あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

五の幕 あまがわ


 外のざわつきで目が覚めた。
 うるさいと思うほどではない。遠くから人の声や、何かを壊す音が聞こえてくる。
 何か工事でもしているのだろう。
 そう思って朝餉を食べ、ごろごろしていた。
 しかし、遠くから聞こえてくる声が妙に気になる。普段はこんなことはないのに。
 重い腰を上げ、様子を見に行くことにした。
 ここに住んでいるのだから、近所の様子は知っておく必要がある。
 玄関を飛び出すと、運が悪いことに、ここに住み着いている白い烏に出くわした。
「野次馬」
 たった一言、しかし確実に僕の真意を突いた一言だった。
 悔しいので、
「うるさい」
 と返し、気にせず様子を見に行くことにする。
 散歩だ散歩と、自分でもわかっている苦しい言い訳を心の中でつぶやきながら、音のする方へ向かう。
 家の中に居たときよりも音は近いが、正確な場所がわからない。
 とりあえず適当にどこかの角を曲がろうとすると、
「こっちだ」
 どこからともなく白い烏が飛んできて、僕の肩に止まった。
「なんだ、結局お前も野次馬じゃないか」
 嫌味を言ってやると、白い烏は、物の怪の癖に人間らしく、首をゆるゆると横に振り、しかもため息らしきものまで吐き出した。
 むっとしたが、返す言葉が見つからない。
 先ほどの烏の腹立つ動作は忘れることにして、言うとおりの道を行く。
 言うとおりに歩くと、川沿いの道に出た。
 少し遠くなるが、たまに学校の行き帰りに使う道だ。
 川沿いに桜の木が植えられており、春は特に綺麗で、人通りも多い。
 その川を越える橋。そこに人が集まっていた。
 始めは一番外から眺めようと思っていたけれど、知っている人を見てしまった。
 僕は人を掻き分け、一番前に出る。
 ちょうど終わりの頃だった。
 橋の真ん中で、神祇官がいかにもらしい服で、何かを唱えている。 それが終わったのか、礼をし、静々とこちらへやって来た。
 それは僕のよく知る従兄、 輔毅(ふき)君だった。
 こちらへ来た時に、ばっちりと目があった。
 輔毅君は笑顔で僕に手を振る。
 いいのだろうか。神祇官がそんな満面の笑みで大きく手を振って。
 僕は周りを気にして、小さく手を振り返した。
 しかし輔毅君は気にしない。
速燈(はやひ)君、どうしたの?」
 野次馬だとは言い難いし、何か適当な理由を言おうとしたら、
「野次馬だ」
 白い烏があっさりばらしてしまった。
「なるほど、速燈君らしいね」
 どうも納得はいかなかったが、僕は何も言い返さなかった。この二人相手だと、必ず僕が負ける。負ける戦いはしたくない。それに、輔毅君ならこのあたりのことはよく知っているから、言い争うのは得策ではない。
 仕事が終わって帰ろうとする輔毅君の後を、僕はついていく。
「あの橋、何かするの?」
 僕が尋ねると、輔毅君は少し驚いた顔をした。
「なんだ、知らなかったの?」
 その問いに、素直に頷く。
「あの橋、かなり古くなってて危ないから、壊して新しくすることにしたんだ」
「そうだったんだ…」
 あの橋は僕は日常的には使わないため、これといって害は無い。しかし、これから毎日騒音を立てられるとなると、少々迷惑だ。
「すぐに終わってくれるといいな」
「どうだろうね」
 なにやら意味ありげに輔毅君は笑った。
「何?何かあるの?」
「あれ?速燈君、見えなかった?」
「え?何?」
「いや、いいんだ。それなら別に問題ないし」
「え?」
「工事は順調に進むと思うから、心配はしなくていいよ」
 ひっかかる。
 でも僕が何を聞いても、輔毅君は笑ってごまかすだけで、何も教えてくれなかった。
 いや、教えてくれなかったと言うより、聞き出せなかったのだ。
 見えなかったら別に知る必要ないだろうと言われ、僕は腹を立てて帰った。
 案の定、うちに住み着く白い烏には、阿呆呼ばわりされた。
 あれから三日後、学校からの帰りに、ふとあの橋のことが気にかかった。
 ぱらぱらと小雨が降っていた。
 花びらをつけていない桜の木の下を、雨の音と川の流れの音を聞きながら歩く。なかなか風流だ。
 僕は当初の目的をすっかり忘れ、自分の世界に入っていると、雨の中から人影が見えたような気がした。
 前から人が来たのかと思って端に避けようとしたが、誰もいない。
 見間違いだったのか。
 小首をかしげていると、木材やら石やら土やらが積み上げられているのに気がついた。
 そこでようやくここに来た目的を思い出す。
 僕は工事中の橋を見に来たのだ。
 それにしてもと、僕はあたりを見回す。
 橋ひとつないだけで、これだけ景色が変わるものなんだな。
 ほうほう、と、一人で何度も頷いてこの景色を眺めていたが、ふと人の気配に気づく。しかし、やはりあたりを見回しても誰もいないのだ。
 今度は、うーむ、と唸って、考え込む。
 気のせいにしては、はっきりと気配を感じる。
 これは、あれしかない。最近、いや、今までほとんど出会ったことがなかったため、すぐにこのことに気づかなかったが、これはまさしくあれだ。幽霊の類だ。
