あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

七の幕 狐花きつねばな


 家の前に、台車が止まっていた。
 台車を牽いて来た、狼だろうか。狼のような犬のような狐のような、そんな動物だ。いや、違う。これは物の怪の類だろう。その証拠に、額に小さな角が一本生えていた。僕の知る限り、こんな動物はいない。その狼に似た物の怪は、僕の方をちらりと見ると、小さく頭を下げた。
 物の怪の癖に、礼儀正しい。僕も会釈を返した。
 家の中に入ろうとしたが、台車が邪魔で仕方が無い。 遠慮など知らず、門のところに堂々と止めてある。
 僕は狼のような物の怪に少し台車を動かしてもらい、 台車と塀に体をこすりつけながら、なんとか中へと入ることに成功した。
 なぜこんなものが止まってあるのか、理由はすでにわかっている。
 姉が、帰ってきたのだ。
 姉は普段どこかを放浪している。たまにふらっと帰ってきたかと思うと、 またふらっとどこかへ旅立ってしまう。おそらく仕事なのだろう。
 姉も、両親と同じ神祇官だ。神祇官にはふたつの種類がある。 輔毅(ふき)君や輔毅君の伯父さんのように、 その土地から動かず、災いが起こらないように守る神祇官。もうひとつは、 全国各地を渡り歩き、災いを治めに行く神祇官。姉はおそらく、 後者の神祇官なのだろう。姉の性格を考慮すると、その方が合っている。
 玄関には、僕以外の履物が二足。姉のものと、輔毅君のものだろう。
 居間へ行くと、僕の予想は的中していた。
「おかえりー」
 姉と輔毅君が笑顔で僕を迎え入れる。
 この二人は、いつも一体どこから入ってくるのだろうか。
 僕は出かける際はきっちり戸締りをしている。 当然輔毅君は合鍵は持っていないし、姉も無くすからという理由で、 合鍵を持っていない。それなのに、いつもこの二人は家の中へ侵入してくる。 神祇官なんかよりも、泥棒の才能の方があるんじゃないかと疑ってしまう。
「はい、これお土産ね」
 机の上に、所狭しと並べられた土産の品の数々。何に使うのかさっぱりわからない道具や、奇妙な人形といったものばかり。こんなもの、一体どうしろと言うのだろう。
「…食べ物がいい」
「米と味噌は台所」
「いや、それもありがたいんだけど、そういうのじゃなくて…饅頭とか」
「帰る前に腐る」
 即座に却下された。
 ばっさり切られた僕は立ち上がり、台所の様子を見に行く。
 足の踏み場もないほどに散乱した袋。袋の中を覗くと、米だった。 おそらく、この米の袋が半分以上を占めるのだろう。
 だいたいの見当をつけ、また別の袋を覗く。今度は味噌だ。 その隣の小さな袋は砂糖だった。
 こうして保存の利く食料を持って帰ってきてくれるのはありがたい。 貴重なものも混ざっている。しかし、どうせならもっと頻繁に家に帰ってきて、 もっと小分けにして持って帰ってきて欲しかった。こんな大量の食料を前に、 どう始末していけばいいのか戸惑うばかりだ。
 どうせ姉はまたすぐに出て行って、片付けない。 僕はここ数日の自分の未来を想像して、肩を落とした。
 居間に戻ると、姉と輔毅君の会話がますます弾んでいた。 この二人は仲が良い。変な者同士、気が合うのだろう。
「それで、姉さん。今回はどれぐらい家にいるの?」
「んーと、五日ぐらいいるんじゃないかな?」
 なぜそんな他人事のような口調なのだろう。そう思ったが、口には出さなかった。
 それにしても、五日というのはいつもより長い。いつもは三日や、 早いときにはたった一日でどこかへ旅立ってしまう。
「五日か。今回は長いんだね」
「うん。こっちでちょっと用事があってね」
「用事?」
「うん、仕事」
 はて、姉が出るような災いがこのあたりであっただろうか。 考えを巡らせるが、思い当たらない。
「何かあったの?」
「何、あんた。知らないの?それでも神祇官?」
「なった覚えない」
 今度は僕が即座に否定する。
 あれ、そうだっけ、と姉はとぼけるが、絶対確信犯だ。 姉も、何かにつけて僕をその道へ引きずり込もうとしている。
 神祇官は嫌いではないけれど、意固地な僕は、 周りを固められていけばいくほど、反発して別の道へと行こうとする。 自分の道は自分で決めるぐらいの自尊心は持ちたいのだ。
