掌編小説

ちょっとしたお話を。

 

夢追いムシ




 不思議な店を見かけた。
 学校の帰り、ふと違う道を通ってみたくなって、僕は細く暗い裏路地に入った。
 暗い裏路地は、まるで僕の心を表しているかのようだった。
 勉強勉強。毎日毎日遅くまで塾で勉学に励み、休みの日も塾に通う日々。1点でも多くの点を取るために、移動時間も参考書を開く日々。
 より良い大学に入って、より良い会社に就職して。
 でもその先に何があるのか。一体何のためにがんばっているのか、わからなくなってきていた。
 僕は惹かれるように、裏路地へ入る。
 そこに、その店があった。
 店といっても、立派なものではない。小さくて汚くて、正直ぼろい。
 僕がその店に惹かれた訳は、看板だった。
 探し物みつかります。
 そう書いてあった。
 立て付けの悪そうな引き戸から、中を覘く。
 古美術商なのだろうか。壷に絵、木彫りの置物、アンティークの家具などが見えた。
 引き戸は少しだけ開いている。
 普段ならさっさと通り過ぎるのに、なぜかこの時、僕は酷く興味を惹かれた。
 きっとあの看板のせいだ。
 引き戸を開け、中に入る。
 立て付けが悪そうだと思ったけれど、意外とすんなり開いた。
 中は薄暗いけれど、気味の悪い暗さではない。どこか心地が良い。お香だろうか。独特な香りが漂う。
「いらっしゃいませ」
 こんな店の店主は、老人だとばかり思っていたから、かなり驚いた。
 出てきたのは、20代の若い男性だった。
「ゆっくり見ていってください」
 柔和な笑顔でそう言い、店の奥へと引っ込んでしまった。
 正直ほっとした。買う気がないから、ずっと張り付いていられるのは困る。
 せっかくだから、見物することにした。
 大小さまざまな壷が並べられている棚。
 値札がついていないからその壷の価値はわからないが、おそらく高価なものなのだろう。尤も、値札が付いてあっても、僕には壷の価値は理解できないけれども。
 次に目を向けたのは、漆塗りの器や、小箱、香炉などが飾られた棚。
 蒔絵というやつだろうか。春夏秋冬、それぞれを思い浮かばせる植物が描かれた小箱。
 今まで特に興味はなかったのだが、こうして見ると、やはり綺麗だ。
 おそらくこれらも非常に高価なものなのだろう。
 ちょっと覘くだけのつもりが、普段目にしないものが並ぶおもしろさからか、いつの間にかじっくり眺めてしまっていた。
 和室にこういうものを飾ると雰囲気が出るだろうな。そんなことを思いながら、ゆっくり移動していく。
 掛け軸、仏像、花台。
 そして、なぜかかぶとむしの木彫り。
 僕はあたりを見渡す。
 なぜかこの棚だけ、異質だ。
 飾られているのは、カブトムシやクワガタムシ、バッタなどの木彫りに、昆虫図鑑。
 なぜここだけ古美術とかけ離れているのか疑問だが、僕は無意識に昆虫図鑑を手に取っていた。
 見覚えのあるものだった。
 懐かしい。
 この図鑑は、小さい頃毎日眺めていたものだ。
 昆虫が大好きで、虫取りをして家に持ち帰っては、よく母親を困らせたものだ。
 懐かしい。
 虫かごもある。中にはカブトムシがいた。
 小学生の頃はカブトムシを飼っていた。あれだけ熱心に育てていたのに、いつから見向きもしなくなったのだろう。
 ああ、そうだ。受験からだ。
 毎日のように塾に通うようになって、より上の高校に受かるために夜遅くまで勉強し、高校に入ってからはより上の大学に受かるために勉強する。
 大好きだった昆虫図鑑も、押入れの奥深くに封印した。
 どうして忘れてしまっていたのだろうか。
「みつかりましたか?」
 いつの間にか、店主が僕の傍に立っていた。
「貴方の探していたものはみつかりましたか?」
 僕は、大きく頷いた。
 そうだ、僕は小さい頃から昆虫が大好きで、昆虫博士になるのが夢だったのだ。
 そのために、僕はがんばっていたのだ。がんばろうと必死だったのだ。
 答えのみつからない日々だと思っていたのに、実はすぐ傍にあった。本当は、ずっと持ち続けていた。
「これ、差し上げますよ」
 男はカブトムシの木彫りを僕に手渡す。
「いいんですか?」
「いいんです。もう無くさないように、持っていてください」
 そう言って、男は微笑んだ。
「ああ、もうすっかり暗くなってしまいましたね。親御さんも心配するでしょうから、早く帰った方が良いですよ」
 男は引き戸を開け、帰るように促す。
 僕は礼を述べ、帰路につく。
 もう無くさないように、しっかりと木彫りを握り締めて。
 あれから何度かあの裏路地を通ったが、あの店にたどり着くことは二度と無かった。
 不思議な店だった。
 もしかしたら夢だったのではないかと思ったが、カブトムシの木彫りは僕の手元にある。
 だから僕はこう考えた。
 あの店は、答えを探している人にしか入れないのではないのだろうか、と。
 探し物を探して、さ迷い歩く人達の前に姿を現す不思議な店。
 きっと、今も客を招き入れていることだろう。
 僕にはもう必要が無い。




夢追いムシ - 了



 

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