 うちには妙な連中が住み着いているが、はっきり言って、僕は幽霊が嫌いだ。
 あいつらと幽霊は、違いすぎる。どこがどう違うのかと問われても答えられないのだが、僕の中では違うのだ。僕にとって幽霊は怖いものだ。
 幽霊だとはっきり認識したからか、背筋がぞくぞくとしてきた。なんだか寒気もする。取り憑かれでもしたら面倒だ。
 来るんじゃなかったと後悔しながら、僕はそそくさとその場から離れることにする。
 早足で、心臓を高鳴らせながら、さっさと歩く。
 背後で、すすり泣くような声が聞こえた。
 びくりと体が震えたが、何とか声は出さずに済んだ。
 怖いものは怖いんだからしょうがないじゃないか。これは僕がどうこうできる問題じゃない。こういうのは輔毅君の役割なのだ。
 そう自分に言い訳しながら早足で歩くが、このことを輔毅君に話したら、さっさと逃げ帰ってきたのかと笑われそうな気がした。いや、きっとそうに違いない。おまけにうちに棲みつく白い烏までも、臆病者とか言うに違いない。
 そう思うと、なんだか少し悔しくなって、僕はそっと背後を振り返った。
 ぼんやりと白い影が浮かび上がる。
 橋の袂だ。
 雨が邪魔でよく見えない。
 僕は目を細めて見た。
 不思議と、さっきまでの怖いという思いはどこかに吹き飛んでしまっていた。
 雨の中、佇むその人は、泣いているように見えた。
 着物の袖で顔を隠し、かすかに震えている。
 やがて、僕の耳に、はっきりとすすり泣く声が入ってきた。
 女の人だった。
 酷く悲しんでいる。
 その対岸にも、ぼんやりと浮かぶ白。
 泣いている女の人を、静かに見つめている男の人。
 酷く、悲しそうに。
 雨の中、僕はその光景が目に焼きついて、しばらくそこから動けなかった。
「それで逃げて来たの?」
「だから、怖いのを我慢して振り返って見たって言ったじゃないか!僕はがんばったんだ!」
 輔毅君の言葉に、僕は机をばんばんと叩いて抗議する。
 とにかくこのことを輔毅君に報告しなければと思い、走って家に帰ると、どこから侵入したのか、輔毅君が居間でくつろいでいたのだ。
 不法侵入のことはとりあえず不問にし、さっき見たことを輔毅君に話すと、あの言葉だ。
「だいたい、輔毅君がこういうことがあるって言ってくれなかったから、僕が怖い思いをしなきゃいけなかったんじゃないか」
「だって速燈君、何も見えなかったって言うし、そもそも君、幽霊大嫌いだから、余計なこと言わない方がいいと思って黙ってたんじゃないか」
「でも…」
「それにあの時、拗ねて家に帰っちゃったのは速燈君でしょ」
「う…」
 それを言われると言い返せない。
 僕は咳払いをしてごまかし、話を先に進めることにした。
「それで、あれは一体何?」
「幽霊だよ」
「それはわかってるよ」
 もうすでにわかりきっていることを言われ、むっとした口調で返してしまった。
 僕はまた咳払いをして一呼吸置き、気持ちを静める。もし輔毅君が機嫌を損ねてしまったら、何も教えてくれなくなる。そうなってしまったら、僕の中にもやもやしたものがずっと残り続けてしまう。そんな気持ち悪いのは避けたい。
 輔毅君は特に何も思わなかったようで、いつもの表情で僕を見ている。
「だから、幽霊は幽霊なんだけど、なんで幽霊のくせに…その…」
 なぜ泣いていたのか。けれども、果たして幽霊に感情などあるのだろうか。もしかしたらあれは僕の見間違いだったのかもしれない。いや、しかしあれは悲しそうに見えた。
 どう説明すればいいのだろう。しばらく思案していると、
「悲しそうだったのが気になる?」
 輔毅君にも、僕が見た景色と同じものが見えていたようだ。
 僕は頷いた。
「あれは人柱だよ」
「人柱?」
「工事の無事を祈って、人を生き埋めにするんだよ」
「げっ」
「男の人は、大工だったのかな。女の人と恋人同士だったのかもしれないね」
 聞かなければよかったと、心底思った。
「そういうことだから、速燈君は知らない方がいいと思ったんだよ」
 涼しい顔をしてお茶をすする。
 よくもこんな話をしている時にそんな顔ができるものだ。
 僕はそれきり、輔毅君に何も聞かなかった。
 聞いても聞かなくても、後味の悪い話だ。
 僕は忘れることに努めることにした。
 あれから数日後、僕はごろごろと惰眠を貪っていると、外がうるさいことに気がついた。
 もしかして。
 惰眠を貪ることを止め、家を飛び出した。
 工事中のあの橋だ。人が集まっている。
 歓声が上がった。
 今、工事が終わったのだ。
 我先にと橋を渡ろうと、人々が詰め掛ける。
 その中で、僕は見た。
 人を避けることなく、通り抜け、まっすぐに向かう男と女。
 こちら側から女の人が、対岸からは男の人が、お互いを目指して駆け寄る。
 そして、橋の中央で、二人は抱き合い、消えていった。
 再び歓声が上がる。
 渡り終えた人々が、無事に工事が終了したことを喜んでいる。
 僕も橋の完成と、二人の再会に、拍手を送った。





 五の幕 天の川<了>




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