「それで、何があったの?」
「神隠しだよ」
 話を戻した僕に、輔毅君が答えた。
「…神隠し?」
「うん。七つの子供なんだけど、いなくなっちゃったんだ」
「誘拐じゃないの?」
「違うよ。山へ父親と一緒に薪を取りに行ってたんだ。 ほんの一瞬だけ目を離した隙に、いなくなった」
「転げ落ちたんじゃないの?」
「その山を、みんなで隅から隅まで探したけど、見つからなかった。 事故にあったなら、絶対何か痕跡が残るはずでしょ?」
「それで神隠しにあったに違いないって?」
「そう。僕達の出番」
「あんた暇なら、一緒に探してよ」
 あまりにも突然の申し出だ。
「なんで僕が」
「一緒に山の中歩くだけなんだし、簡単でしょ?」
「だから、なんで僕が。そもそも山の中は隅から隅まで探したんでしょ? だったらもう見つかるわけないじゃないか」
 尤もなことだと思う。ところが姉は、僕の意見を鼻で笑った。
「あんたねぇ、あたし達がそんなことするわけないじゃない」
 呆れた口調で、やれやれと首を振る。
 僕は酷く気分を害した。が、食って掛かっても、やられるのはこっちの方だ。 おまけに輔毅君も相手にすることになるだろうから、こちらに勝ち目は無い。 勝てない争いは極力しない。僕はぐっと堪える。
「あたし達は神祇官なんだから、神祇官らしい方法で捜すの。あんたも手伝って」
「嫌だよ」
 そんなこと、真っ平ごめんだ。神祇官らしい方法というのが、 薄気味悪くて嫌だ。ただ山に入って捜すだけなら了承しただろうけど、 神祇官が関わるとなるとお断りだ。
「何でよ。どうせ暇なんでしょ?」
「暇とか関係ないよ。嫌なものは嫌だ」
「もしかして、怖いの?」
 輔毅君の一言に、僕は非常に不愉快になった。
「そんなわけない」
 本当はあまり関わりたくなかったが、ついつい言ってしまった。
「じゃあ明日一緒に来てよ。人手が多いことに越したことは無いから」
「だから、何で僕が?」
「怖いの?」
 輔毅君がにやにやと不愉快な笑みを浮かべ、焚き付ける。
「違うって!」
「えー?ほーんとーかなー?」
 上手い具合に嵌められた。その時の僕は頭に血が上っていて、 正常な判断はできなかった。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
 僕は二人に焚き付けられて、気づいた時には首を縦に振ってしまっていた。
 こうして、僕も同行する羽目になったのだ。思い返すと本当に情けない。 だがここで逃げ出してしまうと、後が怖い。何かにつけて後々嫌味を言われそうだ。
 僕は覚悟を決め、姉と輔毅君の後をついて行く。
 二人は正面玄関からではなく、縁側から庭へと下り、 そのまま裏庭と繋がっている神社へ向かう。
「うまく嵌められたな」
 この家に住み着く白い烏が、僕の肩に止まって言った。
 なぜ知っているのだろうと疑問に思ったが、この物の怪のことだ。 どうせどこかで聞き耳を立てていたのだろう。
「別に嵌められたわけじゃない。そういう気分になっただけだよ」
 僕はそっぽを向き、そう返す。
 そんな僕の言い訳など、この白い烏にはお見通しなのだろう。
「まあ、そういうことにしておいてやろう」
 ふふん、と鼻で笑った。
 まったく憎たらしい奴だ。
 姉と輔毅君は、白い烏のことなどお構いなしに先へと進んでいく。 慣れているのだろう。この二人にとって物の怪や怪異、災いは、 もはや景色と同化してしまっていて、いちいち気にすることではなくなってしまっている。
 僕もこの家の物の怪達には慣れているが、気にしないわけではない。新 入りが居れば気づくし、居たものが居なくなれば寂しくも感じる。まったく気にしないのであれば、それは居ないのと同じことではないのだろうか。
 しかし彼らは間違いなくここに居る。ここに居て、僕と話をしている。 心に留めないのは、なんだか寂しい気がした。
 庭を過ぎると神社がある。この家の庭と繋がっている神社は、 拝殿と鳥居があるだけの小さな神社だ。
「あれ?」
 僕は思わず声を上げた。
 僕はこちらからよく家に出入りしているのだが、昨日までなかった色彩が、 ずらりと並んでいる。
