神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。
ふと目が覚めた。
なぜかはわからないが、急に目が覚めたのだ。
もう朝だろうかと思ったが、どうも違うようだ。光の様子が違う。
僕は起き上がり、障子を開ける。
おお、と思わず感嘆の声を漏らした。
月だ。煌々とあたりを照らしている。
声を漏らしたのは、それだけが理由ではない。
妙に大きく見える。普段の倍はあるのではないかと思われるほど、月が大きく、丸い。いや、完全な丸ではない。一部分欠けているが、それでも見事な月だ。
しばらく月の魔力に見とれていたが、何やら騒がしいことに気がついた。
がさごそと、音がする。
ここに住み着いている物の怪達だろう。
彼らは夜行性だっただろうか。そんなことを考えていると、天井裏を何かが走り抜ける音がした。
いつもはもっと大人しい。大きな物音など立てないのだが。
もしかしたら明日の十五夜の準備に物の怪たちも大忙しなのかもしれない。
その考えは、自分自身を大いに納得させるものだった。
僕は再び眠りにつこうと、月に背を向ける。
「見えない」
「え?」
どこからともなく聞こえた声に、僕は振り返った。
「見えない」
「見えない」
いつの間にか僕の足元に寄ってきた、二匹の子鬼。拳ほどの大きさしかないため、声も聞き取りづらい。僕はしゃがんで話をしてやることにする。
「何だって?」
「草でお月様が見えない」
「お月見が出来ない」
「掃除しろ」
床下から、声が聞こえた。
「汚い」
それには、僕は何も言い返せなかった。心当たりがありすぎたのだ。
確かに、僕は掃除が得意ではない。隅々まで綺麗にするのが苦手だ。途中で面倒になってしまう。
「明日、墓場で月見を行う」
物の怪の癖に、風流な奴らだ。
この家の隣に、代々伝わっているのかどうかわからないが、墓場がある。一応僕はそこの管理人だ。どれほど昔のものなのか、誰の墓なのかさえわからないような、古ぼけた墓しかない。どうせうちに住み着いている物の怪達の格好の遊び場となっているのだろうが、僕は墓場が苦手だ。幽霊が大嫌いなのだ。墓場に幽霊は付き物ではないか。
「あの汚さでは、せっかくの月も台無しだ。綺麗にしておけ」
むっとした。物の怪に言われて掃除などしたくない。だいたい月の美しさなんて物の怪にわかるのだろうか。
「見えない」
「見えないよ」
子鬼達が、僕を見上げ、懇願するように言う。
これには困った。他の物の怪達とは違って、ぞんざいな振る舞いをしない子鬼達を、邪険にはしたくない。しかし、墓場に幽霊という観念が、二の足を踏んでしまう。
「草が邪魔でお月様が見えない」
「お月見が出来ないよ」
少々心が揺らいだ。が、それを壊したのは床下に住む物の怪だ。
「どれほど汚いか、今から行って見れば良い」
この床下の物の怪は、いやいや、この家に住む全ての物の怪たちは僕が臆病なことを知っている。もちろん僕が幽霊が大嫌いだということをわかっている。わかっていて、こう言っているのだ。
つまり、僕はからかわれているのだ。
腹が立つので、床を踏み抜かんばかりに踏みつけてやる。
床下の物の怪は驚くことなく、くすくすと笑っている。
本当に憎たらしいやつだ。気分を害した。けれど、子鬼達は僕を見上げ、揃ってお月見がしたいと言う。
僕はしばらく考えた。
久しく墓場には近づいていない。物の怪達の言うように、本当に草が生えたい放題になっているのだろう。
これでも一応、僕は管理者なのだ。もしかしたら幽霊を怖がっている場合ではないのかもしれない。ここを頼まれた責任がある。
突然湧いて出た責任感に、僕は頷いた。
しっかり掃除をすることを約束すると、子鬼達は嬉々としてどこかへ走り去っていく。宴の準備にでも取り掛かるのだろうか。
「昼間なら幽霊もでないからな」
床下の物の怪が、余計なことを言う。本当に一言も二言も多い。床下から追い出してやろうかと思ったが、やめた。深夜に騒いでいたら、明日の朝起きられなくなってしまう。
