掌編小説

ちょっとしたお話を。

 

秋の幻




 男は縁側に座って、ただ庭の木々を眺めていた。黄金色の葉が雨のように降り注ぐ。
 季節が、移り変わろうとしていた。
「好きですね」
 女は言った。
 男はちらりとだけ女の方を見ると、また視線を木の葉の雨に戻した。
「別に。散っていくのを見届けてやってるだけさ」
「優しいんですね」
 少々皮肉めいた言葉に、男は眉間にしわを寄せる。
 しかし女は微笑を絶やさない。
「その優しさで、見届けてくれますね?」
 女の口調は静かだった。
 男は女をしばらく見つめた。
 どうして彼女はこれほど冷静にいられるのだろう。
 そう思った。
 男の胸中を見透かしているかのような微笑み。
 女は酷く青白く、やせ細っていた。
 それなのに、女はいつも笑みを絶やさなかった。
「こうして散っていくのを見届けてくれる人がいるのは、すごく幸せなことですね」
 黄金色に降り注ぐ葉を羨ましそうに眺めている。
「小さな幸せだな。同じ幸せなら、僕は特別大きな幸せが欲しいな」
 そして静かに言った。
「どうせなら、散らずに咲き続ける花がいい」
「欲張りですね」
 女は笑った。
 そうだよ、と男は頷く。
 お互い顔を見合って、笑う。
「でも、いいですね。私も、散らない花になりたかった」
 男にはもう笑顔はなかった。
 だが女は男を見て静かに微笑む。
 男はやるせなくなって顔を背けた。
 心に疼く痛みが、体全体にじわりじわりと広がっていく。
「永遠に咲き続ける花がよかったけれど」
 女は言葉を切り、一呼吸置く。
「私は、幸せでしたよ」
 そのやせ細った体から出た言葉は、酷く力強いものだった。
 男は女を見ることなく、ただじっと散り行く木の葉を眺めている。
 それならよかったよ、というたった一言だけを返した。
 そっけない一言だったが、女は満足げに笑った。
 二人の間を風が駆け抜ける。
「散らない花は、美しくないのだろうか」
 男は、実に小さな声でつぶやいた。
 風と共に流してしまおうと思ったが、女の耳にはしっかりと届いていた。
「貴方はどうなんですか?」
「僕は…」
 今度は男が言葉を切った。
 ためらいがあった。これを言ってしまえば、全て認めてしまうことになる。受け入れてしまうことになる。
 できれば言いたくなかった。
 だが女はもう一度、どうなんですか、と尋ねた。
 男は女を見て、言った。
「散るからこそ美しいと言うけれど、僕は、好きな花なら綺麗だと思うし、永遠に咲き続けて欲しいと思う」
 その目はどこか悲しそうだった。
 そして、男は初めて自分の感情の全てを言葉に託す。
「できれば、いつまでもずっとそばにいて欲しかった」
 風が流れる。黄金の雨が降り注ぐ。
 女は静かに答えた。
 ずっとそばに居ますよ、と。
「どんな形になっても、ずっと貴方のそばにいます」
「それならよかったよ」
 ただそれだけを返す。女も、微笑だけを返す。
 二人はまた、黄金の雨を眺めた。
 これが最後の雨。
 黄金色のきれいな木の葉の雨。
 その季節が来ると思い出す。
 今はもう、触れることもできないやさしい幻。


秋の幻 - 了



 

掌編小説 トップページへ戻る

 

↑ページの頭に戻る

inserted by FC2 system