ちょっとしたお話を。
「歌え」
静かな声だった。
しかし力強く、よく通る声。多くの人間を従える者の、威厳ある声。
「歌え」
もう一度、言った。
だが彼女は首を振り、拒否する。
「なぜだ?」
「貴方は幼い私を助けてくれた。ここまで育ててくれた」
父のようなものだ、と彼女は涙を零しながら言った。
「なら父の最後の頼みを聞いてくれ」
もう威厳ある声ではない。優しい父の声だった。
「俺の命を吸って、生きろ。お前は必ず生き残れ」
ある程度予想はしていた言葉。だが、決して従いたくない言葉だ。
「嫌だ!」
幼い子の様に、しがみ付いて泣き喚く。
「ここはもう長くは持たない」
「父さんと一緒に死ぬ!」
「バカなことを言うな。これは俺が犯した罪だ。お前には関係ない」
「嫌だ!嫌だよ…!」
「頼む」
優しい、だが悲しそうな声。
「お前の歌声を聞きながら、死なせてくれ。軍の奴らに殺されたくないんだ」
勝手なわがままだと彼もわかっている。彼女に全てを背負わせてしまうこともわかっている。
それでも、彼は譲れなかった。このまま無意味に死ぬよりも、彼女に自分の命を捧げたかった。
「頼む。わかってくれ」
「できない…」
「頼む」
床が揺れる。爆発音が鳴り響く。
耳を塞ぎたくなるような音。銃声と悲鳴。交互に鳴り響く。
「頼む。時間がない」
近づく足音。
とうとう、扉が破られた。
何人もの男達が銃を構え、部屋の中へと入ってくる。
彼は、彼女を守るように、前へ立つ。
武器は腰にある剣だけだ。しかしそれを抜こうともしない。
「動くな。お前が頭領だな?」
指揮官らしき者が銃を構えたまま、一歩前へ進みでる。
「ああ、そうだ」
威厳ある声で、彼は答えた。
「賊が。ずいぶんてこずらせてくれたな」
指揮官らしき者が、手を上げる。
一斉射撃の合図。
だが、銃声は鳴らなかった。
その場に鳴り響いたのは、この世のものとは思えないほど美しい歌声。
「これでいい」
彼は満足げに目を閉じる。
淡い光が彼を包み込む。彼だけではなく、淡い光はこの部屋にいる者全てを包む。
あまりにも美しい歌声に、誰も身動きひとつしない。
まるでここが戦場であることなど忘れてしまっているかのように。
ひとつ物音がした。
それは、倒れる音。
一番始めに倒れたのは彼だった。
その後、次々と他の者も倒れていく。
そして、誰もいなくなった。彼女一人を残して。
銃声も悲鳴も聞こえない。ただ、彼女の美しい歌声が響くだけだった。
やがてその国にはひとつの言い伝えが残った。
戦場に響くその歌声は、命を惜しませると。
遥か遠くから聞こえるその歌声に、誰もが手を止めたという。
だが、彼女と会った者は誰もいない。
誰も、知らない。
この世のものとは思えぬほど美しい歌声に、やがて、この国の争いは、終わりを迎えた。
終わりへの歌 - 了