あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

三の幕 薫風くんぷう


 気持ちのよい風が駆け抜ける。
 雲ひとつない青空に向かって、僕は大きく伸びをした。
 実に良い天気だ。まさに晴天。
 ここしばらく良い天気が続いている。
 天気が良いと、心も晴れ晴れとしてくるものだ。
 僕は体を左右に二度ずつ捻ると、木に立てかけた竹箒を再び手に取る。
 裏にある小さな神社。
 なぜだか理由はわからないが、この小さな神社は物の怪達に人気がある。特に雪が解けてからは参拝客が増えた。
 今も、僕が形だけの掃除をしていると、黒い狐のようなものが入ってきた。
 黒い狐のようなものは僕を見て一礼する。
 僕も慌てて会釈した。
 物の怪のくせに礼儀正しい。
 物の怪にあいさつするのは妙な心持になるが、僕はあえて気にしないように務める。大事な参拝客なのだ。
 黒い狐のような物の怪は、賽銭箱の前に、口に銜えていた花を置く。
 僕は花には疎くて、それが何の花なのか皆目見当付かないが、綺麗な花だ。
 竹箒で掃除をしている振りをしながら、黒い狐のような物の怪をちらちらと盗み見る。
 拝殿の後ろにある山。
 物の怪は、じっとその山を、食い入るように見つめていた。
 僕はふと疑問に思った。
 物の怪でも神を敬うのだろうか。
 神を敬っているからこそ、この神社に来るのだろうが、果たして物の怪に神という概念がわかっているのだろうか。神ではなく、たとえばこの物の怪が見つめている山を尊いと思っているのではないか。
 だとしたら、この神社が物の怪に人気がある理由がわかる。
 この神社の拝殿の中心と山の中心がぴったりと重なり合っているのだ。この神社の御神体は山だ。
 ここに来る物の怪達は、おそらくこの御神体に住む物の怪達なのだろう。
 僕はなんとなくそういうふうに思った。
 黒い狐のような物の怪は、目を閉じる。まるで、この世の全ての生き物を感じ取っているかのように。
 僕は物の怪から視線を外す。僕が見つめていることを感じ取られそうな気がしたからだ。
 適当に竹箒で道を掃く。
 足元を、黒い何かがすり抜けた。
 さっきの物の怪だ。
 黒い狐のような物の怪は再び僕に会釈をすると、僕が返すのを待たずに、ぱっと跳ね上がった。
 黒いものがゆらりと揺れ、一瞬のうちに消えてしまった。
 驚いたが、相手は物の怪だ。そういうこともあると思うと、別に不思議でもなくなった。
 暖かな風が流れる。
 僕は大きな口を開けて、あくびをした。
「でかい口だな」
 このよく通る声を僕はよく知っている。
 白い烏が、近くの木の枝に止まっていた。
 烏はぱたぱたと羽を広げ、枝から飛び立ち、僕の肩にとまる。
「神の前であくびをするとは、神祇官失格だな」
「生憎僕は神祇官じゃないんでね」
 僕は烏を振り払うかのように竹箒を肩に担ぐ。
 烏はぴょんと跳び、今度は僕の頭に腰を下ろす。
 もう掃除の振りは飽きてしまった。
 神社の隅にある倉庫に、竹箒を投げ入れる。
「神祇官の風上にも置けぬな」
「だから神祇官じゃないって」
 僕はただ、突然行方を晦ました両親からここを託されただけだ。
「天気が良いし、昼寝でもしようかな」
「勉強でもしろ」
 物の怪のくせに、保護者のような口を利く。
「お前は誰に似たのか、阿呆だな」
 なんて生意気な。そう思うと同時に、物の怪に阿呆呼ばわりされる自分を情けなくも思った。
「僕は神祇官にはならないから勉強なんてしなくていいんだよ」
「阿呆では世の中うまく生きていけんぞ」
 人の世の一体何を知っているというのか。
 癪に障ったので言い返した。
「別にうまく生きていこうなんて思ってない」
 ただの強がりだ。
 こんな世の中だ。苦労せずに生きていけたらどれだけ良いだろうか。
 そんな僕の本心を見抜いている烏は、
「嘘だな」
 と、ぽつりと言った。
 僕はさらに頭にきた。人間、本心を突かれると頭にくるものだ。
 怒鳴りつけてやろうと思ったが、視界の端に何かが映った。
 風に吹かれてころころと転がってくる。
 僕は咄嗟に、踏み出そうとした足を堪え、それを跨いだ。
