掌編小説

ちょっとしたお話を。

 




私にはとても大切にしていた花があった。
私はその花に初めて出会った時から心を奪われ、魅了されていた。
綺麗、と言えばそうなのかもしれないが、私はその花にそれ以外の何かを感じていた。
美しいからとか好きな色だからとかそんな理由ではなくて、直感でその花に惹かれていた。
店先に並ぶ同じ種類の花には一切見向きもせず、その花だけが視界にあって、私は何のためらいもなく店の者に代価を支払うと、その花を持ち帰った。
それからの私の暮らしは満ち足りたものだった。
ワンルームの自室に花を飾ると、何処にいても花の存在が視界に入った。
花は必要以上に自己主張をすることはなかったが、ふと寂しさを感じた時に視線を遣ると、必ずそこに居て私の心を満たしてくれた。
イライラして帰ってきた時には、言葉をかける代わりに静かにそこに佇んで、私の心が落ち着くのを待ち続けてくれる。
それは人が口にする気休めなんかより、よっぽど私の毒気を抜き取ってくれた。
また、寂しい心地になった時にも、無言でそこに居てくれた。
ただ、それだけのことに励まされた。
花はまるで私の負の感情をすべて吸い上げて生きているかのようだった。
しかし、そんな日々にも終わりは来た。
花の寿命が自分のそれより短い事なんて初めから知っていたけれど、予期せぬ別れであったことに私は憤慨した。
私の部屋に上がり込んだ女が、私の花を殺したのだ。
血相を変えてまくし立てる私に女は驚き、また怯えた。
そして言い訳じみた言葉を発して、女は殊更私の怒りを駆り立てた。
女はその花が枯れていたから、と言った。
私はそれを認めなかった。
確かにこの部屋に連れて来た時とは様変わりしていたが、花は間違いなく生きていたのだ。
毎朝欠かさず取り替えている水は、夕方に花瓶の中を覗くと減っている。
カサカサに乾いてはいるが、緑色の葉は日が昇れば天に向かうように背伸びし始め、日が沈めば力なくしなだれる。
花は。
精彩を欠いてどんよりとした色合いにはなっているが、ちゃんと花びらだって残っている。
私は、女がその花の存在意義を「美しさ」に限定していた事が許せなかったのだ。
私はその花が美しかったから連れ帰ったのではない。
その花と私の間になにかしら縁を感じたからこそ連れ帰ったのだ。
女はそれを分かっていなかったのだ。
さらにそれだけでは飽きたらず、私の許可もなく勝手に私の世界から花を排除してしまったのだ。
あの女のせいで私は二度とその花に会えない。
私の心の殆どを言いしれぬ絶望が覆っていった。
私は女を部屋から追い出すと、花の居た空間に一人きりになった。
視界には水の入っていない花瓶。
もう私の心を癒してくれるものはない。





花 - 了



 

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