僕はもう物の怪達の相手はせず、睡眠に専念することにした。
翌日、学校から帰ると、さっそく墓場へと向かう。
やはり、古ぼけた墓しかない。そして想像通り、まったく掃除をしていなかったため、雑草が生えたい放題になっている。
これはいけない。一応僕はここの管理者だ。荒地のようにしてしまったことを反省する。
月見のことは抜きにして、僕は心を入れ替え、雑草を抜き始める。
「今更だな」
ここに住み着いている白い烏が、僕の肩に止まったかと思うと、ぼそりとつぶやいた。
相変わらず憎たらしい奴だ。
何か言い返してやろうと思ったが、今更なのには違いない。僕は黙って手を動かすことにする。
白い烏は、しばらく僕の肩の上で自分の羽を突っついていたが、何を思ったのか、飛び降りると、くちばしで器用に雑草を抜き始めた。
「…手伝ってくれるのか?」
「雑草が邪魔で、月見ができんからな」
まったく素直じゃない。
しかし僕は口には出さず、手伝ってもらうことにした。僕はこの烏より幾分か素直なのだ。それにこの量は一人では大変だ。この物の怪が加わったところで、効率が良くなるとも思えないけれども、今は猫の手も借りたい。
心を入れ替え、掃除を始め、どれぐらい時間が経ったのだろう。
だんだん嫌になってきた。手も足も腰も痛い。少し休憩しようか。いや、ここで休んでしまったら、もう再開しないような気がしてならない。掃除嫌いな僕のことだ。やるなら一気にやってしまった方がいい。けれど、手も足も腰も痛い。
悶々と悩んでいると、
「速燈君」
声をかけられ振り返ると、従兄の輔毅君が立っていた。
この従兄はいつも良いところにやってくる。計ってやってるんじゃないかと思うほどだ。
「何してるの?」
見ればわかることを聞いてくる。わざとだ。おもしろがっているに決まっている。その証拠に、顔は胡散臭い笑顔で溢れている。その様子には少々腹が立つ。
僕は何も答えず、表情にも出さず、ただじっと輔毅君を見上げていた。
「その姿勢、疲れない?」
輔毅君は、僕の神経を逆なでするのが得意だ。
僕は彼を無視し、雑草を抜く手を再び動かす。足が痛いのも手が痛いのも、腰が痛いのも、どこかに消し飛んでしまった。黙々と手を動かす。僕の意思は強固だ。輔毅君の相手をせず、掃除に専念する。
「お土産あるんだけど」
僕の背に語りかける。
輔毅君の土産はいつも豪華だ。滅多に食べられないものを持ってきてくれる。
それには少し心動かされるが、僕の意思は強固なのだと自分に言い聞かせる。邪念を払いのけ、掃除に集中する。
「わかったよ。僕も手伝うから」
何がわかったというのだろうか。だがここで言い争っても、事態は進展しない。僕は素直に手伝ってもらうことにした。
ただひたすらに雑草を抜き取る作業を一心不乱に行う。果たして僕はここ最近、これほど夢中になって何かをしたことがあっただろうかと思うぐらいだ。
何にせよ、夢中になるとは良いことだ。面倒になっていたことなど忘れ、穏やかな心地で作業に没頭していた。
生え放題になっている草に手を伸ばす。
白い毛玉が見えた。
「おっと」
驚いて、手を引っ込める。
白い雛だった。産まれたばかりというわけではなさそうだが、ここ最近だろう。僕は今までこんな雛を見たことが無い。
「おや、珍しい」
輔毅君が、白い雛を見てつぶやいた。
「珍しいの?」
「これは特別な物の怪の類だよ」
雛は、愛らしく羽をばたつかせている。
ふかふかの毛玉に心惹かれ、触れようと手を伸ばす。が、輔毅君が言った。
「やめておいた方がいいよ。感電するから」
僕は手を止める。あともう少しで触れるところだった。愛らしい身の内に危険なものを潜ませているとは。なかなかに恐ろしい物の怪だ。
それにしても、こんな危険なことを一番初めに言わないのは、輔毅君の悪い癖だ。
白い雛は、ちょこちょこと僕の周りを元気に走り回る。実に微笑ましい。
すると、白い烏が僕の肩に止まった。
「気に入られたようだな」
