掌編小説

ちょっとしたお話を。

 

秋の暮れゆく




僕は昔からそこいらを行き来する(もしくはひと所にへばりついている)幽霊を見ることが出来た。
それを知っている周りの人は、怖くないかとか気持ち悪くないかとか大層心配してくれるのだが、僕に見えている幽霊は皆至ってふつうの姿形であり、悪さをしてくることもないので怖いなんてことは一切ない。
それ所か向こうから関わってくることもないのでほぼ接点もないのだ。
僕が見ている景色には、他の人が見ているより少し多くの人が居る、ただそれだけのことだった。
けれど、その僕にもたった一人だけよく分からない存在があった。
その人に初めて会ったのは、近隣の山の山頂付近にある、溜め池を囲む公園のベンチだった。
その人は朱色地に紅葉の葉を散らした柄の鮮やかな和服を着て、のほほんとベンチに腰掛けていた。
そんなに派手な色目の服なのに、行く人が誰も振り返らない。
だから僕はその人が幽霊なのだと思って隣に腰掛けた。
ところが。
「どちらからいらっしゃったんで?」
その和服を着た女の人は、僕に話しかけてきたのだ。
僕はあんまり驚いて、飲もうとしていたペットボトルのお茶を思い切りぶっと吹き出した。
「まぁ!」
女の人がそれに驚いて後ずさる。
さらには僕がげほげほとむせていると、心配そうに顔をのぞき込んできたのだ。
「あのぅ…大丈夫ですか?」
さらさらのおかっぱ頭をかくりと傾げる姿は、なんとも可愛らしかった。
その姿があまりにも鮮明だったので、僕はその人を生身の人だと認識した。
そうだとすると、僕は断りもなくその人の横にどかりと腰掛けたことになる。
ベンチなんて公共のイスなんだから、そんなに気にすることも無いのかもしれないが、そこに居ない人扱いしてしまったことも加えてなんだか申し訳なくなってしまった。
そして僕は歯切れも悪く、しどろもどろに女性にお詫びの言葉を述べたのだった。
「あの…なんかすいません、色々と不躾で」
「は?」
突然の僕の言葉に女性は目を白黒させる。
僕自身も変な言葉だと思ったのだから、これは仕方ない。
だから、僕はもっとごく自然で且つフレンドリィな言葉を選び、女性に話しかけたのだった。
ちょっと俗っぽかったかもしれないけれど。
「良かったら少しお話でもしませんか?」
これには女性もすぐに反応し、返事をくれた。
「ええ、喜んで」
そうして僕たちはにこやかに、ゆるやかに、取り留めのない話をして日が暮れるまでそこで話をしたのだった。
その日から毎週僕たちはそのベンチで日が暮れるまでただのお喋りを楽しんだ。
通り過ぎる人が別段変な目で見てくることもないし、話が終われば彼女はどこかへ帰っていくみたいだったから、僕はもう彼女を幽霊だなんて思わなかった。
彼女は名を紅(くれない)と言うらしい。
いつも着ている着物の色そのままの名前だから、イメージ通りのお名前ですねと言ったら、彼女は軽快に笑っていた。
彼女と過ごす時間はあっという間で、気づけば紅葉はほとんど散り、次の季節も間近になっていた。
「もう寒くなりましたね」
僕がそう言うと彼女は少しだけ寂しそうに笑った。
「しばらくお会い出来なくなります」
「そうですか」
僕は何故とは聞かなかった。
何故そうしたのかは分からなかった。
ただ、彼女の言葉通りに、冬を迎えた公園に彼女が現れることはなかった。
季節は巡り、彼女と話したベンチから見える山紅葉は、表情をくるくる変えた。
枯れ木から新芽が生え、緑に葉が生い茂り、ついにまた葉が色づき始める季節を迎えた。
夏の残り香とも言える暑さを、するりとそよ風がさらったかと思うと、とてもとても懐かしい声が聞こえてきたのだ。
「お久しぶりです」
そう言ってにこやかに微笑んでいたのは彼女だった。
一年前と変わらぬ出で立ちで、彼女は僕の目の前にいた。
「紅さん!」
「まぁ、覚えていてくださったんですね!」
彼女は心底嬉しいといった表情で、その場で小さく跳ねていた。
「当然です、僕は美人は忘れませんよ。まぁまぁ、また座って一緒にお話しましょう」
「お上手なこと」
そうして僕たちはまた一年前のように、毎週ベンチに座ってはただただ話し続けたのだ。
そしてまた冬が近づくと、彼女は姿を消したのだ。
僕が再び彼女が幽霊かもしれないと思ったのは、彼女と出会って五年が過ぎた時だった。
初めて会ってから毎年、僕は彼女に会いに行った。
最初は何とも思っていなかったのだが、五年も経つと気になり出すことがあったのだ。
彼女は五年経った今も、初めて会った時と変わらない出で立ちだった。
それは衣服や頭髪だけでなく、雰囲気と言うのだろうか、歳をとっていないように感じられたのだ。
そうしてふと浮かんだ疑問。
彼女は僕以外の人の目に映っているのだろうか?
僕は、僕以外の人間と彼女が接点を持つところを一度も見たことがない。
だからそれに気付いたとき、急に不安になったのかもしれない。
けれど僕にはそれを確かめる手段も勇気もなくて、この疑問はいつもぼんやりと浮かんでは消えていった。
でも、僕がこの疑問を抱いた頃にはその答えなんて本当はすでにどうでもよく、ただ彼女と話をする時間が楽しくて大切なものであることだけが事実だった。
僕たちはただ秋が来る度にこうして他愛のない話をして、夕暮れを迎えるだけだった。
それから僕は何回の秋を迎えたのだろうか。
彼女はずっと変わらないまま、僕たちの話も変わりない。
いつの間にか僕の平凡に組み込まれた彼女との対話は、今ではきっとなくてはならないもの。
なくさないために、僕は彼女に問いかけない。
僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女も僕に問いかけない。
それで順調に巡っているのだから、これでいいのだと僕は思った。
ただ、たくさんの秋を見送って、僕には少し不安なことが出来た。
彼女は確かに変わらないが、僕は随分変わってしまった。
彼女が幽霊かどうかなんてすでにどうでもいいことだけど、僕がここに来られなくなったら彼女はどうなってしまうのだろう?
僕はふと思う。
もし自分が死んでしまって幽霊になることが出来たなら、きっと真っ先にここに来ようと。
だから僕は決意した。
死ぬなら絶対秋にしようと。
滑稽な決意ではあるけれど、死んでから後の予定があるのだと思うと、僕はなんだかおかしくなった。
今年も彼女と話を出来る時間はあと僅か。
けれど、僕は寂しくなんてない。
また、秋が来る度彼女に会える。
「しばらくお会い出来なくなります」
寂しそうに言う彼女を見て、僕はにっこりと笑った。
「そうですか」
何度も聞いてきた言葉。
そして何度も見送ってきた言葉。
例年と同じように、この時も僕は何も言わなかった。
何もかもが変わらないそれは、優しい嘘のような僕の真実だった。
そうしていつも通りに僕たちはゆっくりと立ち上がり、並んで橙の空を見上げている。
暮れていく夕日と秋の中で、僕たちはまたさよならをした。



秋の暮れゆく - 了



 

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