神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。
なんだか妙な気分だった。
はて、と僕は首を傾げる。
何かがおかしい。だた何がと言われても、答えようのない違和感だ。
家の中はいつもと同じ。何か物が無くなっている様子は無い。外の景色もいつもと同じだ。何ひとつ変わらない。ただ庭にある桜の木の物の怪は、いつもより大人しく佇んでいるように見える。
きっと寒くなってきたからだろう。僕は安直に解した。
朝餉を食べ終え、天気も良いことだし久しぶりに境内の掃除でもしようと思いついた。
竹箒を手に、落ち葉を集める。
しばらくすると、また妙な気分に陥った。
何かが違う。
僕は掃除を中断し、考える。掃除が面倒になったというわけではない。ただこの違和感を取り除きたかったのだ。と、掃除をやめる言い訳を心の中でつぶやいた。
「何が違うんだろう……」
いつも通りの我が家。いつの間にか住み着いている物の怪。今日もいつも通り家の中を……。
そこで、僕は思い至った。
そう、物の怪だ。いつもより静かなのだ。
僕は竹箒を放り出し、探索する。
物の怪と同化した桜の木は、変わらずそこにいる。いつの間にか庭の池に住み着いている魚の姿をした物の怪も、相変わらずそこにいる。床下も相変わらず何かが蠢いており、天井裏からも元気に走り回る音が聞こえる。
顔馴染みの物の怪。しかし、いつも居るはずの物の怪が居なくなっている。
「烏だ…」
いつもいつも憎まれ口を叩くあの白い烏の姿が見えない。
いつから姿を見ていないのか、記憶を探る。今日は姿が見えない。昨日も見ていない。一昨日も居なかった気がする。少なくとも三日以上、あの烏を見ていない。
どこかで野たれ死んでいるのだろうか。それとも家出だろうか。
「烏知らない?」
僕は池に住み着く物の怪に訊いてみた。
「知らんな」
池から顔を出してたった一言それだけを言うと、池の中をまたすいすいと泳ぎ始める。
僕はめげずに話しかける。
「どこに行ったのか知らない?」
「知らんな」
「あいつ、家出したの?」
「そのうち帰ってくるだろう」
「旅行にでも行ってるのか?」
すると、なぜかこの物の怪はしゃがれた声で笑った。
「確かに旅行かもしれんな」
僕はその意味がよくわからず、首をひねる。ただこの物の怪が何かを知っているということはわかった。
「どういうこと?」
「時期が時期だからな」
「知ってるなら教えてよ」
「お前の伯父にでも聞けば良い」
「え?何で伯父さんが出てくるの?」
「聞けばわかる」
それを最後に、もうこの魚は何も答えてくれなくなった。
知ってるなら教えてくれてもいいのに。ここに住みつく物の怪は意地が悪い。
そのうち帰ってくるというのなら、放っておいても大丈夫なのだろう。引越しをしたというわけでもなさそうだし、あの憎まれ口を聞かなくていいと思えば清々する。
しかし、僕の足は伯父の元へと向かっていた。
そのうち帰ってくると思っていたが、中々帰ってこない。あれからもう一週間経った。やはりどこかで野たれ死んでいるのではなかろうか。
小さい頃からよく説教されていたため、正直伯父が苦手だ。だが気になって仕方が無いのだ。
僕は意を決し、伯父の下へと向かった。
「何を言ってるのかさっぱりわからんな」
伯父はそう言って、お茶をすする。
「だから、烏が居ないんだって」
「烏ならさっきからそこらじゅう飛んでいるだろ」
「違うよ。白い烏なんだよ」
「そんな烏、この辺りに居たか?」
「うちに住み着いてる烏。ほら、あの憎たらしい烏」
物の怪だと言おうとして、言葉を止める。
あれは果たして物の怪の類なのだろうか。うちに住み着いている物の怪達とどこか違う気がするのだが、どう違うのかと言われると答えられない。
物の怪ではないのなら、神の類なのか。ならばなぜあいつは僕の傍にいるのだろうか。
ただ今はあの烏を説明する言葉を持ち合わせていないため、伯父には物の怪の烏だと伝えた。すると伯父はようやくわかったのか、ああ、あれか、と頷いた。
「居ないんだよ。もう十日ぐらい経つ。死んだのかな?」
「あれは死にはしない」
伯父は笑った。
何か知っている風だった。
「じゃあどこに行ったの?」
「今回だけは妙に気にするんだな」
「え?」
「毎年この時期には居なくなるだろ」
「…そうだっけ?」
首を傾げ、去年の記憶を探ってみるが、まったくの白紙だ。
「まったくお前は。それでも神祇官の家の人間か」
ちょっとむっとした。
「僕は神祇官じゃないから知らなくて当然だ。それにこの件と神祇官とどう関係があるんだよ」
伯父はやれやれと呆れたように首を振る。
不愉快だ。さっさと切り上げて帰ろうかと思ったが、突如伯父が真剣な表情で僕を見つめる。
「速燈、今がどういう時期か知ってるか?」
問われて頭の中の知識を引き出してみるが、残念ながら思い当たる節は無い。
「…知らないけど。そもそもあの烏って何?なんかちょっと他の物の怪とは違う気がするんだ」
「そうだろうな」
「何か知ってるの?」
「知りたいか?」
少し、戸惑った。もしかしたら知らない方がいいのかもしれない。だが、僕は頷いた。
今までだらしなく座っていた伯父が、姿勢を正す。僕も自然と背筋を伸ばした。
