あやかしの国

神社の守り人になった少年と、そこに住むあやかし達の交流を描いた和風ファンタジー。※完結済。

九の幕 天泉てんせん


「ちょっとだけ手伝ってよ」
 輔毅(ふき)君がそれを切り出したのは、三日前のことだった。
 いつもは勝手に入り込むくせに、その日は礼儀正しく僕の家にやって来た。いつもよりどこかにこやかで、いつもより豪華な土産。
 変だと思う暇を与えなかった輔毅君はすごい。失礼だが、神祇官なんかより、泥棒や詐欺師の方が似合ってるんじゃないかと思ってしまう。僕が決して鈍いわけでは無い。
「雑用手伝ってくれるだけでいいんだ」
 顔の前で手を合わせ、お願いをしてくる。
 いつもならすぐに嫌だと突っぱねるところなのだが、いつもより豪華な土産を貰ってしまった。話ぐらいは聞かなければ申し訳ない。
「ほら、明後日お祭りがあるでしょ?」
 そういえば、と僕は思い出す。
 祭りといっても、そう大層なものではない。このあたりだけで行われる、豊穣を称える祭りだ。
「人手が足りなくて、手伝ってほしいんだ」
 本当にただの雑用だから、と付け加えた。
 けれども僕は警戒する。何しろ輔毅君は事あるごとに僕を神祇官の道へと引きずり込もうとしているのだ。
 別に神祇官が嫌というわけではない。そもそも神祇官がどういったものなのか、僕の中ではまだまとまりきっていない。彼らの誘いを回避しているのは、ただ自分の将来ぐらい自分で選んで決めたいという思いからだ。自分で選び、自分で進んだという誇りぐらいは持っておきたい。だから、迷いがあるうちは神祇官にはならない。
 輔毅君は口が上手いから、誘いに乗っているうちにいつの間にか神祇官をさせられていそうで、そのため十分に警戒しなければならない。
「どうして僕が?伯父さんは?」
 輔毅君の両親も神祇官だ。この家は代々神祇官として、この土地を守っている。その分家に当たる我が家も神祇官一族なのだが、僕はまだ迷っている。
「お父さんは別件で外に出てるから。お母さんも忙しいし。だから…」
 ちゃぶ台に手をついて頭を下げる。
「お願い。本当に荷物持ちだけだから。僕一人じゃ到底無理なんだ」
 珍しい光景を見た。
 いつも飄々としている輔毅君が、こんなに必死に頭を下げて願い出ることなど滅多にない。
 僕の心は揺れる。別に神祇官になれと言われているわけではない。ただの荷物持ちだ。それにいつも高価な土産を持ってきてくれる礼もある。
「どうせ暇なんだろう?」
 余計な口を叩いたのは、この家に住み着く白い烏だ。
 いつの間にか部屋の中に入り込み、輔毅君の土産を食い漁っている。
「少しは働け」
 まったく可愛くないやつだ。物の怪のくせに、いや、実際は神の類なのだが、僕は相変わらず腰を低くしない。今更そんなことされてもこの白い烏も気味が悪いだろう。だからこの烏は、僕の中では物の怪なのだ。この可愛くない物の怪は、一端の人間のような口を利く。
 快く請け負うつもりであったが、この烏のせいで気分が悪くなった。
「…一応僕にも予定があるから」
 我ながら、心が狭い。言った後で後悔する。こんな憎たらしい物の怪の言うことなど無視すればよかったのだが、今の僕にはまだそこまでの心の広さは無い。
 いつもの輔毅君ならこれで諦めそうなのだが、この時ばかりはそうはいかなかった。よほど切羽詰っていたのだろう。
「お願い。どうしても外せない用事が無いなら手伝って」
 懇願する輔毅君に、僕は頷くしかなかった。




