神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。
外のざわつきで目が覚めた。
うるさいと思うほどではない。遠くから人の声や、何かを壊す音が聞こえてくる。
何か工事でもしているのだろう。
そう思って朝餉を食べ、ごろごろしていた。
しかし、遠くから聞こえてくる声が妙に気になる。普段はこんなことはないのに。
重い腰を上げ、様子を見に行くことにした。
ここに住んでいるのだから、近所の様子は知っておく必要がある。
玄関を飛び出すと、運が悪いことに、ここに住み着いている白い烏に出くわした。
「野次馬」
たった一言、しかし確実に僕の真意を突いた一言だった。
悔しいので、
「うるさい」
と返し、気にせず様子を見に行くことにする。
散歩だ散歩と、自分でもわかっている苦しい言い訳を心の中でつぶやきながら、音のする方へ向かう。
家の中に居たときよりも音は近いが、正確な場所がわからない。
とりあえず適当にどこかの角を曲がろうとすると、
「こっちだ」
どこからともなく白い烏が飛んできて、僕の肩に止まった。
「なんだ、結局お前も野次馬じゃないか」
嫌味を言ってやると、白い烏は、物の怪の癖に人間らしく、首をゆるゆると横に振り、しかもため息らしきものまで吐き出した。
むっとしたが、返す言葉が見つからない。
先ほどの烏の腹立つ動作は忘れることにして、言うとおりの道を行く。
言うとおりに歩くと、川沿いの道に出た。
少し遠くなるが、たまに学校の行き帰りに使う道だ。
川沿いに桜の木が植えられており、春は特に綺麗で、人通りも多い。
その川を越える橋。そこに人が集まっていた。
始めは一番外から眺めようと思っていたけれど、知っている人を見てしまった。
僕は人を掻き分け、一番前に出る。
ちょうど終わりの頃だった。
橋の真ん中で、神祇官がいかにもらしい服で、何かを唱えている。
それが終わったのか、礼をし、静々とこちらへやって来た。
それは僕のよく知る従兄、
輔毅君だった。
こちらへ来た時に、ばっちりと目があった。
輔毅君は笑顔で僕に手を振る。
いいのだろうか。神祇官がそんな満面の笑みで大きく手を振って。
僕は周りを気にして、小さく手を振り返した。
しかし輔毅君は気にしない。
「速燈君、どうしたの?」
野次馬だとは言い難いし、何か適当な理由を言おうとしたら、
「野次馬だ」
白い烏があっさりばらしてしまった。
「なるほど、速燈君らしいね」
どうも納得はいかなかったが、僕は何も言い返さなかった。この二人相手だと、必ず僕が負ける。負ける戦いはしたくない。それに、輔毅君ならこのあたりのことはよく知っているから、言い争うのは得策ではない。
仕事が終わって帰ろうとする輔毅君の後を、僕はついていく。
「あの橋、何かするの?」
僕が尋ねると、輔毅君は少し驚いた顔をした。
「なんだ、知らなかったの?」
その問いに、素直に頷く。
「あの橋、かなり古くなってて危ないから、壊して新しくすることにしたんだ」
「そうだったんだ…」
あの橋は僕は日常的には使わないため、これといって害は無い。しかし、これから毎日騒音を立てられるとなると、少々迷惑だ。
「すぐに終わってくれるといいな」
「どうだろうね」
なにやら意味ありげに輔毅君は笑った。
「何?何かあるの?」
「あれ?速燈君、見えなかった?」
「え?何?」
「いや、いいんだ。それなら別に問題ないし」
「え?」
「工事は順調に進むと思うから、心配はしなくていいよ」
ひっかかる。
でも僕が何を聞いても、輔毅君は笑ってごまかすだけで、何も教えてくれなかった。
いや、教えてくれなかったと言うより、聞き出せなかったのだ。
見えなかったら別に知る必要ないだろうと言われ、僕は腹を立てて帰った。
案の定、うちに住み着く白い烏には、阿呆呼ばわりされた。
あれから三日後、学校からの帰りに、ふとあの橋のことが気にかかった。
ぱらぱらと小雨が降っていた。
花びらをつけていない桜の木の下を、雨の音と川の流れの音を聞きながら歩く。なかなか風流だ。
僕は当初の目的をすっかり忘れ、自分の世界に入っていると、雨の中から人影が見えたような気がした。
前から人が来たのかと思って端に避けようとしたが、誰もいない。
見間違いだったのか。
小首をかしげていると、木材やら石やら土やらが積み上げられているのに気がついた。
そこでようやくここに来た目的を思い出す。
僕は工事中の橋を見に来たのだ。
それにしてもと、僕はあたりを見回す。
橋ひとつないだけで、これだけ景色が変わるものなんだな。
ほうほう、と、一人で何度も頷いてこの景色を眺めていたが、ふと人の気配に気づく。しかし、やはりあたりを見回しても誰もいないのだ。
今度は、うーむ、と唸って、考え込む。
気のせいにしては、はっきりと気配を感じる。
これは、あれしかない。最近、いや、今までほとんど出会ったことがなかったため、すぐにこのことに気づかなかったが、これはまさしくあれだ。幽霊の類だ。
