-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第3話 第3区域
「オレンジを愛したリンゴとリンゴを愛したオレンジの平行線の日常」:#3


 

 一気に飲み干し、ぷはっ、とソフィアは息をつく。
 仲間内からは親父臭いと言われるのだが、カラカラの喉に一気に水分が爆走した時は、どうしても気が緩んでしまう。
 隣に佇む主が、半眼でじっとソフィアを見つめている。
 もしかして一口欲しかったのだろうか。ソフィアは、空になった紙コップをクリストファーへと差し出す。
「飲みます?」
「いらん。そもそも残ってないだろ」
 闇夜でも輝く金の髪、青い瞳、純白の肌。芸術の世界から飛び出してきたような容姿のクリストファーが、表情を歪める。その理由は言わずもがな。毎度の事ではあるが、ソフィアの行動に呆れていた。
「一杯奢りますよ?まあ、クリストファー様からお給金を貰っているので、結局クリストファー様が自分で買ってることになりますけど」
「俺はお前らを雇った覚えは一切ないんだがな」
 いつものやり取りに、ソフィアは笑う。笑うと、目の前の主はますます眉間に皺を寄せて険しい顔つきになるのだが、それはそれで楽しいし、いくら顔を歪めたところで美しさは変わらないのだから眼福というものだ。
「まあまあ、せっかくなので楽しみましょう。今日は月に一度のみんなでショッピングですよ」
 クリストファーと共に、従者ほぼ全員が街へと買い出しに来ていた。
 悪魔の館には、妙な慣習がある。誰が定めたのか、いつから始まったのか、今クリストファーに仕えている者達は誰も知らない。少なくとも、半世紀以上も前から続いている行事なのだろう。半世紀も続けばもはや伝統だ。
 まず、悪魔の主人を必ず午前7時に起こすこと。しかも起こす際はクリストファーが主だということを一切忘れ、寝起きドッキリを仕掛けたり、いつまでも惰眠を貪る子供を叱り飛ばす親のように布団を引っぺがしたり、目覚まし時計の変わりに大合唱をしてみたりと、おもしろおかしく騒がしくしなければならない。面白くなければ、同僚達からダメ出しを受けてしまう。そのため、主を起こすのにも全力だ。
 次に、出かける際は必ずクリストファーに「いってきます」の挨拶をすること。元気よく、全力で。「いってきます」は言わなければならないが、「ただいま」はどちらでもいいという。なぜかはわからないが、館で暮らす住人は、そういう変な癖が身についてしまっている。
 さらに、月に1度、クリストファーを交えての会議が行われる。尤も、クリストファーの場合は嫌々ながらの強制参加だ。
 議題はだいたいが季節行事の催しについて。やれヴァルプルギスの夜だ、ハロウィンだ、クリスマスだ、パーティーの準備について話し合う。
 悪魔がクリスマスや復活祭などの行事はご法度のように思えるが、そんなことは従者達には関係なく、きっちり外の世界と同じように騒ぐ。全力で。
 クリストファーは特に何も言わない。諦めたのだろう。何を言っても無駄だと。そもそもクリストファーには従者を雇った認識などなく、人間が勝手に自分の屋敷に住み始めて、勝手に従者の真似事をしているのだ。何百年も。諦めもつくだろう。その諦めに乗じて、従者達は盛大に行事を祝うのだ。
 悪魔は学んだ。人間の神経の図太さを、身をもって体感している。
 そして今日。月に1度、主のクリストファーとほぼ従者全員が商業地区へと食料品やら日用品を片っ端から買いあさる日である。
 神の御旗を掲げる者や、権力を手に入れようとする者にとってはクリストファーは打ち倒すべき悪魔でしかないが、商人にとっては一番のお得意様。なんせ、定価の倍以上もの金をばら撒くのだ。値段などあって無いようなもの。もちろん良い意味でだ。よって、さまざまな店舗が立ち並ぶ商業地区では大歓迎を受け、襲い掛かってくる者も滅多にいない。
 そもそもクリストファーに食って掛かる人間は狂信者や神の名を語る暴力組織、権力を己のものにしようと企む妖魔だ。商業を営む妖魔は比較的穏やかな性格をしており、すっかり貨幣経済に馴染んでしまっている。上客のクリストファーにわざわざ喧嘩を売る理由がない。それに、売り物を外の世界から仕入れているのはクリストファーだ。物資を止められて困るのは商業を営んでいる方。たとえ横暴な扱いを受けたとしても、彼らにとってはクリストファーは媚を売ってゴマを擦って平身低頭にして、機嫌を取らなければならない相手だ。