 人々の楽しげな笑い声が聞こえる。
 踊ったり、相撲をとったり、歌ったり。今日ばかりは大人も、まるで子供のようにはしゃいでいる。
 僕もそれらを遠目で楽しみ、ご馳走に与かったりして、楽しんでいた。
 雑用といっても、輔毅(ふき)君が運んできた祭壇を並べただけだ。輔毅君はそこで祝詞をあげ、祭りの始まりと終わりを取り仕切った。
 これぐらいなら、いつでも手伝う。これで終わるのならば。
 僕は安易に請け負ったことを、酷く後悔していた。
 なぜ気付かなかったのだろう。数日前の自分を恨めしく思う。神祇官というものが普通じゃないのだから、雑用と言っても、普通の雑用で終わるはずがない。
 沈みかけている夕日の中、僕と輔毅君は必死に荷車を押していた。
「…まさか最後の最後に、こんな試練が待ってるなんて…」
 少しでも手を休めると、荷車が下がってきてしまう。こんな狭い山道、下がられたら逃げ場所がない。
速燈(はやひ)君、力抜かないで」
 前で荷車を引く輔毅君も、息も絶え絶えだ。
 荷車には米や酒、野菜など、大量の食物が乗せられている。
 これを、僕と輔毅君のたった二人で、山頂目指して運んでいる。
 これは、神へのささげものなのだそうだ。神の加護のもと、無事に作物が育った。そのお礼として、作物を神へとささげる。
 それは良いとしても、まさかこんな重労働になるとは。
「輔毅君、毎年こんなことやってるの?」
 息を切らしながらも、尋ねてみる。
「いつもはもっと楽だよ。人がいるから、少ない荷物で済む」
 なるほど、僕は貧乏くじを引いたようだ。
 確かにこれは輔毅君一人で運べるようなものではない。数回に分けて運ぶとしても、一体どれぐらいの時間がかかることやら。二人がかりでも、無理がありすぎる。
「…もう無理。休ませて」
 力を緩める。
 そのせいで荷車は前へと進まず、止まってしまった。輔毅君が必死で踏ん張っているため、下がらずには済んでいる。
「ちょっと速燈君!」
 前で輔毅君が焦っている。焦って取り乱す輔毅君など、滅多に見られない光景だ。この間から、滅多に見られない輔毅君の一面を、僕は見てしまっている。
 失礼だが、少しおもしろいと思ってしまった。しかしこのままおもしろがっている状況ではないことは確かだ。
 僕は再び力を込めようとした時。
「だらしない奴だな」
 米俵の上でくつろいでいる白い烏が、僕を見下ろしつぶやいた。
「うるさいよ」
 怒りのおかげで思わぬ力が発揮できたのか、易々と荷車が前へ進む。
 白い烏はそれを鼻で笑う。
 不愉快だ。
 疲れもたまっているせいか、妙に腹立たしく思い、噛み付いた。
「なんでお前もついてくるんだ」
「これは神へのささげものなんだろう?」
 僕は返答に困る。
 昔から家に住み着いているこの白い烏は、物の怪ではなく、神の類なのだ。
 だが僕は、この白い烏を神ではなく、物の怪扱いしている。今までさんざん無礼を働いてきたのだ。神の類だと知ったところで今更だ。今までどおり無礼を働かせてもらう。それに、この烏だって、僕がいきなりうやうやしく接したところで、気持ち悪いと一蹴するだろう。
「神へのささげものなら、わしにも受け取る権利がある」
 そう言って、野菜をつまみ食いし始める。
 つまみ食いする神など、あまり見たくない。
 僕は烏を気にしないことに努め、せっせと荷車を押すことだけを考えることにする。
 体感的には、半分は登ったつもりだった。それを支えにしたかった。もう半分まで来たのだと、確認したかった。
「ねえ、輔毅君。あと半分ぐらい?」
「大丈夫。あと少しで楽になるから」
 言っている意味がよくわからなかった。
 僕が聞き返すと、輔毅君は説明を付け加える。
「あともう少しで向こう側とぎりぎりの境目にたどり着くんだ。僕らは招かれる」
 それでも僕にはよくわからなかった。
 そんな僕の表情を見て、
「すぐにわかる」
 と、烏は言った。
 本当にすぐだった。
 上り坂が、急に平坦な道へと変わった。
 頂上への道のりはまだ長いはずだ。まだ中腹あたりまでしか登っていない。それが、いつの間にか坂は消え去り、平坦な道へと姿を変えた。
 澄んだ空気が、体を楽にする。
「ここまで来れば、もう大丈夫」
 輔毅君は大きく息をつく。
 それほど力を込めなくとも、易々と荷車が前へと進む。まるで、導かれるかのように。
 僕はそっと辺りを見渡す。
 木々の隙間から見える景色では、僕らは山を登っているように見える。しかし実際は、平坦な道を進んでいる。
 頭がおかしくなりそうだ。これに関しては、僕はもう深く考えないことにする。こういうこともあるのだと思って。僕らはささげものを持ってやって来た。そしてそれを神が受け入れた。それだけだ。
 だが、ふと心配事が頭に浮かび上がる。
「…僕、普通の格好してるけど、いいの?」
 輔毅君は一応神祇官らしい格好をしているが、この重労働で袖は捲くっているし、あちこち汚れて皺になり、正直汚い。こんな姿を神に見せてしまっていいのだろうか。
「いいのいいの。別に神様に直接会うわけじゃないから」