うちには妙な連中が住み着いているが、はっきり言って、僕は幽霊が嫌いだ。
あいつらと幽霊は、違いすぎる。どこがどう違うのかと問われても答えられないのだが、僕の中では違うのだ。僕にとって幽霊は怖いものだ。
幽霊だとはっきり認識したからか、背筋がぞくぞくとしてきた。なんだか寒気もする。取り憑かれでもしたら面倒だ。
来るんじゃなかったと後悔しながら、僕はそそくさとその場から離れることにする。
早足で、心臓を高鳴らせながら、さっさと歩く。
背後で、すすり泣くような声が聞こえた。
びくりと体が震えたが、何とか声は出さずに済んだ。
怖いものは怖いんだからしょうがないじゃないか。これは僕がどうこうできる問題じゃない。こういうのは輔毅君の役割なのだ。
そう自分に言い訳しながら早足で歩くが、このことを輔毅君に話したら、さっさと逃げ帰ってきたのかと笑われそうな気がした。いや、きっとそうに違いない。おまけにうちに棲みつく白い烏までも、臆病者とか言うに違いない。
そう思うと、なんだか少し悔しくなって、僕はそっと背後を振り返った。
ぼんやりと白い影が浮かび上がる。
橋の袂だ。
雨が邪魔でよく見えない。
僕は目を細めて見た。
不思議と、さっきまでの怖いという思いはどこかに吹き飛んでしまっていた。
雨の中、佇むその人は、泣いているように見えた。
着物の袖で顔を隠し、かすかに震えている。
やがて、僕の耳に、はっきりとすすり泣く声が入ってきた。
女の人だった。
酷く悲しんでいる。
その対岸にも、ぼんやりと浮かぶ白。
泣いている女の人を、静かに見つめている男の人。
酷く、悲しそうに。
雨の中、僕はその光景が目に焼きついて、しばらくそこから動けなかった。
「それで逃げて来たの?」
「だから、怖いのを我慢して振り返って見たって言ったじゃないか!僕はがんばったんだ!」
輔毅君の言葉に、僕は机をばんばんと叩いて抗議する。
とにかくこのことを輔毅君に報告しなければと思い、走って家に帰ると、どこから侵入したのか、輔毅君が居間でくつろいでいたのだ。
不法侵入のことはとりあえず不問にし、さっき見たことを輔毅君に話すと、あの言葉だ。
「だいたい、輔毅君がこういうことがあるって言ってくれなかったから、僕が怖い思いをしなきゃいけなかったんじゃないか」
「だって速燈君、何も見えなかったって言うし、そもそも君、幽霊大嫌いだから、余計なこと言わない方がいいと思って黙ってたんじゃないか」
「でも…」
「それにあの時、拗ねて家に帰っちゃったのは速燈君でしょ」
「う…」
それを言われると言い返せない。
僕は咳払いをしてごまかし、話を先に進めることにした。
「それで、あれは一体何?」
「幽霊だよ」
「それはわかってるよ」
もうすでにわかりきっていることを言われ、むっとした口調で返してしまった。
僕はまた咳払いをして一呼吸置き、気持ちを静める。もし輔毅君が機嫌を損ねてしまったら、何も教えてくれなくなる。そうなってしまったら、僕の中にもやもやしたものがずっと残り続けてしまう。そんな気持ち悪いのは避けたい。
輔毅君は特に何も思わなかったようで、いつもの表情で僕を見ている。
「だから、幽霊は幽霊なんだけど、なんで幽霊のくせに…その…」
なぜ泣いていたのか。けれども、果たして幽霊に感情などあるのだろうか。もしかしたらあれは僕の見間違いだったのかもしれない。いや、しかしあれは悲しそうに見えた。
どう説明すればいいのだろう。しばらく思案していると、
「悲しそうだったのが気になる?」
輔毅君にも、僕が見た景色と同じものが見えていたようだ。
僕は頷いた。
「あれは人柱だよ」
「人柱?」
「工事の無事を祈って、人を生き埋めにするんだよ」
「げっ」
「男の人は、大工だったのかな。女の人と恋人同士だったのかもしれないね」
聞かなければよかったと、心底思った。
「そういうことだから、速燈君は知らない方がいいと思ったんだよ」
涼しい顔をしてお茶をすする。
よくもこんな話をしている時にそんな顔ができるものだ。
僕はそれきり、輔毅君に何も聞かなかった。
聞いても聞かなくても、後味の悪い話だ。
僕は忘れることに努めることにした。
あれから数日後、僕はごろごろと惰眠を貪っていると、外がうるさいことに気がついた。
もしかして。
惰眠を貪ることを止め、家を飛び出した。
工事中のあの橋だ。人が集まっている。
歓声が上がった。
今、工事が終わったのだ。
我先にと橋を渡ろうと、人々が詰め掛ける。
その中で、僕は見た。
人を避けることなく、通り抜け、まっすぐに向かう男と女。
こちら側から女の人が、対岸からは男の人が、お互いを目指して駆け寄る。
そして、橋の中央で、二人は抱き合い、消えていった。
再び歓声が上がる。
渡り終えた人々が、無事に工事が終了したことを喜んでいる。
僕も橋の完成と、二人の再会に、拍手を送った。
五の幕 天の川<了>
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