 風に吹かれて転がってくるのが、さきほどの物の怪が供えていった花だとわかったからだ。
 不可抗力とはいえ、さすがに踏み潰すわけにはいかない。
 体勢を崩して転びそうになったが、なんとか手を突いて耐える。
 花は、僕の足元で、未だに綺麗に咲き誇っていた。
 とりあえずほっと胸をなで下ろす。
 僕は花を、壊さないようにそっと拾い、賽銭箱の上に置いた。
 枯れれば賽銭箱の中に落ちるだろう。風に吹かれてどこかに行ってしまうよりはいいと思った。
「ここの連中は物の怪のくせに信心深いんだな」
 ぽつりとそう言うと、僕の頭の上にいる白い烏は、カカカ、と笑った。
 何がおかしいのか僕にはさっぱり理解できなかった。
 どうせ人と物の怪だ。完全に分かり合えることなんてない。
 僕は気にせず、御神体を見上げる。
「…あれ?」
 拝殿を通して見た山に、靄のようなものがかかっていた。
 この山は、どんな時でもはっきりとその存在を知らしめていたのだが、今のように靄がかかっているのは初めてだった。
 僕はもっとよく見ようと、近くの木に登った。
 しかし、靄はかかっていない。いつもの山だ。
「…あれ?」
 僕は首をかしげ、また、拝殿の前に立ち、拝殿を通して山を見る。
 やはり靄がかかっている。
「あれ?」
 僕は説明を求めるために、頭の上の烏を掴んで、肩に乗せる。
「人と物の怪の見る世界は違う」
 烏は、そう言った。
「ここから見る山と、外から見る山は違うってこと?」
「ここからでは、あの山は御神体だ。外からではあの山はただの境目の山だ」
 完全に理解はできなかった。できなかったが、そういうことなのだろうと思った。
 ここは神社だ。神祇官が作った、神社。
 理解できないことがあっても不思議ではない。
 人の世と、人のいない世との境目でもあるのだ。
「あの靄みたいなものは、良いもの?悪いもの?」
 靄をじっと見つめ、尋ねた。
 何か胸騒ぎがする。
「…さあな」
 烏は明言を避けた。
 靄を見つめていると、不安が掻き立てられていく。
 あれは、悪いものだ。
 僕は直感的にそう思った。
 すぐに山に背を向け、歩き出す。
「おい、どこへ行く?」
 烏がそう尋ねたときには、僕はもう神社を出て走っていた。
 どこへ行くなど、愚問だ。
「決まってる。山だよ」
「よせ。あの山は神祇官以外立ち入り禁止だ」
「うちの大事な御神体なんだ。何があったのか見極めないと」
 そう、僕はあの神社を両親から任されたのだ。それに、参拝してくれる物の怪達の目が浮かんで離れなかった。
 神社に参拝してくれる物の怪達のことを思うと、神社の管理者としてこのまま何もせずにはいられない。たとえ何も出来ないとしても、僕には知る権利がある。一応ここを守る神祇官の血筋として、何も知らずに過ごせるほど強い精神を持ってはいない。
「よせ速燈(はやひ)。 お前の出る幕ではない。櫻嘩(おうか)輔毅(ふき)がもう手を打っている」
「伯父さんも?」
「お前の手に負えるようなことではない」
「でも…何が起こってるのか知らなきゃ」
「よせと言っているだろ」
 頭を突いてくる烏を無視して、ひたすらに駆ける。
 山の麓に近づくと、なにやら騒がしくなってきた。
 人が、というわけではない。よくわからないが、空気が乱れているような気がした。
速燈(はやひ)!」
 山の入り口に、伯父さんがいた。
 ここの領主であり、神祇官の伯父。
 立派すぎて、僕は少々苦手だ。が、今はそんな場合ではない。
「お前、どうしてここに…」
 僕の出現に驚きつつ、僕が連れている白い烏の姿を確認すると、少々困ったような表情になった。
 烏はもう何も言わない。
 何か妙な空気を感じ取ったが、それは後だ。
「速燈、お前は危ないから帰れ」
「危ないって…やっぱりあの靄みたいなものは悪いものなの?」
「大丈夫だ。任せろ」
輔毅(ふき)君は?」
「あいつなら中だ。今回はあいつに任せている」
「何が起こってるの?」
「お前は知らなくていい。帰れ」
 普段は僕を神祇官の道に引きずり込もうとしているくせに、大事なことは何も話さずにこれだとは、実に不愉快だ。
