-ダンプ-

「DUMP! -ダンプ-」は、創作小説サイト「萬花堂」の作品です。
since 2013/8/20

※この作品には流血をともなう暴力表現が含まれています。苦手な方は閲覧をお控えください。

第3話 第3区域
「オレンジを愛したリンゴとリンゴを愛したオレンジの平行線の日常」:#9


 

 巨大な塀。高くそびえ立つコンクリートの壁がはるか遠くにまで続いている。重厚で巨大な黒鉄の扉が、威圧感を増し、その門前に立つ屈強な妖魔が、さらに近寄りがたいものにさせている。
 ルール無用のゴミの掃き溜めでさえ手に余るものを、強制的に収容する第四区域。
 その唯一の入り口である門前に、ソフィアは臆することなく居た。
「と、いうわけなんです」
 ソフィアは胸を張って、説明を終える。
「何が、というわけなんだ」
 目前の妖魔は始終困り顔。
 東洋人のような顔立ちではあるが、瞳が人間のそれとは違い長細く、真っ白。笑顔の口元からちらりと見える歯は鋭く、舌は血のように赤い。爬虫類を思わせるような目元のため、臆病な相手には恐怖感を味わわせてしまうだろう。
 そんな妖魔が困り顔だ。
「だから、これ」
 ソフィアは足元に転がる物体を指差す。
 縄で縛られ、顔面血だらけで気を失っているチアゴだ。
 そして、クリストファーの姿も。当然ながら、クリストファーは苦々しい表情だ。
 教会前でチアゴをぐるぐる巻きに縛っていたところを、クリストファーに発見された。その時も実に苦々しい表情だった。余計なことはするなと言ったはずだ、と。
 心配してくれたのか、それともただ様子を見に来ただけなのか、その本心はソフィアにはわからないが、どちらでもよかった。ぶつぶつ文句を言いながらも傍にいてくれる主が好きだった。
 そうやってこの悪魔は、結局人間達の奇行につき合わされるのだ。
 今のこの状況もそうだ。
 ソフィアがチアゴを第四区域に連れて行くと言い出したのを止めもせず、ただついて来ている。そしてソフィアの変わりすぎた説明に、頭を抱えたくなっているところだろう。
「プレゼントです」
 ソフィアはにっこり笑って言い放った。
「いや、意味がわからんのだけど」
「もう、理解に乏しいわね。ここは泣く子も黙る第四区域でしょ?拷問にはいろいろと実験も必要じゃない。どうすれば長く苦しめられるか。そういう研究も必要でしょ?だからそのための実験材料」
「はあ、つまりあんたの怒りを買ったそいつを生贄に捧げてすっきりしようってことか」
「あら、急に鋭くなったわね。ま、概ねそういうことよ」
「まあ別に拒否はしないが……」
「はい、これもセットでつけるわ」
 スタンガンと、青酸カリと硫酸が入ったビン。
「おっ、こいつはありがてぇ。おーい、野郎共。さっさとこのブタを中に運び込め」
 あいあーい、と気の抜けた返事をしつつ、他の妖魔達が実験材料セットを運び込む。チアゴを担ぎ上げるでもなく適当な場所の服を掴んで引きずり、スタンガンと劇薬はソフィアから何度も頭を下げて丁寧に受け取り、慎重に運ぶ。
 この対応の差が、ソフィアはたまらなく好きだった。
「あいつはきっちり苦しめて殺しておくさ」
「お願いするわ」
「ちょっとは気は晴れたか?」
「妖魔の癖にそういうこと気にするのね」
「俺は人間に優しい妖魔なんだ」
 そう言って、にっと笑った。見た目は人間とはほど遠くて不気味だが、心根は人間よりもいい奴なのだろう。
「……そうね、少しはすっきりしたかな。失ったものは元には戻らないけど」
 アンナの太陽のような笑顔はもう見れない。それを思うと、やはりしばらくは分厚い雲がかかったままだろう。
「復讐か。普通に殺してしまうより、ここに入れた方が絶望を与えられる。人間にしてはよくやるな。上出来じゃないか」
「そうだといいんだけど」
「せっかく来たんだ。中に入って何か飲んでいくか?酒なら大量にあるぞ」
「あら、デートのお誘い?私はクリストファー様のものなので、クリストファー様に聞いていただかないと」
「別に所有者同伴でもかまわないぞ?俺は社交的なんでな。楽しくおしゃべりできればそれでいい」
「あなた、つくづく変わった妖魔ね」
「他人のこと言えんだろ。で、どうします?うちのお頭もきっと喜びますよ?」
 クリストファーに呼びかける。
 ソフィアとしては、どちらでもよかった。主が頷けばついて行くし、首を横に振ればそのまま帰るだけだ。
 クリストファーの答えは、否だった。
「やめておく。今日は手土産のひとつも持ってきていないからな」
「そんなもんいいっすよ。長い付き合いじゃないですか。身ひとつで十分です」
「こっちとしては気にするんだよ。また今度だ。近いうちに寄らせてもらおう」
「そうっすか。それじゃあ、また今度」
 執拗に誘うことはせず、あっさりと引き下がる。第四区域のイメージは、暗くてじめじめしていて、恐怖と絶望が常に支配しているような印象があるが、実際のところここに仕える妖魔はみな明るく社交的で、さっぱりとしている。彼らのことは、ソフィアのみならずクリストファーも好ましく思っていた。
