家の中に駆け込む。途中で烏を振り落としたが、そんなことはどうでもいい。
僕は台所にある壺を抱え、再び桜の木のもとへと戻る。
そして壺の中身を一握り、桜の木の瘤に向かって投げつけた。
中身は塩だ。塩は清めの効果がある。それぐらいは僕も知っている。
これで瘤は桜の木から離れて行くだろう。それなりに自信はあったのだが。
瘤に変化はない。
「あ、あれ?」
さっきよりも勢いよく、いろんな思いを込めて投げつけてみた。
しかし離れて行く気配はまったくない。
瘤は積もった塩を振り払うかのように左右に少し移動し、桜の木もこそばゆいのか、身を少しくねらせただけだ。
まったく効果はなかった。
僕が呆然と立ち尽くしていると、こともあろうにあの白い烏は、カー、と鳴きやがった。
腹が立ったので、一握りの塩を全力で投げつけてやる。
ところが烏は、今まで見たことも無いぐらいの素早い動きで塩を避け、僕の頭の上にとまる。
「塩が勿体無い。やめておけ」
情けないが、言い返す言葉がなかった。
「塩程度で退治できるほど、お前は修行をしていないだろう?」
「…そうだね」
悔しいがこの白い烏の言うことは尤もだ。
僕は素直に従い、壺の蓋を閉めた。これ以上は勿体無い。
「でも、塩が駄目ってなると…」
他に塩と同じような効果のあるものがあっただろうか。
「あ!酒だ!」
数秒の間。
僕はすぐになかったことにする。
この家に酒はない。
「御札とかあったかなぁ…。でもなぁ…」
家の中を探せばありそうだが、残念ながら僕には扱えない。
うんうん唸っていると、
「輔毅を呼べばどうだ?あまり頼りたくないのはわかるが」
烏がそう言った。
「嫌だ」
僕はすぐに答えた。
「なぜ?」
「なぜって…そもそも、お前だって輔毅君のことあまり良く思ってないじゃないか」
「ああ」
「僕はただ単にからかわれるからってだけだけどさ…」
「わしは奴の笑顔が胡散臭くて腹が立つだけだ」
「わかる」
もしこいつが人間だったら、僕は手を握ってまでして頷いただろう。
実によくわかる、その気持ち。彼の笑顔が胡散臭いって思うのは僕だけじゃなかったんだ。
僕はこの烏とすごく仲良くなれそうな気がした。
「僕、久々に清々しい気分になったよ」
「そうか。それは良かったな」
烏は僕の頭から飛び降り、肩にとまる。
自分から肩を差し出したようなものだ。
なんだかすごく親近感が湧いた。
これなら一緒に輔毅君対策も考えられそうだとも思った。
しかし今は輔毅君よりも、この桜の木のことだ。
「どうすればいいんだろ。君は何かそういう能力はないの?」
「そういう能力とは?」
「魑魅魍魎をやっつける能力とか」
「あったら今頃こんなところで隠居暮らしなどしていない」
それもそうだ。酷く納得した。
それと、この烏は隠居しているのか、とも思った。なんでわざわざこんなところを選んだのか謎だが、今は聞かないことにする。一番に考えなければならないのは、負けん気の強いこの桜の木を助けることだ。
「無理やり引っこ抜くってのはどうかな?」
「やってみればどうだ?」
「…どうせ無理だと思ってるんだろ?」
「そう思うならやめておけ」
「…そうだね」
烏の言ったとおり、僕はあっさりと諦めた。
引っこ抜けるとは思っていなかったし。
「やっぱり輔毅君に頼るしかないのかなぁ…。でもなぁ…」
「何か問題があるのか?」
「輔毅君に頼ったら、後で何十倍にもなって借りを返せって言われそうだから」
「酷いなぁ。そんなことしないよ」
振り向くと、そこには輔毅君がいた。
「うわぁ!い…いつの間に!?」
「せっかく速燈君と遊ぼうと思って来たのに…」
袖で顔を隠し、泣く振りをする。
悪いが僕は信じない。
「絶対嘘だね」
そう言い放った。
「酷いなぁ。ちゃんとお土産も持ってきたのに」
風呂敷を、僕の目の高さまで持ち上げる。
立派な箱に入っているのか、かなり大きい。しかも重そうだ。
僕はそれを奪い取ろうとするが、それより輔毅君の方が一瞬早かった。
豪華なお土産が遠ざかる。
「僕は本当はとっても面倒見のいい優しい人なんだよ?」
胡散臭い笑顔でそんなことを言う。
僕はうんうんと何度も頷くが、目はお土産に釘付けだ。中身を想像するだけで涎が垂れてきそうだ。
「食い意地張ってるなぁ」
やれやれと、輔毅君は呆れた口調でそう言った。
仕方がないのだ。うちは貧乏だ。生活水準がずば抜けて高い輔毅君とは違うのだ。
「ちゃんと後であげるから。それで、僕に頼みって何?」
「む…」
「別に後で請求したりしないよ」
「でもなんていうか、輔毅君に決して借りを作りたくないというか…」
「君、本当は僕の事嫌い?」
「そんなことはないけど。お土産くれるし」
「…僕の存在価値ってお土産だけ?」
「そういうことだ」
はっきりきっぱりと言ったのは、僕の肩に止まっている白い烏だ。
さすがに輔毅君も傷ついたのか、ガクリと肩を落とす。僕は慌てて体裁を整える。
「そんなことないよ!輔毅君のことすっごく頼りにしてる!」