 そのクリストファー。第三区域の領主であり、悪魔であり、絶対的な力を持つ強者のはずのクリストファー。
 彼はうんざりした様子で空を仰ぐ。
「どうしたんですか?元気ないっすよ?」
 守衛のクルーガーがクリストファーに声をかける。もぎゅもぎゅと食べ物を口に詰め込みながら。
「なぜここにいるんだろうか、と俺は思うんだが、お前はどう思う?」
「そんな細かいことどーでもいいじゃないっすか」
 もぎゅもぎゅと口を動かす。クルーガーの手は屋台で購入した食べ物でいっぱいだ。
「これでも飲んで、ショッピングを楽しみましょう」
 ソフィアが飲み物を手渡す。というより、押し付ける。満面の笑みで。
「お前ら本当に楽しそうだな」
「ええ、楽しいですよ」
 ソフィアとクルーガーのみならず、すぐ傍にいた執事のヴィンセントや同じくメイドのメアリーまでもがそう答えた。
 クリストファーは顔を歪める。
 悪魔がなぜ日中に従者と仲良くお買い物なのか、とうんざりする。だが、仕方のないことだということも理解している。
 狂信者共が溢れかえるこの区域では、悪魔の従者は抹殺すべき対象だ。そう簡単に出歩けない。だから絶対的な力を持つクリストファーが共に行動することは、従者達の護衛という側面が強い。
 悪魔の癖に、悪魔らしからぬ行動。結局、何も選べないのだ。争うことを捨てた悪魔は、実に弱い立場でありながら、その存在は無意味にもなれない。
 クリストファーはため息交じりに、そっとその場を立ち去る。従者達との会話を諦めた。会話のキャッチボールなど無理だ。
 ソフィアはうきうき気分で買い物を続ける。
 コインで買える程度の商品に、札束を出す。もちろんつり銭は受け取らない。こうすることで、商業地区での自分達の命は確保される。いくらごみの掃き溜めといえども、ここは貨幣経済だ。金がものを言う。
 金が、もしかしたら一番のお守りなのかもしれない。ソフィアはそう思う。
 少しでも興味を引いた店に、手当たり次第入っていく。光輝くアクセサリー、麗しい洋服。普通ならそういったものに惹かれるのだろうが、ソフィアは根っからの変わり者だ。そんなものより奇妙な置物や飾りに目がいってしまう。ファッションには興味がない。身につけて行く場所がないのだ。何かアクセサリーを買うとなれば、十字架ぐらいだろうか。従者達の間では、十字デザインのアクセサリーは大人気だ。どうせクリストファーには効きはしない。遠慮するほどのことでもない。
 それ以外で買い込むものといえば、本やお菓子となる。特に本は時間つぶしに最適。読書のお供に、お菓子も必要だ。
 今回は日持ちする食料品をたっぷり買い込むことにした。そうと決まれば、行動は早い。手当たり次第、おやつになりそうなものを買っていく。
 大量に金をばら撒くからか、商人達も常に笑顔で、対応も丁寧だ。こちらとしても、やはり気持ちがいい。
「おっと」
 紙袋から菓子の入った袋が零れ落ちた。
 立ち止まり、かがむ。
 刹那。
 何かが頭の上を通り過ぎた。
 風が髪を撫でる。
 何かがぶつかったような衝撃音と、何かが崩れる音。
 そして、悲鳴。
 顔を上げ、状況を確認する。
 屋台が砲弾でも受けたかのようにぽっかりとへこみ、店主は大の字で空を見つめていた。目を見開いたまま、真っ赤に染まって。
 ああ、死んだな。
 実に冷静にソフィアはそう思った。
 狙われたのは自分なのだろうが、運というやつなのだろう。まだ死ぬ運命ではなかったのだ。
 次々と、そして無差別に先ほどの攻撃が展開される。
 従者達の行動は早かった。
 荷物を放り投げ、懐の拳銃を手に、建物の陰に隠れる。伊達に悪魔の従者をやっているわけではない。
 ただ、反応が遅れた者が一人居た。
「アンナ!こっちにおいで!」
 まだ幼い従者。悪魔の館に来てまだ2年ほどしか経っていない。道端で雨に打たれて震えていたのを、執事のヴィンセントが拾ってきた。
 ソフィアが声をかけると、アンナが弾かれたように動き出す。荷物を捨て、駆ける。前へ前へ、一歩の距離を延ばそうと、懸命に足を伸ばす。助かろうと、生きようと。
 あともう少し。
 運というやつなのだろう。自分にはあったが、アンナにはなかった。たった10年しか生きていないのに。