 返ってきた答えは、神祇官らしからぬものだった。
「…いいの?」
「僕らはこれを置いて帰るだけ。こんな山道登ってきたんだから、格好がどうとか無礼だとか言う心の狭い神様はいないよ」
 それは一理ある。これだけの重労働をこなしてきたのだから、少々のことは目をつぶって欲しいと思う。
「だいたいこれが無礼だって言うなら、速燈君なんかどうなるの」
「え?僕?」
「そこの白い烏に」
 それもそうだ。常日頃から無礼三昧なのだ。それでも罰は当たってない。
 それに、神と言っても、何が神で何がそうでないのか、その区分けがよくわからない。
「あ、見えたよ」
 鳥居が、僕の目に映った。その先には、小さな祠。別段変わったところはない。
 正直、拍子抜けした。もっと煌びやかなものだと勝手に想像していたのだが、これは本当にどこにでもあるようなものだった。
 輔毅君が作物をおろしにかかる。僕もそれを手伝った。
 祠の前に並べられる数々の作物。神に見守られ、人が作ったものだ。
 輔毅君が拍手を打つ。僕も見よう見真似で、同じ動きをしてみる。あまりのぎこちなさに烏に笑われてしまったが、無視を決め込む。
 不思議な気分だった。
 豊穣を与えてくれた神は見えないけれど、確かにそこに居ると思える。本当のところは神かどうかさえわからないが、それでも何かがいると思わせるものがある。
 これを神と決めたのは、神祇官なのだろう。
「輔毅君は、神祇官になって良かったと思う?」
 輔毅君は僕を見て少し考え、それからいつものさわやかな笑顔で言った。
「うん、良かったと思うよ」
「じゃあどうして神祇官になろうと思ったの?」
「僕の場合は、成り行きってのが大きいかな」
 輔毅君の家は、代々神祇官を務めている。神祇官になる道は、他の人よりも圧倒的に大きく確保されている。それは分家にあたる僕の家も同じことなのだけれども。
「動機は不純かもしれないけれど、僕は別にそれでもいいんじゃないかなって思うよ」
 重要なのはそこじゃないから、と輔毅君は言った。
「僕らは、捉えようのないものと、人との間を取り持つ役割なんだ。派手だったり、目立つようなことはあまりないけれど、僕らはそっと支えてる。人と、そうでないものとを」
 人にとっては、神も物の怪も、同じようなものなのだ。人であるか、そうでないか。そのふたつの存在を、お互いが良い影響を及ぼすように調和を図る。
「そしてそれは、とても言葉にはできないほど、得がたいものだと思ってるよ」
 捉えようのないものを捉える、大切な役割。
 僕は、それらをそっと胸の奥に終い込む。
 さあ帰ろう、と輔毅君は言った。
 僕らは軽くなった荷車を押して、帰路につく。烏は相変わらず荷車に乗って、楽をしている。
 僕は顧みた。
 祠の先は、変わりない山の風景が広がっている。けれども、立ち入ってはならない。あの先は、人ではないものが住む場所なのだ。
「輔毅君、聞いてもいい?」
「何?」
「あの先は、人が立ち入れない場所なんだよね」
「うん、そういうことになってるね」
「帰って来れないから?」
 輔毅君は僕を見て、少し困ったような顔をする。輔毅君は聡いから、僕の言おうとしていることがわかってしまったのだろう。
「…そうだね。入れるけれど、帰って来れない。帰って来れても、記憶が無かったり、気がふれたりしてる」
 所謂、神隠しというやつだ。
「お父さんとお母さんは、向こう側に行っちゃったんだね」
 返事が無いのが、肯定の証だ。
 おそらく、仕事で向こう側へ行き、帰れなくなった。
「神祇官になれば、連れ戻せる?」
「できない…と、思う」
 輔毅君は、そう答えた。
「戻る戻らないは、本人の意思が大きいから」
「…それじゃあ、お父さんとお母さんは、家に戻りたくないってこと?」
「それは、わからない。でも、何か心に引っかかるものがあって、帰れないんだと思う」
 それが事実なのだろう。
「…そうか。じゃあ僕にはどうしようもないんだね」
 僕だけじゃない。姉や伯父、輔毅君はもちろん、誰にも手出しが出来ない。
「もし…」
 輔毅君はつぶやいた。決して表情を見せないようにか、深く俯いている。
「速燈君がそういう理由で神祇官になったとしても、僕は速燈君を行かせたりしないよ」
「どうして?」
「だって、速燈君まで居なくなったら、嫌じゃないか」
 照れくさくなって、僕はすぐに返せなかった。
 輔毅君の言うとおりだ。逆の立場だったら、僕もそうするだろう。姉や輔毅君が、連れ戻すと言って、立ち入ってはならない場所へ行くとしたら、僕も止めるだろう。両親のことは、仕方がないと諦めるべきなんだ。狭間の立場にいる神祇官にとって、こういう事故は付き物だ。
 けれども、やはり思う。親しい人と会えなくなってしまうのは、寂しい。
「僕も、輔毅君が居なくなったら嫌だな」
 そう言うと、輔毅君は照れくさそうに笑った。
 道は戻った。あの急な山道へと。
 僕らは白い烏を乗せ、山を下りた。





 九の幕 天泉<了>




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