 彼岸花だ。
 いつの間にか咲き、いつの間にか跡形も無く姿を消す。まったく不思議なものだ。
「この景色、よく覚えておけ」
 烏が、僕の耳元で囁いた。
 聞き返そうとしたが、それよりも早く、白い烏はどこかへ飛んでいってしまった。
 言いたいことだけ言って、何も聞かずに行ってしまうとは失礼な奴だ。僕は烏の行方を見送ってなどやらなかった。さっさと前を向いて、足を進める。
 勝手口から家を出て、子供が行方不明となった山へと向かう。一体どこまで行くのかと思っていたが、案外近かった。隣町だったのだ。
 それなら神隠しの噂を耳にしてもよさそうなものなのだが、残念ながら僕の耳には入らなかった。
 山の入り口らしきところに着くなり、姉と輔毅君が御札を張ったり、何やらわけのわからない香を焚いたりして準備を始める。僕はさっぱりわからないので、ただ黙って見守るしかなかった。
 準備が終わったのか、
「よし。それじゃあ突入するわよ」
 姉が気合満々で僕と輔毅君に呼びかける。
「と、その前に。あんた、迷子にならないでよ」
「ならないよ。小さい子供じゃないんだから」
「違うよ。これから行くのは、この山であって山じゃないところ」
「…はぁ」
 僕は間抜けな返事しかできなかった。
「これから彼岸に探しに行くんだよ。僕らは今、扉を開けたんだよ」
 輔毅君が、山の入り口を指差す。
「ここから向こうは、彼岸」
 ということは、こちら側は此岸ということになる。
「山の隅々まで探して見つからなかったんだから、あとは彼岸を探してみようっていうこと」
「だからあんた、迷子にならないでね。面倒だから」
「え…?ちょっと待って。そんな危ないところに僕も行くの?」
「大丈夫。あんたも神祇官の血を引いてるんだから、道がわからなくなっても帰ってこれるわよ」
 どこが大丈夫だというのだろう。そんな曖昧なものなど信用できるものか。
「さあ、ごちゃごちゃ言わずに行くよ」
 姉が僕の腕を引っ張る。
 僕の制止の言葉も聞かず、さらに僕の背を押す輔毅君も加わって、踏ん張りきれずに未知の世界へと足を踏み入れた。
 もっと殺伐としたものだと思っていた。ところが、此岸から見た景色と変わらない。正直、拍子抜けした。そのせいだろう。さっきまでの不安感はどこへやら、僕は大人しく二人の後をついて行く。
 普通の山道と変わらない。僕は景色を楽しむ余裕すらあった。
「迷子にならないでよ」
 姉が振り返り、また言う。
「ならないよ」
 僕はそっけなく返した。
 その後、霧に気が付いた。一歩踏み出すごとに、霧が濃くなっていく。なんだこんなものか、と思ったことを、後悔し始めた。
 そんな僕の気持ちなど知らず、姉と輔毅君は世間話に花を咲かせている。よくもまあこんなところで会話を楽しめるものだ。
 神祇官とはこういうものなのだろうか。慣れてしまって感覚が麻痺しているのではないかと僕は思う。此岸と彼岸の境目で仕事をしているのだ。
 では、それならば、彼らは間違えたりしないのだろうか。自分達の帰る場所を。
 僕は立ち止まった。立ち止まり、焦った。今まで目の前にいたはずの姉と輔毅君の姿が、どこにも見えない。想像していなかった事態に、心臓が高鳴る。僕は深呼吸をして、なんとか落ち着かせる。
 あたりは霧で何も見えない。山道を登っていたはずなのに、いつの間にか平坦な道に来ている。一体どこに来てしまったのか。
 あたりの様子を注意深く窺うが、霧で何も見えない。何も聞こえない。
 ここを動かずにじっとしているべきなのだろうか。それとも、自力でここから脱出するべきか。どちらにしても怖いが、僕の性格からして後者の方が、まだいくらか精神的には良い。
 僕は再び歩みだした。
 僕は今、事実上神隠しにあっている。戻る方法などわからないが、姉の言っていた神祇官の血という曖昧なものを頼りにするしかなさそうだ。我ながらほとほと呆れてしまうが、今はそれを信じるしかない。
 歩いても歩いても、景色は変わらない。真っ白だ。行方不明になった子供も、こんなところを彷徨っているのだろうか。精神上良くないのは誰が見てもわかる。
 なんだか迷っている場合ではない気がしてきた。僕は神隠しにあった子供を捜しにここまで来たのだから。