「その時は是非ソフィアのお嬢さんもどうぞ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
 そうして、第四区域から離れた。
 教会から奪った車をソフィアが運転。クリストファーは大人しく助手席に乗っている。
 クリストファーがいれば、このゴミの掃き溜めの中心にある円卓会議場所を通ることが出来る。普段は結界で閉じられており、近づくことさえ出来ないが、円卓会議のメンバーが居れば、容易く通り抜けられる。半分以上も移動距離を短縮できた。
 ソフィアは窓を全開にし、車をかっ飛ばす。
 吹き荒れる風が、少しだけ心を晴らした。アンナという分厚い雲は雨を降らせていたが、リリスという雲は綺麗に晴れ、太陽をのぞかせていた。きっとその光は、もう隠れはしないだろう。
「よかったのか?」
 おもむろに、クリストファーが問う。
「何がですか?」
「教会連中だ。お前の姉がいたはずだが?」
 ソフィアにしては珍しく、どきりとした。このことは、誰にも話したことが無い。同じ従者仲間にもだ。墓場まで持っていくつもりだった。
「ご存知だったのですか?」
「当たり前だ。俺を誰だと思っている」
 悪魔には隠し事はできないということなのだろうか。だが全てお見通しなら、これほど光栄なことはないとソフィアは思う。
「姉と共に消えればよかったものを」
「一応うちに来ないかと誘ったんですけどね。振られてしまいました」
「なぜうちに誘う。俺の館から出て行けと言っているんだ。お前ら全員さっさと出て行け。不法占拠にもほどがある」
「またまたご冗談を。一生クリストファー様の傍にいますよ」
 あの日から、そう決めたのだ。
 教会で戦闘訓練の日々を送っていた日々。その成果が試される時が訪れた。教会同士の権力争い。それ自体はたいして珍しいことではない。ただこの時ばかりは、武力による大きな衝突が起こった。そして多くの無関係の人間や仲間が死んでいった。
 だから、悪魔が舞い降りた。
 あの時から変わらない。鬱陶しそうな面倒くさそうな表情。つまらなさそうに、殺す。迷惑だと言って、双方の代表者の命を刈り取った。
 あの日。
 おめでとう。
 悪魔はそう言った。
 お前は全てから解放された。生きるのも死ぬのも、何を選び取るのかも全てお前の自由だと。
 絡み取られていたものが、突如消え去った。教会の人身売買に付き合う必要などない。目の前が、開けた。光明が、見えた。そして、悪魔の傍にいれば、その力を借りて姉を守れるかもしれないと思った。今は無理でも、いつか、必ず。幼い頃、いつも守ってくれた姉を、今度は自分が。
 だからソフィアはそれを選んだ。
 あの日舞い降りたのは悪魔ではなく、ソフィアには天使にしか見えなかった。
「死ぬまで、ずっとお傍で仕えます」
「迷惑だな。姉のことはどうするつもりだ?」
「姉は大丈夫ですよ。なんてったって、私の姉ですから」
 リリスは、選ばなかったのだ。
 あの日、ソフィアとは違うものを選んだ。違う方法を選んだ。
 けれども、絆が途絶えたわけではない。血の繋がりが消えたわけではない。
「きっとまた元気に悪魔の屋敷に攻撃を仕掛けてきますよ」
「実に迷惑な話だな。お互いが心配なら、二人でどこかで暮らせばいいものを」
「こういう姉妹愛もあるのですよ」
「さっぱりわからん、お前達の考えることは」
 ソフィアは笑う。
 ソフィア自身も、変だとは思っている。だが、これでいいと思っている。ここはごみの掃き溜め。クソみたいな日常だ。常識なんてものは存在しない。だから、こういう姉妹でいいと思う。
「私は決めているのです。クリストファー様の傍で生きて、死んでいくと」
 心から忠誠を誓っているからか、悪魔の力に魅了されているだけなのか、わからない。それでもかまわない。
「きっと最期は笑っているはずです」
 心からそう思える。
 生きている実感がある。生きていて、楽しいと思える。
 だから、悪魔の狗と言われようが、常に命を脅かされようが、かまわない。ここに居れば、どんな最期を迎えようとも、笑っていられる気がした。
「実に愚かだな、お前は」
 そう言った悪魔の表情は、悪魔とは思えぬほど穏やかだった。
「ええ、自分でもそう思います」
「お前がそれを選んだのなら……所詮、短い命だ。最期は見届けてやる。お前の姉と共に」
 きっとこの悪魔にはわからないのだろう。
 なぜこんなにも慕われているのか。
「天国に逝けると思うなよ。お前達姉妹は悪魔に見届けられて死んでいくんだ」
 誰しもが一人で死んでいく中、どんな時でも常に傍にいてくれる存在のあることがどれほど楽しいことか。どんな最期でも、傍で見送ってくれる存在のあることがどれほど嬉しいことか。
 おそらく、それを人は幸福と呼ぶ。
 幸福とは、他者がいてはじめて認識できるものだ。それがたとえ悪魔であったとしても。
 楽しい人生だったと、きっと笑って逝ける。
 そして地獄で姉と共に暮らすのだ。
 図太く、無神経に。







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