「今、あれが居ないのは仕方のないことだ。今は、神が一所に集まる時期だからな」
「…え?」
「お前が変に意識するといけないと思って伏せていたが…」
僕を支配したのは驚きではない。
「お前の言った通り、あれは物の怪とは違う。神の類だ」
やはりそうだったのか、という思いだ。今までの言動を思い返せばすぐにわかる。そこにあるだけの物の怪とは、明らかに一線を画している。
「…そんなのがどうしてあの家に?」
「家というより、お前だな」
「…僕?」
「所謂、お前の守護神みたいなものだ」
妙に納得した。なるほど、それで僕の傍から離れないのか。
しかしまた疑問が浮かび上がる。
「どうして僕なんかにそんな守護神が?」
「さあな」
伯父は目を逸らし、お茶をすすった。
おそらく何か知っている。そして僕はそれを、両親のことと何か関係があるのだと察した。
両親は、突如姿を消した。僕はもう死んだものとして処理している。姉はもちろん、伯父や、あの輔毅君でさえ、僕の両親のことについて一切口にしない。きっと何か事故が起こったのだろう。帰って来れない何かが。
僕は両親のことも尋ねてみようかと思ったが、止めた。伯父を困らせてしまいそうだったからだ。
「わかったよ」
僕は立ち上がる。
「そのうち帰ってくるんだったら、のんびり待ってるよ」
結局僕にはそれしかできないのだ。両親のことも、烏のことも、事態が動き出すまで僕は何も出来ない。
妙に情けない気持ちになった。
僕も神祇官になれば、変わるのだろうか。全ての物事が、今までと違って見えてくるのだろうか。
正直な話、僕には、ここの領主であり神祇官である伯父がいる。あまりにもあっさりと、拍子抜けするぐらい簡単に神祇官になれてしまう可能性が高い。
だが、まだ駄目だ。まだ迷いがあるうちは、その誘いには乗りたくない。流されてしまえば、今僕が見ているこの世界、物の怪達のいる世を、あまりにも当たり前のこととして気に留めず、時を過ごしてしまいそうになる。僕は他の神祇官のように、受け流してしまいたくはないのだ。
だから、迷いがあるうちは神祇官にはならない。それが綺麗に取り除かれたら、神祇官になろう。取り除かれなかったら、別の道へと進もう。
今、明確に心の中に形づいた。
この思いを胸に、我が家を見上げる。物の怪や、神の住む家。
見上げると、屋根にあの白い烏がいた。
烏はいつもの口調で、僕に言った。
「どこに行っていた?」
物の怪とは違う、神の類。敬語を使って話した方がいいのだろうが、それはこの烏が嫌がりそうな気がする。僕らはそういう関係ではない。だから、僕は今までどおりの口調で言ってやる。
「お前が急に居なくなるから、どこかで野たれ死んでるのかと思って、伯父さんに探してもらうよう依頼しに行ったんだ」
「それは悪かったな。無駄な手間をかけた」
烏は僕の肩にとまる。
「いいのか?こんなに早くに帰ってきて」
神同士、集まって話し合うこともあるだろう。
烏は、僕が知ってしまったことなど気にも留めず、返した。
「奴らは無駄な話が多い。退屈だから抜け出してきた」
「そうか」
僕は思わず笑った。なんだかこいつらしい。
「寂しかったか?」
寂しかったと言えば喜ぶのだろうか。否、この烏は鼻で笑うだけだ。だから僕は質問には答えてやらなかった。代わりに、僕が別の質問を投げかける。
「お前を僕の傍にいるように命じたのは、僕のお父さん?それともお母さん?」
こんなことが出来るのは、この二人しかいない。
けれども烏は、首を振って否定した。
「どちらもはずれだ」
じゃあ誰、と言おうとして、烏が先に言った。
「わしの意思だ。わしが、お前の傍に居ると決めた」
どうして。
思いとは裏腹に、なぜかその言葉が出てこなかった。
「お前はもう忘れてしまっているかもしれんがな…」
ぽつりとつぶやいた台詞に、記憶を探ってみたが、何のことかわからない。思い出そうとしてみたが、どうにも今は思い出せそうに無い。きっかけが何かあれば違うのかもしれないが。
見ると、烏は羽をくちばしでつついている。尋ねても答えてくれそうにない。
この件は保留にし、僕は話題を変える。
「ねえ」
「何だ」
「お父さんとお母さんの居場所、知ってるだろ?」
正直、答えてくれるとは思っていなかった。伯父さんのように白を切るだろうと思っていたが、そうではなかった。
「ああ、知っている」
この烏は、素直に認めた。
「ただ、今は会えない」
それが全てのような気がした。死んではいないが、会える場所にはいない。つまり、こちら側には居ないのだろう。
「僕が神祇官になれば会えるかな?」
口をついて出た。
「神祇官になる気があるのか?」
的確な返しだ。普段からあれだけ回避しているのだ。
「さあ、どうだろう」
僕ははぐらかした。
まだ先のことだ。わからない。この先何が起こり、何がきっかけでどういう道を進んでいくのか、まだ皆目見当がつかない。
だけど、神祇官という道も、確かに存在している。両親や姉と同じように。
「まだもう少し先のことだから、わからないよ」
「そうか」
「うん、そうだよ」
それから、僕は思い出し、言った。
「とりあえず、おかえり」
「ああ、ただいま」
八の幕 神送<了>
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