雛の様子を見て、そう言った。
僕は白い烏から白い雛に視線を戻す。
ふと思った。
「…もしかして、この子はお前の子か?」
似ていたのだ。成長すれば、この憎たらしい白い烏と瓜二つではないかと。
しかし烏は、阿呆、と一言言い放ち、飛び去って行った。
それもそうだ。なんだか酷く納得してしまった。
僕は雛に触れないよう、慎重に後ずさりし、作業に戻ることにする。
それからいくら経過したのか、気が付くと、日が傾いていた。空は赤く染まっている。
そして物の怪達も、今夜の月見のために、せっせと働いていたのだ。抜き取った雑草を、敷地の隅へと運んでいく。竹箒で綺麗に片付け終えた時には、空には星が輝いていた。
僕が掃除を終えたのを見届けると、物の怪達は歓声をあげ、方々に散らばる。すぐに戻ってきたかと思うと、それぞれ宴の必須道具を持っていた。
どこから手に入れたのだろうか、御座や酒瓶。盗んできたのか、団子まで用意してある。
用意周到なのは感心するが、他の人に迷惑をかけていないか、少々心配だ。
それにしても、うちに住み着く物の怪は、風流な奴らだ。
「僕らもお月見しようよ」
輔毅君が、土産を広げる。
僕はもう臍を曲げていたことなどすっかり忘れ、輔毅君の土産に涎を垂らしていた。
重箱から姿を現したのは、饅頭に三色団子。稲荷寿司に巻き寿司まである。労働のあとの食事は、また格別だろう。
僕と輔毅君は、物の怪達が用意した御座にお邪魔することにした。
まん丸の月が、僕達を照らす。僅かな欠けもない。
近すぎるのではないのか、まさか落ちては来ないだろうかと、少し心配してしまうほどの大きな丸い月は、僕達をすっかり魅了してしまった。
と、何かが僕の横を通り過ぎた。
白い毛玉に見えたそれは、あの雛だ。
御座から飛び出し、前に出る。
「いよいよだ」
物の怪達が、口々に言う。
僕は輔毅君を見た。
「見てればわかるよ」
輔毅君もどこか待ちわびている様子だ。
雛が、ぱたぱたと羽を羽ばたかせる。
「行くのか」
白い烏が、雛に問うた。
雛は小さく頷き、より一層、羽を動かす。
「いいものが見れるよ」
輔毅君が言った。
わっと物の怪達が歓声を上げる。
それに応えるかのように、雛が、月に向かって吠えた。
刹那、月から白い閃光が走った。そう見えた。
かっと強い光を放ち、天を穿つかのような速さで昇っていった。
手のひらほどの大きさしかなかった小さな小鳥が、天に昇るに連れて大きくなり、そして悠々と羽を広げる。
なぜここまではっきりと見えたのかわからないが、確かに見えたのだ。
月の光よりも明るい光が、夜空に弧を描く。あっという間に遠ざかり、見えなくなった。
物の怪たちが歓声と拍手を送る。
僕は口を開けたまま、しばらく放心していた。
一生に一度見れるかどうかの、非常に珍しいものを見た気がしていた。
「あれは良い神になる」
餅をつつきながら、白い烏が言った。
「…もしかしてお前も本来はああいう姿なのか?」
あり得ない話ではない。
烏はちらりと僕を見ただけで、肯定も否定もしない。
物の怪なのか、神の類なのか。
追求してやろうと思ったが、止めた。
それがわかったところで、何だというのだろう。物の怪だとしても神だとしても、この烏が憎たらしいのには変わりがないし、そもそも神の類だったからといって、僕が従順な態度に変わるとは、僕自身到底思えない。
これは知らない方がいい。ここにいるものたちは、ここに住み着いている人ではない何かでしかないのだ。そして彼らのおかげで、僕は寂しくない生活を送っている。
僕は残っていた饅頭を、物の怪たちに全て分け与えた。
輔毅君が驚いた様子で僕を見た。
言葉にはしなかったが、食い意地の張っている僕にしては珍しい行動だったからだろう。
まあいいさ。珍しいことには変わりはない。
見上げると、まん丸の月が輝いていた。
六の幕 望の夜<了>
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