「…さっき頼りたくないって言ったくせに」
「だってさ、輔毅君もいろいろ忙しいと思ったし。悪いかなぁ~って。それに僕、貧乏だからさ、いくら従兄弟でも輔毅君に頼むにはお金がいるだろうって思って」
自分でも笑えるほど苦しいいい訳だ。
でも輔毅君は少し表情を明るくした。
あともう一押しだ。
「輔毅君優秀だから毎日忙しいし、僕なんかのために仕事を増やしたりしたら、大変でしょ?疲れてると思うし」
「そんなことないよ」
心の中で、乗り切ったと拳を握り締めると同時に、案外単純な人だなぁと思った。
なんだか輔毅君の新たな一面を見たような気がした。面倒見が良いというのは本当のようだ。これからは輔毅君に対する認識を少々改めることにした。
「僕の大事な従兄弟なんだしさ、水臭いじゃないか。なんでも言ってよ」
胡散臭い笑みではなく、無邪気な綺麗な笑みを見せる。
「あ、うん。ありがとう…」
酷く後ろめたい。罪悪感が押し寄せる。
そんな僕の気持ちなどおかまいなしに、白い烏は自分の羽を突っついている。挙句の果てに、暇そうにカーと鳴きやがった。
図太いというか、なんというか。
僕は、物の怪だから仕方がないと思うことにした。いちいち相手にしていたら疲れてしまう。
「それで?僕に頼みって何?」
まるで兄のような顔をして輔毅君が言った。意気揚々としている。
「え?あ、うん。この桜の木なんだけど…」
僕はすっかり弟となって、今は頼りがいのある輔毅君になんとかしてもらうことにした。
桜の木に視線を移す。
塩なんか投げたからだろうか。益々体調が悪そうだ。
「憑かれてるね」
僕は頷く。
「自分でなんとかしようと思って塩とか投げてみたんだけど…このとおり、さっぱりで」
輔毅君は土産を僕に押し付け、代わりに塩の入った壺を奪い取る。ずっしりと重く圧し掛かるお土産に期待が膨らむが、いかんいかんと首を振って邪念を吹き飛ばす。
「やっぱり訓練しないとダメなのかなぁ。君なら気合で払えちゃいそうなんだけど」
蓋を開け、塩をつまむ。
「そんなわけないじゃないか。修行してないんだし」
「まあ、そうなんだけどさ」
言葉が終えると同時に、塩を投げつける。
ぎゃっという悲鳴が聞こえたような気がした。
あれだけ大きかった瘤が、みるみるうちに小さくなっていく。まるでなめくじに塩をかけたようだ。
「死んじゃうの?」
「害しか与えないからね」
そして、消えてなくなった。
桜の木は右へ左へと大きく幹を揺らし、伸びをするかのように反り返った。
輔毅君は満足そうに頷き、僕に塩の入った壺を押し付け、代わりにお土産を奪い取る。
僕は少しだけ塩壺の蓋を開け、中を覗く。
ただの塩でもしかるべき人が持つと、とんでもない力を発揮するものなのだな。
輔毅君の才には感服する。やはりこれからは輔毅君に対する認識を少々改めることにした。
「速燈君。お花見しようか」
振り返ると、輔毅君は風呂敷を広げている。
どうやら輔毅君の本来の目的は、お花見だったようだ。
重箱の中身は、餅やらいなり寿司やらが所狭しと詰め込まれている。
思わず生唾を飲み込む。
僕からしてみれば、大層なご馳走だ。
「お茶淹れてよ。お花見しよう」
僕は返事をする間も惜しみ、烏を振り落としたことも気づかず、家の中へと飛び込む。
いそいそとお茶を用意した。ついでだから烏の分も用意してやることにした。僕のことを孫のようなものだと言ってくれたのが、実は嬉しかったのだ。
戻ると、烏もちゃっかりご馳走に預かろうと縁側に座っている。
「それにしても、この家には本当にいろんなものがいるね」
言いながら、輔毅君は饅頭をひとつ掴み、天井へと投げる。
突如現れた手が饅頭を掴み、ありがたや、としゃがれた声で礼を言った。
僕も饅頭をひとつ掴み、床下へと投げる。
馳走になる、との声が聞こえた。
「変なのばかりが集まってくるんだよ」
また饅頭を掴み、今度は僕の口に運ぶ。
甘さが口の中に広がっていく。頬がとろけ落ちそうというのは、これを言うのかもしれない。
僕は夢中になって、饅頭をひとつふたつと口の中に放り込む。
喉がつまることなど考えていなかった。
せっかくのお茶を飲み干し、なんとか流し込む。
「ゆっくりお食べよ。たくさんあるんだし」
「だって久々に甘いもの食べたから…」
新たにお茶を注ぐ。一気に飲み干すとは、実に勿体無いことをした。
もう一口お茶を飲もうとすると、桜の花びらがひらりひらりと舞い、湯呑みの中へと落ち着いた。
僕は桜の木を見た。
さっきよりずいぶん元気になり、花の色も鮮やかさを取り戻していたが、次から次へと花が散って行く。
「いいの?」
桜の木に、僕は尋ねた。
桜の木は、枝をバサバサと揺すった。
僕はそれを肯定とみた。
悪いものを取ってくれた礼のつもりなのか、この綺麗な景色を演出してくれる。
一斉に散る桜の花。
ひらひらと舞い、あたりを桃色に染める。
この瞬間が一番美しい。
「ありがとう」
そう告げると、桜の木は照れくさそうに体をくねった。
二の幕 桜<了>
あやかしの国 トップページへ戻る