掌編小説

ちょっとしたお話を。

 

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 雷鳴が轟き世界が揺れた。
 天変地異とはこのことを言うのだろうと僕は考えていた。
 僕の乗る電車はその時陸橋の上を渡っている最中で、線路から外れた車両は空へ飛び出した。
 通勤時刻の電車にひしめく人々の絶叫が、狭い車内に満ち満ちた。
 阿鼻叫喚。
 そんな最中であるのに僕はひどく落ち着いていた。










 それからどの位時間が経ったのだろう?
 崩れかけた橋の下には電車の残骸。
 事故の規模の大きさを物語っているようだった。
 なのにここには人ひとりいない。
 それどころか、沢山の人が死んだであろうこの場所に、死体はもちろん血のシミひとつ見当たらない。
 おまけにとても静かだった。
 荒涼としているその風景に、なぜか心が落ち着いた。
 僕は意味もなく瓦礫の電車の側を歩き始める。
 一歩一歩の距離がやけに長く感じられる。
 見慣れたはずの車両なのにどこか新鮮な感覚を覚えるのは、ここが線路の上じゃないからだろうか?
 ある程度歩いた所で僕はピタリと足を止める。
 そこは恐らく僕が乗っていた車両だった。
 奇跡的に形を留めていた車両の下半分に僕は飛び乗る。
 確かこのあたりで吊革を持って窓から外を眺めていたのだ。
 今にも大雨が降り出しそうな、暗い曇り空だった。
 ひとずじ、神鳴の閃光が遠くに走ったと思ったら、またたく間に視界の全てが真っ白な一瞬が訪れて、光が止んだと思った時には世界が阿鼻叫喚の渦に飲まれていたのだ。
 その時窓に見た景色をぼんやり思い出していると、どこからか音が聞こえてくるのに気付いた。
 繊細そうでいながら強く耳に届いてくる女性の声。
 聞き取れそうで聞き取れないその言葉。
 歌なのか、言葉を朗詠しているだけなのかは分からないが、少なくともこの国の言葉ではなさそうだった。
 僕は無性に興味を引かれた。
 辺りを見回すと遠くにぽつん、とひとつだけ人の影が見えた。
 瓦礫から飛び降りると、僕は迷わずそちらに向かった。
 近付くほどにしっかりと聞き取れるようになる声。
 それでも意味は分からない。
 綺麗な音は聞けば聞くほどに頭に染み込んでくるような心地よさがあった。
 そしていよいよ人影の間近までたどり着くと、僕はその後ろ姿に声をかけた。
「あの、ここで何をしているんですか?」
 すると心地よく流れていた音は一旦ぴたりと止まり、人影がゆっくりと振り返った。
 女性はゆったりほほえみながらこう言った。
「行く末を眺めております」
 黒く長い艶やかな髪と気の強そうな吊り目をした美しい女性だった。
 そして女性はふと気付いたように、僕にこう問いかけた。
「生きるという過酷な責務、そこから開放されるという喜び。それとも生の終焉という自我の終わり、その絶望から来る悲しみ。どちらが人にとって正しいことなのでしょうね?」
「は…?」
 僕はすぐには彼女の言っている意味が分からなかった。
 しかし、その言葉を頭で反復している内に気付いたのだ。
 生きることからの開放、生の終焉。
 ―そうか、僕はもう。
 妙に気持ちが落ち着いているのもきっとその所為なのだろう。
 僕はそれを踏まえた上で、思ったままのことを彼女に向けて言った。
「どうも僕にとっては喜び…というか、安心の方が強いみたいです」
 彼女は何も答えない。
「でも、悲しくないと言えば嘘になります。折角知り合った友人や、家族たちともう会えないんですから」
 思わず苦い笑いがこぼれる。
 すると、いきなり火蓋を切ったかのように頭の中に数々の思い出が浮かんできた。
 これが噂の走馬灯というやつなのだろう。
 まだまだ若輩だと思っていた自分でも、これほど色んなことがあったのかと感心した。
 ひとしきりの思い出を再生して、最後の思い出である稲妻まで至ると、僕はほっと一息ついた。
 そして女性に質問する。
「あなたは僕にこれを教えるために?」
 しかし女性は首を横に振った。
「私はただここにいるだけ。ここで行く末を眺めているだけ」
 そう言った女性は少し寂しそうだった。
「そうですか。でも僕はあなたのおかげでいい最後を迎えられたみたいです。意味は ないかもしれませんが、名前を教えてくれませんか?」
 女性は僅か考えた風だったが、すぐに答えてくれた。
「アニス」
「アニス…」
 何かを思い出しそうだったが、もう時間がないようだ。
 さっきまで一つのまとまりとして「自分」を成していた意識が、ばらばらと解れて行くのが感じられた。
 僕は僕としてすべき最後の仕事を終えると彼女の前から消えてなくなった。
「ありがとう、アニス」













己を成すことの孤独 そして優越

みなと交わることの安穏 そして劣等

あなたの選ぶ ひとつひとつが

あなたを創る世界となる

等しく与えられた生命の器に 様々の想いを盛り付けて

たったひとつのあなたになる

時にはそれを奪いあい あるいはそれを与えあう

幾つもの出会いを経て育ってゆくあなたという存在は

紛うことなく特別で絶対な存在

そして等しく与えられた限りある生の中で

あなたが最後に得たものは?

幾重にも流れ往く時の中で

私だけがあなたの証を見届けましょう









エンカウンター - 了



 

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