 そう、子供だ。僕はその子を救いにやって来た。自分が帰ることで頭を一杯にしているのでは、その子の両親に申し訳ないではないか。
 いつの間にか、僕の中に正義感と責任感が湧き上がってきた。絶対に見つけて帰るんだ、と決意までするようになってしまった。
 平坦だった道が、急勾配へと変わる。それと同時に、すすり泣くような声が聞こえた。
 ぎょっとして思わず立ち止まってしまったが、よく聞くと子供の声に聞こえる。もしかして、捜し人かもしれない。
 僕は足を速め、声のほうへと向かった。
 何も見えなかった濃い霧の中に、小さな影を見つける。走り寄ると、七つぐらいの男の子だった。
 直感的に、この子だろうと思った。しかし残念ながら名前を知らない。捜し人の名前すら知らないとは、間が抜けすぎている。
 男の子は、突然現れた僕に、泣くのをやめて、きょとんとした表情で僕を見上げている。
「迎えに来たよ。さあ、帰ろう」
 僕は男の子の手を取った。
 男の子は戸惑いつつも、大人しく僕の手に引かれている。
 捜し人は見事見つけ出した。しかし、そこからどうやって家に帰るかが問題だ。神祇官なら、今まで得た知識と経験で此岸に戻れるだろうが、残念ながら僕にはそれがない。つまり、僕には帰る術がないということになる。
 姉と輔毅君は今どうしているだろうかと思ったが、あの二人のことだ。迷子になった僕を適当に探しているのだろう。本来の目的である神隠しにあった子供のついでに。それはそれで悔しいが、仕方の無い気もする。そして最後に僕を見つけ、後々まで笑いの種にするに決まっている。
 しかし、もし帰れなかったら。こういう時にこういうことを考えてしまうのは僕の悪い癖だ。僕は頭を振り、浮かび上がった思いを振り払う。帰れなかったら、姉も輔毅君も悲しむに決まっている。
 では、物の怪達はどうだろうか。僕が居なくなったら、あの家の物の怪達も少しは寂しがってくれるだろうか。いや、あり得ない。僕は即座に否定する。
 物の怪は、ただそこにあるだけだ。僕が居ようが居まいが、変わらない。変わらずそこに佇んでいる。そこに居ることを、僕が認識する。小さな繋がりで、何とも脆い繋がりだろうか。
 それでも僕は、帰らなければならない。あの物の怪達の住む家に。家族が帰ってくるあの家に。
 突風が吹いた。
 飛ばされないように足を踏ん張り、顔を背ける。背けた際に、地面に大きな鳥の影が見えた。
 やがて風が収まり、顔を上げる。
 地面に鮮やかな赤が見える。何だろう、これは。
 僕は恐る恐る足を進める。
 赤いものが、地面から生えている。ああ、そうか。これは彼岸花だ。あの家の、神社に咲いた彼岸花だ。
 突如、霧が晴れた。
 あたりは見慣れた景色だ。見慣れた鳥居があり、見慣れた家がある。そして、彼岸花が咲いている。
 なぜか僕は、家の神社の前に立っていた。帰ってきたのだ。いつの間にか。
 白い烏が飛んできて、僕の頭の上に止まる。
「意外と早かったな」
 素直にお帰りと言えないのだろうか、この烏は。
「おかげさまで」
 とだけ、僕は返した。
 烏は、ふん、と言って、またどこかへ飛び去ってしまった。
 僕は烏を見送る。見えなくなるまでその姿を追い、見えなくなると、男の子に視線を移す。
 男の子は、何がなにやらわからない表情をしている。あまりの状況の変化に泣くことさえ忘れ、涙はすっかり乾いてしまっていた。
 僕と同じだ。あまりのことに頭がついていかないが、今は考えるのはやめよう。何がなにやらわからないが、帰ってこれたのだ。おまけに捜し人まで連れ戻すことが出来た。僕にしては上出来ではなかろうか。
 僕は男の子を連れ、縁側から中へと上がる。
 物の怪達は、僕の帰りを待っていたわけでもなく、珍しい客をこっそり物陰から見守っている。
 僕は、姉と輔毅君の帰りを待つ。姉と輔毅君は、先に帰っている僕を見て驚くだろう。おそらく嫌味を言われるだろうが、それでも今は気分が良かった。
 なんだか神祇官というものが、少しだけわかった気がした。





 七の幕 狐花<了>




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