掌編小説

ちょっとしたお話を。

 

スタート




「なあ、待てよ」
 さっきからしつこく追いかけてくる。
 僕は教室をでたところからずっと無視をし続け、とうとう校門のところまできた。
「待てって!」
 こいつもとうとう僕の腕を掴む。
 不機嫌な声で、嫌そうな顔で、
「何?」
 と言って振り返る。
「何で無視するんだよ」
 少し脹れたような声で言い返される。
 だから僕は、
「お前の言うことなんかもうわかってるからだよ」
 そう言ってやった。
「へぇ。すごい。さすが心の友」
 何が心の友だ、と心の中でつっこむ。
 こいつとはただの腐れ縁だ。家が近所で幼稚園も小学校も中学校も、そして高校まで一緒だ。
 女の子なら、ドラマや小説のような恋に発展する可能性は無きにしも非ずだが、残念なことに僕の幼馴染は男だ。しかもこいつは人の都合などまったく考えないはた迷惑な奴なのだ。いつも僕が巻き添えになり、尻拭いをすることになる。
「じゃあさぁ、心の友よ」
 掴んでいた腕を放し、ぽん、と僕の肩に手を乗せる。
「俺の言いたいことわかってるならさ、もうちょっと話し合おうぜ」
 何が話し合おうだ。
「お前と話し合ってどうするんだよ」
 肩に乗っかっている手を叩き落とす。
「じゃあな、心の友よ。また明日」
「待て待て待て!」
 慌てて僕の行く道を阻む。
「どけよ。これから塾なんだよ」
「勉強なんかするなとは言わないけどよ、なんで急に陸上辞めるなんて言い出すんだよ」
「別に急ってわけじゃないだろ。前々から陸上は高校までって言ってただろ」
「なんで高校までなんだよ」
「それも言っただろ。オリンピック選手になるわけじゃあるまいし、それならそこそこの大学出て企業に就職した方がいいに決まってる」
「なんでだよ。そんなんわかんねーじゃん」
「普通に考えたらわかるだろ。定年まで走り続けるなんて無理」
「あ、それいいね。定年まで一緒に走り続けようか、心の友よ」
「一人でやってろ。死ぬまで走ってろ」
「なんでだよ。お前もやるんだよ」
「それこそなんでだよ。やりたいならお前一人でやってろ」
「嫌だね。俺がバトン渡す相手はお前なんだよ」
 まっすぐな目で、僕の目を見つめてくる。
 僕は見つめ返すことができなかった。
 あんなまっすぐな目を、僕は持っていない。
 いつから僕は、何もかも忘れて走ることができなくなったのだろう。
 不安を引きずりながら走るようになったのだろう。
「やろうぜ。また一緒に」
 自分の未来に何の疑いも無い。
 いつから僕は、未来を信じなくなったのだろう。
 僕が見ていた世界は、間違いじゃないはずだったのに。
「ほら、回れ右!」
 僕は大きく息を吸い、そして吐き出す。
 もやもやとした気持ちを全て。
 そして、踵を返す。
 校門から、グラウンドが見える。
 グラウンドを走る生徒。
 体が疼く。風が恋しい。
 僕は、本当に走るのが好きだったんだ。
 僕は、僕の見たい世界を信じようと思った。
「いくよ」
 クラウチングスタート。
 僕もしゃがみ、姿勢をとる。
「用意…」
 腰を上げ、前を睨む。
「スタート!」
 僕らは、走り出した。
 向かい風を感じながら。


  スタート - 了



 

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