 僕の思考回路は至極単純である。頭の中に浮かんだ文字。それは、強行突破だ。
 それを烏も悟ったのか、
「おい、よせ!」
 と言って、僕の髪の毛を引っ張ってくる。
 止められると、ますます逆らいたくなるのが人というものだ。
 僕は無視をして、伯父さんの脇をすり抜け、山の中へと飛び込んだ。
「ここが境目の山か…」
 空気は冷たく、肌を突き刺すようだ。靄がかかっていて視界が悪いうえに酷く静かで、生き物の気配がまるでしない。つまり、不気味だ。
「ったく、馬鹿者が」
「気になるんだから仕方ないだろ。 とりあえず輔毅(ふき)君を探そう」
 物の怪達が出入りしているからなのか、細い道が出来ている。
 烏の小言を聞き流しながら、僕は登った。
「おーい、輔毅くーん。輔毅くんやーい」
 時折そんなふうに呼びかけながら、ひたすらに登った。
 それほど長く登った自覚はなかった。
 狐や狸に化かされて長い距離を延々と歩かされるのはよくある話だが、距離が短くなったというのは珍しい。
 気がつくと、もう山頂にいた。はて、と首を傾げてみたが、無駄な体力を使わずに済んだということだ。ありがたい。
 白の中にぼんやりと浮かぶ黒い人影。人影から、ぱんぱんと、二拍、拍手が聞こえた。
輔毅(ふき)君?」
 従兄の名を呼ぶと、
速燈(はやひ)君?」
 と、返って来た。
 黒い人影が近づくと、僕の両肩を掴んだ。
「どうしたの?こんなところに来て…」
 どこからどう見ても僕の従兄、輔毅君だ。
 一瞬、狐や狸に化かされているのかもしれないと疑ったが、今目の前にいる彼は、紛れもなく僕の従兄だという自信が、なぜか僕にはあったのだ。
「うちの大事な御神体に何かあったら大変だから、様子を見に来たんだよ」
「だからって…。入り口にお父さん、いたでしょ?」
「うん。でもすり抜けてきた。そういえば、追って来ないなぁ」
 そうこう話しているうちに、景色がどんどん澄み渡っていく。
 あたりを見回すと、やはりここは頂上のようだ。僕の目は、町を見下ろす風景を移した。それともうひとつ。
「祠?」
 小さな祠だ。酷く古そうだけれども、綺麗に掃除されていて、正直うちの神社よりも綺麗だ。
「この山の守り神様だよ。無事終わりましたって報告してたんだ」
「じゃあもうこの山は大丈夫なんだ?」
「うん。お札がちょっと汚くなってたから、その隙をついて悪いものが這い出そうとしてたんだ。でももう取り替えたから大丈夫」
 確かに、先ほどまでの嫌な感じはしない。
「そうか、よかった」
「僕達神祇官は、人と物の怪が安心して暮らしていける世界を作るのが仕事だからね」
 さわやかな笑顔でそう言った。
「さすが輔毅君」
「心の中ではそんなことまったく思ってないくせに」
「そんなことないよ」
 輔毅君に負けないほどの胡散臭い笑顔で言い返した。
 僕らはしばらく胡散臭い笑顔のまま、にらみ合う。
 と、静かな山に、怒鳴り声が響き渡った。
「速燈!」
 紛れもなく僕を呼ぶ声。
 恐る恐る振り返る。
 伯父さんだ。
 肩で息をしている伯父を見て、はて、そんなに登っただろうかと思ったが、その思いも伯父のげんこつで見事吹き飛ぶ。
 静かな山に、げんこつの、鈍い音が響き渡った。
「速燈!お前、自分が何をしたのかわかってるのか!?」
 静かな山に響き渡る怒鳴り声。
 きっとこの山に住む物の怪達みんなが聞いただろう。
「俺はお前に言いたいことが山ほどあってな。今日という今日は、全て言わせて貰うぞ!来い!」
 襟首を掴まれ、僕は伯父さんに引きずられるようにして山を下りることとなった。
 ふと見ると、さっきうちの神社を参拝した黒い狐のような物の怪が、木々の間から顔を出して笑っていた。その物の怪だけではない。山中の物の怪達が、これから僕の身に起こる出来事を想像して、笑っていた。草木までもが。
 情けないやら恥ずかしいやら。
 それでも彼らが何事もなく笑っていてくれることに、僕はほっとしたのだ。
 草木の匂いと笑い声が、風と共に駆け抜けた。





 三の幕 薫風<了>




あやかしの国 トップページへ戻る


↑ページの頭に戻る

inserted by FC2 system