 風が爆ぜる。
 アンナの小さな身体が吹き飛ぶ。
 その先は、追わなかった。
 鈍い音が聞こえただけで、あとはだいたいわかる。
 ソフィアは目を閉じ、ゆっくり、長く息を吐き出す。
 いつもの攻撃ではない。銃や爆弾とは違う。人間の攻撃ではない。
 当然だ。人間はここでは決して荒事を起こさない。人間はこの商業地区で生活必需品を手に入れる。もし銃で派手に騒いで商人達から恨まれたりすれば、何ひとつ売ってもらえなくなる。食料品はもちろんのこと、己の身を守る銃でさえ。
 調子に乗った者が何度かこの商業地区で抗争を起こしたことがあったが、今、彼らは誰一人として第三区域には存在していない。この世から、消え去った。
 こんな重要な場所で事を起こすのは、血に飢えた妖魔ぐらいだろう。もしくは、操られているか。
 ソフィアはイメージする。目を開けたら、物陰を移動しつつ即座に敵を割り出し、撃つ。攻撃の方向からして、斜向かいに敵はいる。人間の武器が通用するかどうか怪しいところだが、やらないよりかマシだ。殺さなければ殺される。自分の身は、自分で守らなければならない。
 目を開ける。
 闇から光へと反転する。
 地面を蹴り、その場から移動する。すぐ隣の建物の陰へ。
 また何かが弾ける音がした。それと、悲鳴。
 物陰から物陰へ移動しつつ、状況を確認する。
 活気に溢れていたのが、今や逃げ惑う人々で騒然としている。大半の者はすでに建物の中へと入り身を潜め、道に取り残された者も、街路樹やゴミ箱の陰で必死に身を縮めている。
 その中で、異様なものを確認した。
 青白い、やせ細った青年。彼だけは逃げることも慌てることもせず、堂々と道に佇んでいた。
 こいつだ。こいつが事を起こした妖魔だ。
 ソフィアは引き金を引く。乾いた音が響いた。
 当たったかどうかを確認する間もなく、すぐにその場から離れる。
 数秒前まで自分が居た場所が、抉り取られた。
 本当に妖魔相手は厄介だ。もしこいつを逃してしまったら、後始末は第二区域の領主に頼もうか。
 建物の陰から出て、銃を構え――。
 引き金を、引けなかった。
 目前に、クリストファーの背中があったから。
「クリストファー様」
「まったく、ここの連中ときたら、加減というものを知らない。こんな場所で派手に暴れやがって、迷惑極まりない。そう思わないか?」
 振り向きはしなかったが、ソフィアに語りかけているのは明白で。
「クリストファー様、危険です」
「お前達はいつもそうだ。危険?誰にものを言っている?俺は悪魔だぞ」
 そう言って、振り返る。敵に、背を向ける。
 ソフィアはクリストファーの姿を越して、妖魔を見る。
 立ち止まったこちらを、捉えていた。
 妖魔が手をかざす。
「なぜここの連中は平和に日々を過ごすことができない?俺は騒がしいのは好きじゃないんだ」
 両手を広げ、役者のように演説する。
 クリストファー越しに様子を窺うと、男が何かを放ったのがわかった。
「クリストファー様!」
 キン、と甲高い音がした。
 強い風が、ソフィアを通り過ぎる。
 クリストファーは妖魔に背を向けたまま、微動だにせずにそこに立っている。何事もない。傷ひとつ、ほこりさえついていない。
「俺はここの領主ではあるが、基本的に何もしない。好きなように暮らせばいい。気に食わない奴がいれば、殺せばいい。ここにルールなんてものはない」
「クリストファー様」
 再び、妖魔が攻撃を放つ。
 やはり甲高い音の次に、風が駆け抜けるだけ。何事もない。何も、起こらない。
「だがな、領民の大半の者に被害が及ぶことは、阻止しなければならない。平和主義の俺が、自ら手を下さなければならない。嘆かわしいことだ。わかるか?」
「クリストファー様」
「こういう時は神にでも祈ればいいのか?ああ、神よ。多くの者を傷つける愚者に、どうか天罰を――」
 ソフィアに向けた背中。純白の翼が姿を現す。
「死ね」
 身動きひとつせず、ただその言葉を送っただけ。
 男が、全身から血を吹き出し、倒れた。
 翼が弾け、光となって消える。
 また、助けられた。あの時のように。
 ソフィアの視線の先には、純白の翼を持つ美しい悪魔がいた。







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